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死神軍医と臆病ヴァンピール ~ケガレた私の処方箋〜  作者: 茶柱まちこ
5章 フローラル・フェスト(後編)
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1.臆病者の反逆

 教えてもらえなかったことに不満はない。

 ……ただ、不安なのだ。 

 ソフィアは物思いに耽りながら、西日の色に染まった魔法学校の廊下を歩いていた。

 ――大手製薬会社のヒースコール社で、魔蝕症の発作を促す薬が製造されていた疑いがある。

 そんな話が新聞やラジオなどで報じられれば、国全体に衝撃と混乱をもたらすことになるだろう。

 それくらい重大なことを知ってしまったからこそ、ソフィアは不安なのだ。

 ――イオリはもしかして、軍医の仕事以上に危ない任務に関わっているのではないか。


(私、きっと守られてたんだ)


 イオリに導かれ、今まで使えなかった魔法も使えるようになっていくうちに、少しずつ強くなれた気がしていたが、とんだ思い上がりだった。

 自分はぬくぬくとした安全地帯で、何も知らされないまま、保護されていただけだったのだ。

 誰かからの悪意や危険に怯えることなく、イオリや周囲の人々に守られていた。

 無論、ソフィアが危険を察知できなかったのは、気づかないように仕向けられていたからなので、致し方ない部分もある。

 とはいえ――イオリが事件解決のために奔走している中、ずっと能天気に過ごしていた自分に、ソフィアは腹が立った。


(……イオリさんがよく笑っていた理由も、分かった気がする)


 イオリは、事件に関わってしまったソフィアを不安にさせないため、本来以上に明るく振る舞い続けていたのかもしれない。

 そして自分は、その苦労にもまったく気づかないまま、のほほんと暮らしていた。


(……ちゃんと、聞かなきゃ。何も知らないまま過ごすなんて、そんなの絶対にダメ)


 もちろん、すべてを聞かなければ気が済まない、とまで言うつもりはない。

 けれど、ソフィア自身に関わることだけは、知っておかなければ。

 それは自衛のためでもあり、すべてをイオリに背負わせないためでもある。


(私も、強くならなきゃ)


