4.合格のご褒美
なんというか、夢でも見ていたんじゃないか。
ここ最近、新聞やラジオを目にする度に、ソフィアは怒涛の勢いで駆け抜けて行った一連の出来事を思い返す。
新聞やラジオで喧伝されている中でも、特に王国の伝説と化しつつあるのは、『王国の英雄』と称えられた軍人、アレックス・シュナイダーの大失言だ。
彼は公共のラジオ放送で『魔蝕症の患者に対する差別的発言』、『一般市民に対する暴言』、『上官に対する虚偽告訴』と、短時間で三つの不祥事を起こした。
さらに一部の雑誌では、“婚約者ではない一般市民の女性”をしつこくつけ回していた疑惑まで報じられている。
当然、市民の熱狂も女性たちの恋心も氷点下まで冷え切り、アレックスは今や『偽りの英雄』と呼称されるまでに至った。
また、アレックスの父・シュナイダー中将が立てた戦績についても、不正疑惑が浮上――現在は再調査がなされており、まだまだ火種は尽きそうにない。
一方、アレックスの不祥事ほどのインパクトはないにしろ――フローラル・フェストの会場内で起きた、霊獣の暴走事故も、それなりに大きく取り沙汰された。
事故を起こした魔法学校の生徒は、『あまりにも魔術師としての倫理意識を欠いている』との判断から退学処分となり、教員たちはしばらく後処理に追われることになったという。
が、問題が大きくなったのはこの後のほうだ。
退学処分となった生徒は、自身の使用人に悪意を持って危険な薬物を与え、重篤な発作を引き起こさせてもいた。
その危険な薬物が、生徒の父が運営する製薬会社・ヒースコール社で製造されていたものだと発覚すると、世間は動揺と不安に包まれた。
王国でも歴史あるヒースコール男爵家とシュナイダー子爵家――この二家が爵位を剥奪されるであろうことは、もはや論をまたない。
とはいえ、イオリによれば、まだまだ解消されない謎も多く、調査は引き続き進めていく必要があるらしい。
さすがにその詳細は伏せられたが、少なくともソフィアの安全を脅かす存在は排除された――と彼は語ってくれた。
――この一連の騒動は、後の世に残すべき不名誉な出来事として、王国の歴史に記録されることになるのだろう。
ソフィアが自身の胸の内でそう締めくくるのは、もう少し先の話である。
*
「すみません、ニコラさん。お仕事前にわざわざお時間をもらって……」
「いーのいーの! ソフィアちゃんの恋バナを聞けると思えば、これくらい!」
フローラル・フェスト本番の日――ソフィアは医療部隊の更衣室を借りて、ニコラに身支度を手伝ってもらっていた。
というのも数日前、ソフィアが街で目にした『ユカタ』に興味を示したので、どうせなら祭の日に着てみるかとイオリに提案されたのだ。
「ほい、できた! どお?」
「わあ……素敵ですね……! 軽くて涼しいし、この結ぶコルセットも可愛いです」
「でしょぉ~! 『ヘコオビ』って言って、種類がめっちゃあってね! なにより結べばいいだけだから、覚えちゃえばコルセットより楽に着られるんだよ!」
姿見に映る自分を見て、ソフィアの気分は一気に高揚した。
フリルやレースをふんだんに使い、形そのものを華やかにするのが王国の服だが、東国の服は色そのものが非常に鮮やかだ。
ソフィアが選んだのは、薄紅色の『ハナミズキ』と呼ばれる花をあしらったユカタだ。
着る前は少し色が派手かと思ったが、却ってそれが白髪や赤い瞳にもよく馴染み、着る人と服が両方とも引き立てられている……気がする。
「ていうか、ウチは全然かまわないんだけど、ウチより副長が着付けた方がよくない? ほら、ウチは旦那が東国系の人だから、着方は知ってるけどさ。一番この手の服に慣れてるの、あの人じゃん」
「えっと……多分ですけど、この穴から手を通すのに、抵抗があったのではないかと……」
着付け前までは、ソフィアも首を傾げていた。
けれど着付けている最中、ニコラがユカタの脇の下に開いた穴(『ミヤツグチ』というらしい)から腕を入れた瞬間――ソフィアは悟ったのである。
――確実に、手が胸に当たることになる、と。
「ああー……え? じゃあ、ソフィアちゃん、今もまだノータッチ? えっ、待って、マジで? 副長とどこまでいったか聞いていい?」
「……ご想像にお任せします。おそらく、それで合っているので……」
「…………純粋かよ、あの男」
――いいえ、お互いにそこそこ不純です。
