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3.舞踏会にて

「まるで魔女のようね。勘違いした軍人様たちに剣を抜かれないように気をつけないと」

「まあ。酷いわ、リリー。ドレスを選んでやったのはあたくしよ。それとも、ケガレには相応しい格好という意味かしら?」

「もちろん、そういう意味よ。さすがはお母様! 地味で根暗なソフィアにはぴったりね」


 ヒースコール夫人とリリアーネが嘲笑するのもむべなるかな、とソフィアは平然としていた。

 夜闇の色をした質素なドレスをまとい、黒い髪飾りやレースで飾った姿は、まるで童話に出てくる魔女のようだ――と彼女自身も思ったからだ。


(不安になることはない……私は特に何もしなくていいのだから)


 馬車を降りたソフィアは命令どおり、彼らの後ろに静かに控えていた。

 会場入りしても、相手の目を引くような行動は一切とらない。

 話しかけられても会話は必要最低限に留めていた。

 ……はずなのだが。


「いやはや、さすがヒースコール男爵のご息女だ! 気品が違いますな。……え? そちらはご息女ではない、と?」

「よければ、今度は我が社で食事会でも……ええ、もちろん! 後ろのお美しいお嬢さんもご一緒に……」


 なぜか、男性たちの視線が、リリアーネではなく自分に注がれている気がする。

 どういうことだ、どうしてみな一様に、リリアーネではなく自分を褒めそやすのだ。

 おかげで夫人とリリアーネの表情がどんどん険しくなっていくものだから、ソフィアは無数の針で背中を小突かれているような気分だった。


「すみません。私、人混みで酔ってしまったみたいで。少し休んでいてもいいでしょうか?」


 二人の睨むような視線に耐えるのも限界だ。

 ソフィアはあえて、彼らから離れることにした。


「まったく情けない。自己管理がなっていないわね」

「ふん、お好きになされば! 行きましょう、お父様、お母様」

 

 彼女たちはそう吐き捨てて、さっさと人の輪の中に入っていく。

 ソフィアは人の少ない場所へ避難し、しばらく壁の花になることにした。


(どうしてみんな、私に声をかけていたのかしら……私なんかより、お嬢様のほうが魅力的でしょうに……)


 リリアーネは明るく社交的で、見た目も愛らしい。

 臆病でまともに会話ができないソフィアなど、足元にも及ばない。

 なのに、どうしてあんなに声をかけられたのだろう……もしや、会話に入らないでいるソフィアに気を遣っていたのだろうか。

 そんなふうに首を傾げていると、突然、彼女の視界がぼやけた。


「え? あれ、眼鏡が……」

「やっぱり。君はこの方が美しいね」


 ソフィアは顔に触れ、眼鏡がなくなったことに気づく。

 それとほぼ同時に、いつの間にかソフィアの近くに来ていた金髪碧眼の若い男が、耳元で甘く囁いた。


「どうしてこんなものをつけているんだい? 君の本来の美しさがかすんでしまっているよ」


 ぞわっ! と全身に悪寒が走る。

 この男、ソフィアを口説いているつもりなのか分からないが、こともあろうに彼女の大事な眼鏡を勝手に取り上げたのである。

 

