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5.母が繋いだ縁

 王国軍が管轄する病院の一室で、ソフィアは目を覚ました。

 窓からは柔らかな陽光が差し込み、ふっと滑り込んだ爽やかな風がソフィアの肌を撫でていく。

 上半身をそっと起こし、ベッド脇の小机に置かれていた眼鏡をかけ──視界に映った髪の色を見て、意識を失う前のことを思い出す。


(髪が真っ白になってる……そうだ、私は発作を起こして──)


 ソフィアは次に、自分の皮膚の感触を確かめる。

 ボロボロに剥落していた肌は、どうやら元に戻っているようだ──カサカサに荒れている、いつもの不健康な肌だ。

 髪の色が変化していたのには驚いたが、それ以外はちゃんと戻っていることに、ソフィアは少しだけ安堵した。


(……カラスマ中佐が、私の発作を鎮めてくれたのよね)


 あの時、カラスマ中佐がとっさに飲ませてくれたなにかのおかげで、ソフィアの吸血衝動は治まった。

 なんともいえない甘美な香りのする、あのほろ苦い液体は、果たして何だったのだろう。


(目がよく見えなくて、分からなかった……けど、カラスマ中佐が使い魔を喚んだとき、彼の手が赤かったような……)


 もしかして――とソフィアの思考回路が予想を弾き出そうとした時、


「お? もう起きたのかぁ、オヒメサマぁ?」


 と、すぐ耳元で少年の声がした。

 驚いたソフィアは「ひゃあ!」と腑抜けた悲鳴を上げてしまう。


「けらけら、とんだマヌケ面さらしてやんの。コレが運命のお姫様ってツラかよ」


 ソフィアが寝ているベッドのそばで、マフラーを巻いた黒い肌の子供が、奇怪な笑い声を立てていた。

 両目は白い前髪ですっぽり隠れており、口は耳の近くまで裂けていて、そこから覗く歯はすべてが犬歯のように尖っていた。

 かろうじて人間らしい姿格好をしているけれど、所々の造形が明らかに人間から逸脱している……そんな不気味な少年だった。


「貴方は……カラスマ中佐の使い魔?」

「お、よく分かったな。どうしてそう思った?」

「貴方から感じる魔力と笑い方が、あの時の鬼と同じだったので」

「けらけらけ! いいじゃねぇか。見た目に騙されないその洞察力。褒めてやるぜ」

「あ、ありがとうございます……」


 少年はソフィアのベッドのふちにぴょこんと座ると、にやにや笑いのまま話しかけてきた。


「お前、吸血種(ヴァンピール)の魔蝕症だったのかぁ。イオリの血はさぞ美味かっただろぉ?」

「! ……やっぱり、あの時私が飲まされたのは」


 けらけらけ、と少年は笑い声を立てることで、ソフィアの予想を肯定する。


「分かるぜぇ、お前の気持ち。何を隠そう、イオリは世にも珍しい魅魔血(みまち)の持ち主だからなぁ」

「みまち……?」

「そ。あいつの血は多分に魔力を含んでいてな、霊獣や魔物にとっては超絶美味なわけ。オレの鬼生(おにせい)もそれなりに(なが)いが、イオリの魅魔血以上に美味いものは見たことがないぜぇ」