とはさすがにソフィアも言えないので、黙っておく。
(何度かいい雰囲気にはなってる、はずなんだけどな……)
ソフィアに気を遣っているのか、それともあの人が意外と奥手なのか。
どちらにせよ、ソフィアから行動を起こさない限り、状況は膠着しそうな予感だ。
イオリは変態と自虐してはいるものの、根っからの紳士だし。
「ふーん……よし、じゃあソフィアちゃんに一つ、魔法の呪文を伝授してあげよう」
「魔法の呪文?」
「そう。特に副長にはてきめんに効く呪文だから、ここぞ! ってときは遠慮なく使うんだよ!」
「は、はい……! が、頑張ります?」
ソフィアは少し屈み、ニコラの口に耳を寄せる。
「いーい? 副長はね……」
*
本番ということもあり、二日目の会場はより賑やかになっていた。
会場の至るところが満開の花で彩られており、初夏の爽やかな風がよりいっそう雰囲気を引き立てている。
昼間はイオリと会場を歩き回って、催し物を思い切り楽しみ、いよいよ終盤――
「花火って、こんなに色鮮やかなんですね……」
ソフィアは夜空に咲く大輪の花に釘付けになっていた。
打ち上げの際の大きな音には、体が少しビクッとしてしまうが、それでもいい眺めだ。
「東国から持ち込まれた技術なんだよ。花火玉の中に仕込む材料を変えて、色を変えてるんだってさ」
「へえ! てっきり魔法で色を変えているものだと……東国にもすごい技術がたくさんあるんですね」
「あはは、そう言われると誇らしくなるね。自分のことじゃないんだけどさ」
郊外に住んでいた時は、王都のほうから大きな音がする度に、なんだろうと気になっていたが、まさかこんなに綺麗なものが上がっていたとは思わなかった。
初めての連続で、ソフィアはずっと興奮している。
(でも、さすがにはしゃぎすぎだったかしら……)
はしたない真似はしないように心がけていたつもりだが、それでもたくさん遊んで体力を使ったせいか、喉が渇いてきた。
売店で買った飲み物もすべて飲みきってしまったし、さてどうしようかとソフィアは思案する。
(あと一時間くらいは外にいるから……我慢は無理かも)
また飲み物を買って誤魔化すことも考えたが、反動で吸血衝動が起きようものなら、帰宅のさなかにイオリを襲ってしまいかねない。
……堪え性がすっかりなくなってしまったものだ。
「すみません、イオリさん。喉が渇いてしまいました……」
「おっと、それはまずいな。……あっち行こうか」
花火を見上げている人混みから離れ、人目がつかない建物の隙間に隠れると、ソフィアはイオリのユカタの隙間からちらりと見えている首筋に、早速噛み付いた。
花火の音と周囲の雑音で聞こえないだろうに、イオリは必死に呻き声を抑えていた。
「……ッ、大丈夫? ちゃんと遠慮しないで飲んだ……?」
「はい。じゃあ、失礼しますね」
ソフィアは何度も練習してきた循環回復術を使い、噛み跡を止血、修復させていく。
多少跡が残ってしまうのが惜しいが、傷そのものは癒せるようになったはずだ。
治療したところを、イオリが手で触って確かめた。
「お、上手に治せるようになったね。これは文句なしの合格だな」
「本当ですか!」
「うん。このレベルの治癒が安定してできるようになれば、即戦力として働けるくらいだよ。すごいじゃないか、こんなに短期間で修得するなんて!」
「……っ! ありがとうございます!」
まだまだ道半ばだし、イオリの手腕には遠く及ばないが、こうして褒められるのはやっぱり嬉しいものだ。
「せっかく頑張ったんだし、ご褒美にソフィがほしいものをあげるよ。なにがいい?」
「ご褒美……ご褒美、ですか」
「ああ、血とかはナシね。必要で提供しているものは、ご褒美としては相応しくないから」
普段からねだらないものにしてほしい、ということだろう。
確かに、ソフィアもできれば特別なものをもらいたい。
もっと贅沢を言うなら――イオリでなければもらえないものだと、より嬉しい。
ソフィアはここで、ニコラに教えてもらった『魔法の呪文』を思い出した。
「……あの、では、イオリさん。私の眼鏡、外してもらってもいいですか?」
「え? いいけど、なんでそんなこと……」
「だって…………――のとき、邪魔になる、から……」
「!」
恥ずかしくなって、肝心な部分だけが小声になってしまったけれど、イオリの耳にはちゃんと届いたらしい。