「っ、か、返してください! それがないと、私……」


 ソフィアは慌てて眼鏡を取り返そうとするが、男は「まあまあ」と笑って宥めるばかりで、一向に返してくれない。

 裸眼視力が極端に低いソフィアにしてみれば、面白半分で命綱を外されているようなもので、冗談にしてもたちが悪すぎる。


「そんな顔をしないでくれよ。私は君をダンスに誘いたいだけなのに、まるで虐めているようじゃないか」

「い、いや……私は結構ですっ……!」


 ソフィアが壁際に立っているのをいいことに、男は壁に手をついて顔を近づけてくる。

 香水をつけすぎたのか、強烈に甘い匂いがして鼻が痛い。

 だというのに、男はソフィアを逃がすつもりがないようで、状況は最悪だった。


「怖がらないで。ほら、大丈夫」


 ソフィアがあえて顔を背けているのに、男はわざわざ彼女の顎を持ち上げて上向かせる。

 単に恥ずかしがり屋なだけだと思われているのなら、冗談じゃない。

 顔を見てと言われても誰だかわからなくて怖いし、においと嫌悪感で吐きそうだし、もう限界だ。


「シュナイダー少尉。そこでなにをしている」


 ソフィアが本気で男を突き飛ばそうかと考えた時、彼女の救世主が現れた。


「そのご令嬢が嫌がっているのが分からないのか?」 

「……!? カラスマ、中佐……!」


 その男の顔は、視界がぼやけているせいでよく見えない。

 けれど、色だけは分かる――彼の肌は、生き物として奇妙なほど真っ白だった。

 生身の人間らしい血色が一切ない、まるで銀幕の中からそのまま出てきたような白黒の姿だ。


「た、ただのご挨拶ではありませんか。私は彼女をダンスに誘おうとしただけで……」

「黙れ。お前は今、そのご令嬢を脅かしている、とはっきり言わなければ理解できないか?」


 ついでに、この迷惑男の正体は、今をときめく英雄――アレックス・シュナイダー少尉らしい。

 リリアーネという許嫁に顔合わせに来ているはずなのに、他の女性を口説こうとするなんて、どういう神経をしているのか。

 上官に怒られて萎縮している姿は、この上なくみっともなかった。


「“国の英雄”だからといって、なにをしても許されるわけじゃない。今すぐ彼女から離れて、取り上げたものを返せ」


 いつまでも離れようとしないシュナイダー少尉に腹を立ててか、カラスマ中佐の語気もだんだん強まってくる。

 すると、ようやく諦めたのか、シュナイダー少尉が


「いい雰囲気がぶち壊しだ」


 とボソッと言い捨てた。

 そして、ソフィアから取り上げた眼鏡を返し、興ざめだと言わんばかりの空気を漂わせながら去っていく。


「君、大丈夫? 顔色が悪いようだけど」


 先ほどまでの鋭い威圧感はどこへやら、カラスマ中佐はソフィアに優しく声をかけてくる。


「大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございました」


 ソフィアが眼鏡を掛け直し、ぺこりと頭を下げると、カラスマ中佐は「いいんだよ」と返した。


(あ……すごく綺麗な人)


 明瞭になった視界でカラスマ中佐の姿をとらえ、ソフィアは思わず見とれた。

 シミ一つない白磁器のような肌と、木炭で塗り潰したような瞳。

 東国系の中性的な顔立ちに、細身の体躯(たいく)

 黒髪は魔石の(かんざし)で団子状にまとめていて、東国風の漆黒の衣装に身を包んでいる。

 男性の見目にそれほど興味のないソフィアでも、カラスマ中佐は別格だということは分かる。

 ただ、どうしてだろうか――その美貌からは非生物的な、作り物めいた雰囲気も感じられた。


「あそこのバルコニーに行くといい。風がよく通るから、楽になると思うよ。よければ、そこまで送ろうか」


 カラスマ中佐が自分の腕に掴まるよう促すので、ソフィアはおずおずと掴まり、誘導してもらう。

 まさか、没落した貴族の自分が、男性にエスコートされる日が来るとは……とソフィアは不思議な心持ちだった。


「僕も少しここにいていいかな? 踊るのは苦手なんだ」


 月明かりの差し込むバルコニーまでやってきたところで、カラスマ中佐は手すりに身を預けながら尋ねた。

 ソフィアは「ええ、いいですよ」と快く受け入れた。

 カラスマ中佐の所作は実に紳士的で、雑な感じがしない。

 ソフィアとの距離を適切に保ってくれているのが分かるので、怖がりな彼女でも安心感があった。


「にしても、災難だったね。顔面で押し切ればなんとかなると思ってるのかね、あのバk……シュナイダー少尉は」


 ――今、バカって言いかけましたよね。という余計な台詞は引っ込め、


「まあ、彼は人気もありますから」


 と、無難な返事をする。

 シュナイダー少尉にはきっと、『自分は世間から愛されている』という自信があるのだろう。

 特に男性としての魅力には相当な自信があると見える。

 微笑みを浮かべて甘く囁けば、ソフィア程度の女などイチコロだと思ったのかもしれない。


「しかし、お戯れとはいえ、どうして私に声をかけたのでしょう」

「君がひときわ美人だったからじゃないかな? あいつは好みの女性を見かけると、ああやってゴリ押しして距離を縮めようとするんだ」

「美人なんてとんでもありません。……私はお嬢様の引き立て役ですから」


 ヒースコール夫人も、リリアーネも、ソフィアのドレス姿を見て鼻で笑っていたくらいだ。

 なので、ソフィアはこんなことになるなんて、思ってもみなかったのだ。

  

「ああ、そういうことだったのか。さすがに無理があるよ、あれは」

「? どうしてですか?」


 不思議で仕方がないソフィアに、カラスマ中佐は言う。

 

「実は、君が男爵たちと一緒にいるのを、遠くから見ていたんだけどさ。君かあの子かって言われたら、大体の男は君のほうを選ぶと思うよ」

「そんな……私、会話もほとんどしていないんですよ」

「会話なんてしなくても、格好や仕草からして、君のほうが上品だって分かるもの。あの三人の顔を立てて、慎ましやかに笑っているなんて、いかにも軍人好みの女性って感じだ」

「でも、お嬢様も明るくて魅力的ではありませんか?」

「あの子は喋りすぎだ。社交的をはき違えているというか、落ち着きがなくて子供みたいだね」

「そう、ですか……」


 ソフィアは意外な気持ちで、軍人目線のカラスマ中佐の意見を聞いていた。

 リリアーネは父親の同業者からの評判はいいそうだから、商売人の観点からすれば、彼女の可愛らしい見た目と社交性は好印象だったのだろう。

 しかし、軍人ばかりが集まるこの場では、求められるものが違っていた、ということらしい。

 

