虚無の深淵
「……これが、世界の終末の形か」
最果ての地「忘却の荒野」。カイルの目の前に横たわっていたのは、生物としての造形を拒絶した異形――虚無竜キュラディウスだった。 その姿は竜の形を成してはいるが、輪郭は常に揺らぎ、周囲の光、音、そして大気そのものを黒い孔へと吸い込み続けている。存在すること自体が世界への侵食であり、冒涜。
カイルが手にする〈真理の剣〉さえも、その余波で刀身がひび割れ、悲鳴を上げていた。
「グオォォォォォ……ッ!!」
竜が咆哮した。それは音ではない。精神を直接掻き毟る「否定」の波動だ。 カイルの視界が歪む。過去に救えなかった者たちの幻影、己を裏切った者たちの嘲笑。これまでの旅で積み上げてきた「答え」が、虚無の闇に触れた先から砂のように崩れていく。
(ああ……そうだ。どれだけ言葉を尽くし、どれだけ法を整えても、命はいつか消え、歴史は改竄される。無意味だ。すべては無に帰る。……俺がやっていることは、ただの悪足掻きに過ぎない……)
膝が震え、剣を握る力が抜ける。虚無とは単なる破壊の力ではない。対峙する者の「生きたい」という意志そのものを根こそぎ奪い去る、根源的な絶望だ。
竜の黒き爪が振り下ろされる。回避は間に合わない。 死の瞬間、カイルの脳裏に浮かんだのは、かつて出会った村の人々や、拳を握りしめた少年レオンの姿だった。
(……いいや。無意味ではない。たとえいつか消えるとしても、今、この瞬間、彼らが流した涙と、踏み出した一歩は、確かにここに存在したんだ!)
「――思い上がるな、化け物。世界を否定するのは、お前の傲慢だ!」
カイルは逃げるのをやめ、逆に竜の喉元へと踏み込んだ。 全身を虚無の嵐に焼かれ、皮膚が炭化し、意識が遠のく。だが、彼はその「無」の真っ只中で、魔力を逆流させた。第2話でユナが、第29話でセリスが目醒めさせることになる、究極の共鳴――。
「読むんじゃない、聞くんだ……! お前の沈黙の奥にある、本当の叫びを!」
カイルの意識が、竜の核へと繋がる。 そこで彼が見たのは、破壊を望む怪物ではなかった。 ただ独り、世界から切り離され、誰にも名前を呼ばれず、理解されることを諦めた「究極の孤独」だった。
「……そうか。お前も、俺と同じだったんだな」
カイルは微笑んだ。血を吐きながら、彼は剣を捨て、剥き出しの腕で竜の影に触れた。 「お前を消しはしない。お前の孤独を、俺が『問い』として引き受けてやる。数千年先か、数万年先か……いつか、この虚無さえも笑顔で語り合える奴が現れるまで、俺が共に行ってやるよ」
“Logo-Synthesis — ETERNAL INQUIRY!” (真理統合 —— 永遠の共問!)
カイルの体から溢れ出した白銀の光が、黒き虚無を包み込んでいく。 それは対立する力の衝突ではなく、抱擁だった。 竜の狂乱が収まり、その巨体が無数の黒い粒子となってカイルの左腕へと吸い込まれていく。後の世に〈虚問の印〉と呼ばれる、呪いと祝福が混ざり合った刻印。
「……あ……ああ……」
戦いの後、静寂だけが残った荒野で、カイルは崩れるように座り込んだ。 左腕には、消えない黒い痣。そして魂には、決して癒えることのない虚無の重み。 彼は、世界を救うために「世界を壊せる力」をその身に宿したのだ。
「待ってるぜ、未来の誰か。……俺が持ち帰ったこの『重荷』を、対話に変えてくれる日を」
カイルは空を見上げた。そこには、皮肉なほどに美しい夕陽が広がっていた。 彼が歩む「共問者」の道が、孤独な救済から、未来への壮大な賭けへと変わった瞬間だった。