 親しげに共感を示してくる少年だが、ソフィアは喜べなかった。

 複雑な心境のソフィアを見透かすように、少年は顔を覗き込んでくる。


「まるで認めたくないって顔だ」

「……なんのこと、でしょう」

「だから、美味かったんだろ? イオリの血は。魔蝕症の患者は魔物に片足突っ込んでるようなもんだからなぁ、けらけら」

「っ、そんな言い方……」

「事実だろ?」


 ふと、『バケモノ』と叫ぶリリアーネの姿が、ソフィアの脳裏を駆け抜ける。

 ――恐怖と嫌悪の入り交じる、拒絶の表情。

 彼女にはこれまでに何度も軽蔑され、冷笑されてきたけれど、あそこまで酷い表情を向けられたことは初めてだった。

 それに、シュナイダー少尉から剣先と殺意を向けられたことも、忘れられない。

 いずれも人間に向けるべきではない、害ある魔物への敵意――ソフィアはこれまでにない恐怖と絶望を味わった。


「違う、私は人間で……!」

「病魔ってのは、人間を魔物に作り変えることで個体を増やしていくからなぁ。お前も下手すりゃ人間でいられなくな――」


 もうやめて、とソフィアが耳を塞ぐ前に、少年が「うぎゃん!!」と叫んだ。

 誰かが彼の背後から、頭に拳骨を食わせたらしい。


「患者にちょっかいを出すな、ヌイ。月まで蹴っ飛ばされたいか」


 いつの間にか病室に入ってきていたカラスマ中佐が、少年を一喝する。

 かなり強めに殴ったのか、少年は頭を押さえて「いってー!」と呻いていた。


「クソが、イオリのくせにぶっ叩きやがって! 顔引きちぎんぞ、ゴラァ!」

「騒ぐな。患者の不安を煽りやがって、この悪ガキ」


 悪態に悪態で返しつつ、カラスマ中佐は少年の首根っこを掴み、そのまま後方へポイッと投げてしまう。


「ごめんね、ソフィアさん。僕の使い魔が変なこと言ったみたいで。あとでしっかり灸を据えとくからね」

「あ、いえ……そこまでは別に……」


 もう二度と言わないようにしてもらえれば十分だ。

 ……と言おうとしたソフィアだったが、少年はカラスマ中佐に向かって「あっかんべー!」と舌を出して消えてしまった。


「意識がはっきりしてるみたいで安心した。魔物化一歩手前だったから、心配だったんだ」

「そんなところまで、いっていたんですね」


 魔物化一歩手前と聞いて、ソフィアは薄ら寒さを覚えた。

 彼女のような重度の魔蝕症患者は、発作を放置すると、魔物と化す危険があるのだ。

 完全に魔物化してしまえば、たとえ元人間であろうと討伐対象として扱われることになる。

 だから、それを防ぐために、ソフィアにはどうしても薬が必要だったのだ。

 彼女がヒースコール家を逃げ出せなかった、最大の理由である。


「そういえば、ちゃんと名前を言ってなかったよね。王国軍医療部隊副長、イオリ・カラスマ。普段は軍医として衛生部に所属しているんだけど、たまにああして戦うこともあるんだ。いきなり荒っぽいところを見せて申し訳なかった」

「いえっ、大丈夫ですっ! お気になさらないでください」


 ソフィアは失礼にならない程度に、カラスマ中佐の姿を改めて確認してみる。

 キッチリした礼服ではなく、少しだけくたびれた白衣をまとった彼は、舞踏会の時以上に親しみを感じる。

 作り物のように見えていた美しい顔も、今はどこか温かみがあった。


「ああ、あの()()()()()シュナイダー少尉だけど、あっちもガッチガチにシメといたからね。市民に剣を向けて謹慎処分になったから、しばらくは新聞やラジオにも出られないはずだ。もし本人からの謝罪を求めるなら、今すぐここに引きずってくるけど」

「い、いえ、結構です……」


 ソフィアと二人きりの空間となれば、もはや悪口を隠す気もないらしい。

 所作や表情はとても優しそうな人なのに、節々に口の悪さが滲み出ていて、紳士なのか不良なのかよく分からなかった。


「カラスマ中佐……あの時、どうして私に魅魔血を飲ませたのですか?」

「ああ、ヌイから魅魔血のことを聞いたのかな?」


 ソフィアが気になっていたことを聞けば、カラスマ中佐はベッドのそばに置いてあった椅子に腰を掛け、ゆったりと落ち着いた声音で話し始めた。


「あれは応急処置だったんだ。僕の血には、病魔の因子に対する抗体も含まれているからさ」

「病魔への、抗体……」

「そう。重度の魔蝕症患者の発作にもてきめんに効く、かなり強力な抗体だよ」


 そういえば、過去に読んでいた本にも『血液に病魔因子への抗体を持つ人間が稀にいる』といった記述があったな、とソフィアは思い出す。

 けれど、それを知った当時は、「そんな都合のいい話があるのだろうか」とさして信じていなかった。


「抗体を持つ方って、本当にいたんですね……」

「抗体を持っている人物を知っているのは、王国軍のごく一部だけだからね。一般市民が都市伝説だと思うのも無理はないだろう」


 カラスマ中佐は申し訳なさそうな顔をして、ソフィアに謝った。


「ごめんね。血を飲まされたなんて、あんまり気分のいい話じゃないと思う。でも、発作を止める有効打はこれしかなかったから……」

「そんな、謝らないでください! むしろ、ありがとうございました」


 あの時、カラスマ中佐が迅速に駆けつけてくれなければ、本当に危なかったのだ。

 あと少し遅ければ、ソフィアは魔物化して人を襲ってしまっていたか、あるいはシュナイダー少尉に斬り捨てられていただろう。


「君が今まで服用していたヒースコール社の薬は、植物由来の素材で作られたものだ。中等度以下の患者にはこれで十分なんだけど、重度の患者への効果は薄い。よくこれで吸血衝動に耐えていたなって驚いたよ」


