影の導き手
演習場での異変は、瞬く間に学園内の空気をご立たせた。「平民の娘が、貴族の術式を無力化した」という噂は、権威を重んじる教師たちの耳にも届き、ユナは釈明の余地もなく「禁忌魔法の使用容疑」として地下の尋問室へ連行されることになった。
「待ってください! 私は何も……あれは、ただ必死で……!」
冷たい石壁に囲まれた通路。背後から突き飛ばされ、ユナが床に手をついたその時、行く手を阻むように一人の影が立ちはだかった。
「そこまでにしろ。彼女が何をしたというんだ?」
低く、だが鋼のように硬い声。 そこにいたのは、先ほど演習場の隅でユナを見つめていた少年、レオンだった。彼は学園内でも「鼻つまみ者の王子」として疎まれているが、その身に纏う威圧感は並の騎士を凌駕していた。
「どけ、レオン。これは魔導院の決定だ。王位継承権を持たぬ貴様が口を挟むことではない」
「血筋や権利の話をしてるんじゃない。オレは、この学園の腐った理屈に吐き気がしてるだけだ」
レオンが拳を握りしめた瞬間、廊下の灯火が激しく揺れた。一触即発の空気が流れる。 だが、その緊張を切り裂いたのは、誰の足音もしない背後から聞こえた、静かな声だった。
「争いは、さらなる沈黙を生むだけだよ。若き獅子、そして光を宿す娘」
壁の影から染み出すように現れたのは、奇妙な意匠の法衣を纏った男――ネオだった。 その外見は学生と大差ないほど若々しいが、漂わせる雰囲気は学園のどの教授よりも底知れず、重厚だった。
「……あんた、誰だ? 外部の人間がなぜここにいる」 レオンが警戒を強める。
「私はただの観測者だ。……ユナ、君が先ほど放ったのは、禁忌などではない。それは、失われたはずの『共鳴』の萌芽だ。君の魂が、世界の歪みを正そうと叫んだんだよ」
ネオの手が、ユナの震える肩に優しく触れた。その瞬間、ユナの心を支配していた恐怖が、不思議と凪のように静まっていく。
「君たちはまだ知らない。自分たちが、どれほど巨大な歴史のうねりの中に立っているのかを。……レオン、君が隠しているその拳の疼きも、ユナのその声も。すべては数千年前、一人の男が未来へ託した『問い』への答えなんだ」
ネオが指を鳴らすと、廊下を充満していた重苦しい魔圧が、まるで最初から存在しなかったかのように霧散した。衛兵たちは狐につままれたような顔で立ち尽くしている。
「ここを出よう。君たちには、見せなければならないものがある。帝国がひた隠しにしてきた、世界の『真の形』をね」
ユナは、レオンとネオの顔を交互に見た。 今この手を取れば、これまでの平穏(といっても、虐げられるだけの毎日だったが)には二度と戻れない。そんな予感があった。 けれど、ユナは迷わなかった。自分の名前が、その奥で熱く脈動しているのを感じたからだ。
「……行きます。私、知りたいんです。私のこの力が、何のためにあるのかを」
レオンもまた、鼻で笑って拳を解いた。 「面白そうじゃねえか。オレも、この退屈な学園の壁をぶち壊すきっかけを探してたところだ」
導き手ネオに連れられ、二人は学園の暗い回廊を抜け、月明かりの差す森へと駆け出した。 それは、帝国という巨大な鳥籠を飛び出し、伝説の英雄カイルが歩んだ真理への道を、再び辿り始める夜となった。




