境界を越える声
カイルが残した伝説が、砂塵に巻かれて遠い神話へと変わるほどの月日が流れた。 かつての理想郷エルディアは、今や巨大な鉄の壁と魔導兵器に支配された「軍事帝国」へと姿を変え、人々の心には深い沈黙が沈殿している。
帝立魔導学園の演習場。 「……やめて! もう、これ以上は……!」
土にまみれ、膝をついた少女――ユナの叫びは、周囲の嘲笑にかき消された。 彼女の目の前には、豪華な装飾を施した杖を向ける貴族の生徒たちが立っている。彼らにとって、平民であり、さらに「ノクシア(奪われた者)」という卑賤な姓を持つユナは、格好の標的に過ぎなかった。
「無駄だよ、ユナ。名前のないお前に、精霊が微笑むはずがない。大人しくその『呪われた血』を呪って消えるんだな」
放たれた雷撃がユナを襲う。 だが、その時だった。
ユナの胸の奥で、何かが激しく脈動した。 それは、彼女自身さえ知らなかった、魂の底に眠る「音」。 かつて救世主が未来へ投げたと言われる『問い』の残響が、絶望に触れた瞬間に目を覚ましたのだ。
「……決めつけないで」
ユナが顔を上げ、震える唇を開く。 その瞳は、いつもの怯えた少女のものではない。すべてを射抜くような、透徹した白銀の光を宿していた。
「私の心を勝手に決めつけないで! 私は、私は道具じゃない……私の名前は、ユナなの!!」
“Resonate — Voice of Truth!” (共鳴せよ —— 真理の声!)
叫びと共に、ユナの体から不可視の波動が全方位に広がった。 それは攻撃の魔法ではない。だが、襲いかかった雷撃を霧散させ、周囲の生徒たちが手にしていた杖の術式を、根底から書き換えて停止させた。
「な、なんだ……!? 魔法が……消えた……?」 「いや、違う。魔力が……あいつの声に『従った』のか!?」
ざわつく演習場。その群衆の影で、一人の少年が鋭い視線でユナを見つめていた。 粗末な制服に身を包みながらも、その拳には隠しきれない闘志を宿した少年――レオンだ。
「……今の、は」
レオンは、自分の胸元に隠した「王族の証」が、ユナの声に呼応して熱を帯びていることに気づく。 数千年の間、沈黙を守り続けてきた歴史の歯車が、一人の少女の叫びをきっかけに、再びゆっくりと動き始めた。
ユナは、力が抜けたようにその場にへたり込んだ。 自分の手を見る。そこには、一瞬だけ不思議な紋章が浮かび上がり、光の塵となって消えていった。
これが、すべての始まり。 名前を奪われた少女が、自分の本当の名前を世界に刻むための、長い旅路の第一歩だった。