イオリはしばらく恥ずかしそうに口元を隠していたが、やがてソフィアの眼鏡を両手で外して、ゆっくりと唇を重ねてくれた。
「……いや。これ、いつもしてるじゃん。ご褒美にならないよ。というか、なんて殺し文句を思いついてるんだよ、君は……」
「教えてもらったんです……イオリさんは、『眼鏡ふぇち』? だから、絶対に効くだろうって……」
「んな……ッ!?」
眼鏡ふぇち、が何を意味する言葉なのかは、正確には分からない。
が、イオリの顔が驚愕とともに赤みを増したのを見ると、どうやら彼にとってはそこそこ恥ずかしい事実だったようだ。
「ちょっと待って、それ情報源どこ!?」
「ニコラさんです」
「……っ、ニコラかぁ~……ニコラは……さすがにしばけないな……」
――多分、犯人がヌイだったら拳骨のひとつもくれていたのだろうな。
そんなことを考えつつ、ソフィアはさらに踏み込んでみる。
「イオリ、さん……その、ずっと気になってたんですけど、ここから先って、してくれないんですか……?」
「ッ!? こっ、ここでそれを聞くの……!?」
ソフィア自身、どうかしているとは思う。
しかし、本来気が小さいソフィアにとっては、気が大きくなっている今こそが勝負時だ。
「や、あの……そりゃ、別に、したくないわけじゃない、けど……」
「じゃあ、それがご褒美では、ダメ、ですか……?」
「はっ!?」
さらに押されて、いよいよ目を白黒させるイオリ。
それでも、やぶさかではないのだろう――ソフィアから顔を逸らしつつも、横目でじっと見て……
「っっっいや、それはさすがにダメだろ……っ! 今からそこまで手を出すわけには……!」
と、強固に顔を覆い隠した。
「手を出すのがイオリさんなら、母は文句を言わないと思います」
「ぐっ!? そこでエミリアさんの名前を出すのはずるくない……!? いや、そういう問題じゃなくて! 婚姻前の女の子にそんな無責任なことできないって言ってんの!」
「なら、責任をとってください。……私を娶るのが貴方なら、きっと母も安心すると思います」
ふざけていても、悪態をついていても、根は真面目で誠実なイオリだ。
恩人の娘に暴挙を働くことなど絶対にありえない、とソフィアは確信していた。
「君、自分が何を言ってるのか分かってる!?」
「分かってますっ! ちゃんと分かって、考えた上で、イオリさんじゃないと嫌だって思ったんです……」
シュナイダー少尉ほど酷い相手に遭遇することはもうないと思いたいが、イオリ以上に相性がいい相手と出会える気もしない。
なにより、ソフィアはもう、イオリの血の味を忘れることなどできない。
仮に、他の人の血で喉の渇きを凌ぐことはできたとしても――心まで満たせるのは、イオリだけだ。
「言い逃げも、誤魔化しも、もうしませんからっ……だか、ら……っ!」
頑張って押しているが、さすがにソフィアの恥ずかしさも限界を超えようとしていた。
これで断られたら、もう打つ手がない。
ダメだったら諦めよう……とソフィアは少しだけ俯いた。
「……あーもー……半泣きで言う台詞じゃないだろうに……」
イオリはスー……と深く息を吸って、肺の空気を全て絞り出すように息を吐く。
「……わかった。じゃあ、本当にそれがご褒美でいいんだね?」
「……っ」
ソフィアはこく、と小さく頷く。
そして、少し勇気を出して、もう一度イオリの顔を見た。
「言っておくけど、加減はもうしてあげられないよ。覚悟しといて」
――完全に、本気を出した目だった。
色鮮やかな花火の光が顔を照らす中でも、イオリの瞳だけは、何にも染まらない純黒をしていた。
これまでにない『男性み』の強い表情に、ソフィアは少し怯んでしまう。
「……っ、あ、でも、多少は、お、お手柔らかに……」
「ダメ。こんだけ煽ったんだから、ちゃんと覚悟しなさい」
「っ……は、い……」
念を押されて、もう一度頷く。
顔じゅうがひりひりと熱くて、今にも火が出てしまいそうだ。
「ん。……じゃあ、帰ろうか」
人々が花火に注目している中、人の気配から逃れるように、イオリが歩き出す。
握った手は火傷しそうなほど熱くて、今すぐ溶けてしまうのではないかと思った。
【茶柱のつぶやき】
イオリが直球に溺愛するタイプなのは初期から決まってたんですが、ソフィアがここまで頑張って押す展開が出てくるとは、正直意外でした。
普段は押せ押せな側が、いざ押されるとたじたじになるやつ、大好きです。