 自分のせいでイオリが傷つくなんて、あってはいけない。

 最低限、自分の身は自分で守れるようにしなければ。

 臆病な自分から、生まれ変わらなければ。

 ……そんな考え事に耽っているうちに、ソフィアはいつの間にか、図書室にたどり着いていた。


「……なにか、他にも使える魔法があるかしら」


 独り言と共に、ソフィアは図書室の中へ足を踏み入れた。

 中には誰もいない。

 コツ、コツ、というソフィアの靴の音だけが、空間にそっと響き渡る。

 なにかいい参考書を見つけたら、後で本屋さんで買おう――と、黙々と本棚を物色する。

 ふと、ソフィアは本棚の一番上の段に気になる本を見つけて、手を伸ばした。


「う~……届か、ないぃ……!」


 身長は平均よりも高いソフィアだが、爪先立ちをしても、あと数センチだけ手が届かない。

 こんなとき、イオリが一緒にいれば、すぐに気づいて本を取ってくれるんだろうな……なんてちょっと甘い想像をしつつ、ソフィアは諦めて踏み台を探すことにした。


「これかい? ソフィア嬢」


 爪先立ちの姿勢から戻った直後、背後から耳元にかかるように話しかけられる。

 気色の悪い、猫を撫でるような甘い声。

 鼻が痛くなるような、香水のきつい匂い。

 なにやら覚えのある嫌悪感が、ソフィアの背筋を稲妻のように駆け抜けた。


「勉強熱心なんだね、君は。令嬢として実に好ましい。傲慢なリリアーネとは雲泥の差だ」

「シュナイダー、少尉……」


 錆びたブリキの人形のように後ろを振り返ると、ねっとりとした微笑みを浮かべるシュナイダー少尉が、ソフィアのすぐ後ろに立っていた。


「い、いやっ……っ離れて、ください!」


 逃げなければ。

 誰もいない図書館の奥では、助けなど期待できない。

 自分の力で抵抗しなければ。

 ソフィアは少尉の体を押しのけようとするが、まだ恐怖が勝っているせいで、腕に上手く力が入らなかった。


「落ち着いてくれ、ソフィア嬢。何もしないから、私の話を聞くんだ」

「いやですっ、離して! 触らないでっ!」


 手首を掴む少尉の手の感触が、どうしようもなく気持ち悪い。

 まるで、大きな毛虫が這っているようだ。

 そうして必死にもみ合っているうちに、懐にしまっていた花のカプセルがぽろっと転がり落ちる。


「あっ……!」


 カプセルがカシャンと音を立てて開いたかと思うと、中に入っていた咲きかけの花が飛び出た。

 少尉の注意が、すぐさま床に落ちた花のほうへ向く。


「これは……サクラ?」


 中身が八重咲きのサクラだと気づいた瞬間、シュナイダー少尉の目尻がぎゅっと吊り上がった。

 少尉は掴んでいたソフィアの手首を放り投げるように離し、落ちた花を拾い上げる。


「そうか、そういえば、祭りの花を渡すとどうの……とかいうジンクスがあったね。しかし、東国の花か……」


 いかにも、東国にルーツを持つイオリを彷彿(ほうふつ)とさせる花だ。

 よそ者嫌いの貴族に渡すべき花ではない。

 シュナイダー少尉は眉をひそめながら、その花を睨んでいた。


「君は本当に可愛らしい子だね。この花がサクラでなければ、もっとよかったのだけど……」

「っ、返してください! その花は、大切なものなんです! お願いですから、返して……っ!」


 それは、イオリに渡すために咲かせた特別な花だ。

 たった二週間ではあったけれど、その中でありったけの想いを込めた、大切な贈り物だ。

 頼むから何もしないでくれ、そのまま返してくれ、とソフィアは懇願した。

 けれど。


「ただの花だろう? 大袈裟な。こんなもの、あの男に渡したところで、なんの意味もない」


 少尉はそう吐き捨てて、花を床に叩きつける。

 そして、ソフィアが急いで拾い上げる前に、かかとで潰すように踏みつけた。


「ぁっ――」


 パキッ、と踏みつけられた花が音を立てたのと同時に、ソフィアの喉の奥から、ほんの小さく声が漏れた。

 彼女の目と鼻の先で、少尉のブーツがぐりぐりとしつこく、花をすり潰していく。


「いくら私でも、不快に思うことだってあるんだよ。先日あれほど警告したのに、どうして君はあの男を慕い続けるんだい?」

「あ、あ――」


 ソフィアの胸の中から、何かがポトッ……と抜け落ちた。

 それは、先ほどまで頭の中を巡っていた、命乞いにも似ている、哀れで悲しい感情だ。

 喩えるなら、目の前で生卵が落ちるのを見たときの、あっ! という一瞬の絶望感。

 それが何倍にも、何万倍にも、増幅されて、引き延ばされて、ソフィアの中で再生されている。


 ――あ……これ、前にもあった……


 踏み潰された花の残骸を目にしてよぎったのは、リリアーネに父の形見の指輪を取られたときの記憶だった。

 思えばあの時、なぜ自分は湧き上がった感情を抑え込んでしまったのだろう。

 状況は同じだったはずだ――大切な宝物を穢されて、そこに込められた想いを踏みにじられて。

 考えるより先に叫び、リリアーネに掴みかかっていたのは、間違いなく――ソフィアの胸に、怒りが宿っていたからだ。

 けれど、ソフィアは最終的に怒る選択をしなかった。

 それは果たして、どうしてか。


 ――ああ、そうか。私、怖かったんだ。


 自分を失ってしまうのが、怖かったのだ。

 怒りでわけが分からなくなって、そのまま自分でなくなってしまうような、あの感覚が。

 病魔に心を蝕まれていくのにも似た、あの錯覚が。


 ――あれは、きっと大きな間違いだった。

 ――私はあの時、怒るべきだった。

 ――そうしなかったから、お嬢様は私を虐めたんだ。


 何をしても怒らない、牙を剥かない、軟弱者。

 何をされても許してしまう……否、許すことしかできない、臆病者。

 どうしようもなく脆く、どうしようもなく怖がりな、弱虫。

 それが第三者から見た、ソフィアという少女だ。


 ――怒らなきゃ。このまま否定させたら、ダメだ。

 ――そうしなければ、私はまたこの人に殺される。


 こんなつまらない男に、イオリへの想いを踏みにじられたままでたまるか。

 この心を好きなようにされて、たまるものか――!