 正直、危なかったことはこれまでにも何回かあった。

 怪我をした人の血を見ると無性に喉が渇いたし、そんなときは水などをがぶ飲みするか、追加で薬を飲むなどして落ち着けていた。

 酷いときには、自分の血を飲んで急場を凌いだこともある。


「……怖かったから、だと思います。魔物になんて、絶対になりたくなかったから」


 王国軍人は正義のために、あるいは地位や名誉のために、必ず魔物を討ち取ろうとする――王国軍人の父を持つソフィアには、それがよく分かっていた。

 魔物になりたくない、殺されたくない、人間でいたい、という恐怖と理性が、彼女をギリギリで繋ぎ止めていたのだ。

 そうでなければ、ソフィアの心はどこかで折れ、発作と共に魔物化していた。

 カラスマ中佐は「そうか……」と重苦しく受け止めたあと、ふっと柔和な微笑みを見せた。


「もう大丈夫だよ。ここなら重症者向けの治療ができるし、ヒースコール家で奉公する必要もない」

「でも……私、お金がなくて、治療費が……」

「心配しないで。僕が全額負担するから」

「えっ?」


 あっさりと言い放ったカラスマ中佐に、ソフィアはぽかんと口を開けた。

 重症化した魔蝕症の治療費は、目が飛び出るほど高額だったはずだ――下級貴族ですら、ポンと出せるような金額ではない。

 それなのにどうして、ソフィアに無関係なはずの彼が、治療費を全額負担してくれるのだろう。


「実は僕、ここに来る前に、ヒースコール男爵にブチ切れて話をつけてきちゃったんだよね。ソフィアさん、あの家で色々と酷い目に遭ってたみたいだから」

「え……ええと? あの、カラスマ中佐、何を……?」


 話が見えてこない。

 彼はヒースコール男爵に怒鳴り込んで、何をしてきたのだろうか。

 やや居たたまれなさそうに笑いつつ、カラスマ中佐は白状した。


「すごーくストレートに要約すると、『ソフィア・アッシュフィールドを即刻手放せ。でなきゃ事が穏便に済まないぞ』って脅してきちゃった」

「…………。脅した……」


 何をするつもりだったんだろうか、この人。

 シュナイダー少尉への激昂ぶりや、病魔との戦いぶりを、ソフィアは思い出す。


「け、結果はどうなりました……?」

「もちろん、同意は得たよ。二度と君に近づかないっていう約束も取りつけた。男爵はかなりビビってたし、夫人も結構強めに脅しちゃったから、もう下手に近づけないんじゃないかな」


 ソフィアを体よく追放できると思っていたヒースコール家にとって、怒鳴り込まれるのは想定外だったことだろう。

 悪逆非道と思っていた死神軍医が、ソフィアの虐待の事実を知って激怒するような人物だったとは、彼らも想像していなかったはずだ。

 というか、当初はソフィア自身も想像していなかった。


「どうして、そこまでしてくださるのですか……?」

「え? どうしてって……どうして?」

「だって、私はただの奉公人です。どうして、貴方のような立派なお方が、こんな取るに足らない女を……」


 王国軍の重要人物たる彼からしてみれば、ソフィアなどそのへんの道端を歩く一匹の蟻のようなものだろう。

 踏みつけられた蟻を丁寧にすくいあげ、助けようとするなんて、ソフィアには理解できない慈悲だ。

 本気で首を傾げている彼女に、カラスマ中佐は答えた。


「理由は色々とあるんだけど……一番は君のお母さんにとてもお世話になったから、かな」

「私の……母に?」

「君に確認したいことがあったんだ」


 カラスマ中佐はそう言って、胸ポケットからあるものを取り出した。

 差し出されたそれを見て、ソフィアは驚愕した。


「両親と、私……?」


 一枚の写真だった。

 両親が二人とも生きていて、彼女もまだ王都の貴族として過ごしていた頃――ソフィアが四歳の時に撮った写真だ。

 

「やっぱり、君がその娘さんだったんだね」

「どうして、貴方がこれを……!?」

「君のお母さんが王都を出る時に、落としていったんだ」


 一体なにがどうなっているのだ、とソフィアは信じられない気持ちだった。

 そんな彼女に、カラスマ中佐はどこか嬉しそうな表情で、経緯を語り始めた。


「君のお母さん――エミリアさんには、子供の頃に会っていてね。たくさん世話を焼いてもらったんだ。その後、エミリアさんの訃報を聞いてから、写真の娘さんはどうなったんだろうって気になっていた。だから、その写真だけを頼りに、情報屋を使いまくって探してた。で、先日、ヒースコール男爵家にそれらしい女性がいるのをやっとつきとめて、会わせてほしいと手紙を送ったわけだ」


 カラスマ中佐はどこか寂しそうな目で写真を見た後、驚愕しきりなソフィアのほうへ視線を移す。

 安堵と歓喜の表情だった。

 

「生きていてくれて、本当によかった。見つけるのが遅くなって、ごめんね」

「……いいえ。見つけてくれて、ありがとうございました」


 気づけば、ソフィアの目には涙が浮かんでいた。

 実験台にされるなんてとんでもない――死神軍医は、行方知れずになっていたソフィアの身をずっと案じてくれていたのだ。


「私も、貴方にお会いできてよかった」


 傷だらけになっていた心が、じわりと温まっていくようだった。

 母が結んでくれたこの縁に、ソフィアは運命を感じずにはいられなかった。

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