「君を()()にしようったって無理無理、()()があるのはあっちだもの」

「……ふふふっ。軍人さんもジョークを口にすることがあるのですね」

「これも処世術のうちだからね」


 軍人にしてはややゆるい印象のカラスマ中佐だが、こんなふうに人を笑わせてくれる軍人も悪くはない、とソフィアはつい頬を緩める。


「少しは嫌な気持ちも晴れたかい?」

「ええ。おかげさまで」

「それはよかった。顔色もよくなったね」


 外の空気に触れたり、会話しているうちに、ソフィアはいつの間にか落ち着きを取り戻していた。

 基本的に男性が苦手なソフィアだが、カラスマ中佐の柔和な雰囲気のおかげか、非常に気が楽だった。


「ねえ、君。ひとつ確認させてほしいんだけど――」

「ちょっと、ソフィア! 何をしているの!」


 カラスマ中佐が何かを言いかけたところで、和やかな空気を切り裂くように、少女の甲高い声が響いた。

 びくっと肩を震わせながら振り返れば、ツカツカとヒールを鳴らして近づいてくるリリアーネと目が合う。


「どこで油を打っているのかと思えば! 自分の立場が分かっていて!?」

「も、申し訳ありません、お嬢様……いたっ!」


 リリアーネはソフィアの腕を乱暴に掴み、会場の方まで無理やり引っ張っていこうとする。

 当然、痛いです、というソフィアの訴えなどお構いなしだ。

 

「仮病を使って逃げようったってそうはいかないわ! お母様に言いつけて……」

「失礼、リリアーネ嬢」

「は? なによ――」


 不機嫌なのを隠さないまま、声のする方へ振り返るリリアーネ。

 しかし、彼女が言いかけた文句は、相手の顔を見た瞬間にどこかへ吹っ飛んでしまったらしい。


「私がソフィアさんを引き止めていたのです。お咎めでしたら彼女ではなく、どうか私のほうに」

「え、あ……」


 カラスマ中佐の美貌は、さほど男に興味のないソフィアですら、見とれてしまうほどだ。

 リリアーネの顔は、たちまちほの字と言わんばかりの桃色を帯びた。


「い、いえ、そんな……私の使用人がご迷惑をおかけしたようですわね」

「とんでもない、とても礼儀正しいお嬢さんでしたよ。さすがはヒースコール家の使用人、教育が行き届いていらっしゃる」

「あ、あらあら、ほほほ……」


 格下のソフィアを持ち上げられたのと同時に、ヒースコール家のことも褒められてしまい、リリアーネはどう返せばいいのか分からなかったらしい。

 彼女は笑って誤魔化しつつ、ソフィアの手を引っ張り、にこやかに微笑むカラスマ中佐から離れた。


「あ、あの……お嬢様……あの方は、私の体調を心配して声をかけてくださって……」


 あらぬ誤解をしていそうなリリアーネに、ソフィアは弁明した。

 自分だけならまだしも、親切にしてくれたカラスマ中佐まで悪しざまに思われてしまうのは心苦しい。

 けれど、リリアーネは弁明など欠片も聞かず、ぐるっとソフィアのほうを振り返った。


「そんなことより、貴方。さっき、私のアレク様を誘惑していましたわよね?」

「え? いえ、そんなことは……」

「していない、とは言わせないわ。アレク様、私と会話していた間も、ずっと貴方がいるほうを見ていたもの!」

 

 悔しそうに睨んでくるリリアーネだが、ソフィアはシュナイダー少尉のことなど欠片も気にしていなかった。

 彼のふしだらな一面を知った今となっては、むしろ、じっと見られていたという事実を聞いただけで寒気がする。


「……まさか貴方。彼を惑わせて、ここから駆け落ちでもする気だったの?」

「えっ!? そ、そんなことはありません……!」


 その推測は、あまりに穿(うが)ちすぎである。

 確かに、これから顔を合わせるであろう死神のことは怖くてたまらないし、逃げたい気持ちも少なからずある。

 しかし、だからと言って、シュナイダー少尉を篭絡するという発想など、ソフィアがするわけがない。


「なんて卑しいのかしら! 人の婚約者を横から奪い取ろうなんて!」

「ご、誤解です、お嬢様……! 本当に私は何もしていません……!」


 シュナイダー少尉から一方的に絡まれて怖い思いをしたのに、リリアーネからもあらぬ疑いをかけられて、ソフィアは泣きそうだった。

 周囲の視線もどんどんこちらに集まってきているから、なおのこといたたまれない。

 例の死神がこの場にいるなら、いっそのこと今すぐこの場から攫ってくれないだろうか。

 この状況から逃げ出せるなら、行き先が地獄だろうと構わない気さえした。


「おい、今すぐ客を避難させろ! ()()()()()!!」


 不意に、大広間のどこかで、誰かが叫んだ。

 軍人らしい野太い声が響き渡り、あたりは水を打ったように静まりかえった。

【茶柱のつぶやき】

昔見た少女漫画で、ヒロインの眼鏡を取り上げる男がいたんですが、見た瞬間「危ないからやめな!?」ってトキメキが一気に冷めたのを覚えています。

視力が0.1以下の人間からすると、メガネなしは冗談抜きで動けなくなるのです。本当。

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