「――る、さない……許さ、ない……っ!」


 涙がこぼれるのと共に、ソフィアの体の芯から、何かがあふれ出た。

 増水した川の水圧が、堤防を内から外へ決壊させるように――ソフィアの怒りが、魔力と共にどうっと爆発した。


「なっ、ソフィア嬢っ……!?」

「許さない……! イオリさんのための、大切なお花だったのに……っ! 絶対、壊されたくなかったのに!! 絶っ対に許さない……!!」


 今まで体の奥に封じ込めていた魔力が、一気に解放されたのだろう。

 恐ろしい力だと、ソフィア自身も感じていた。

 けれど、今更抑えたりはしない――ソフィアはもう、怒ると決めたのだから。


「落ち着くんだ、ソフィア嬢……た、確かに乱暴なやり方だったが、あれは君の目を覚ますためで――」

「黙ってください!! 私は何度も何度も嫌だって言ったのに!! どうしてそんな酷いことをするんですか!!」


 どうして、人が傷つくことを平然と行えるのだ。

 どうして、何度言ってもやめてくれないのだ。

 どうして、私の恋を否定し続けるのだ。

 いくつもの『どうして』が浮かび上がる度に、ソフィアの奥から、激しい怒りがこみ上げた。


「貴方なんて、大っ嫌い!! しつこく私につきまとわないで!!」

「っ、いい加減にしろ! 私の言うことを聞くんだ――」


 シュナイダー少尉が近づいてくる。

 それを拒むように、ありったけの魔力を放つ。

 魔法とも呼べない、ただ魔力をぶつけるだけの攻撃が、少尉の体を後ろへ吹き飛ばした。

 無様に転がっていく少尉を見て、ソフィアは(やった……!)と気を緩めた。


「――うっ!?」


 気を緩めた瞬間――多量の魔力を放った代償が、早くも返ってきた。

 ――喉が、激しく渇く。

 ――喉の渇きが、ソフィアに牙を剥く。

 ――喉から腹へ、皮膚から肉へ、うるさい鐘の音が響くように、信号が伝わっていく。


(だめ……っ! こんなところで、魔物になるわけには……!)


 けれど、ソフィアの意志を飲み込むように、病魔は急速に彼女を蝕んでいく。

 肌に亀裂が入り、ボロボロと剥落していく。


「は、はは……それ見たことか。無理やり魔力を使ったツケが返ってきた!」


 体を起こした少尉が、再び近づいてくる。

 何とか抵抗を試みるソフィアだが、体に上手く力が入らない。


「だが、同じ過ちはもう冒さない。君が吸血種の魔蝕症だということは知っている。さあ、私の血を飲むといい。今ならまだ助けてやっても――」

「いりません」


 ソフィアはきっぱりと述べ、差し伸べられた少尉の手をぴしゃりと叩く。

 この男に命乞いなど、今更するつもりはない。


「貴方の香水臭い血を飲むなんて、一滴でもまっぴらですよ。そうやって生き延びるくらいなら、殺された方がまだいい……!」

「こ、の……っ!」


 イオリやヌイを見て覚えた悪態をつきながら、ソフィアは抵抗を続ける。

 最期の最後まで、誇り高く散ってやるつもりで言う。


「――まったくもって救いがたい女だ!!」


 抜き放たれた剣が、ソフィアの頭上へ振り上げられる。

 しかし、それが振り下ろされることはなかった。

 舞踏会で銀色の光を放っていた剣は、いまや赤黒く錆びて、無残な有様になっていた。


「な……!? なんで、剣が錆びて……」


 ――鉄を変質させる魔力だ。

 魔蝕症の患者にしか見られない、魔力の変質。

 本来、木属性の性質を持ったソフィアの魔力は、今――金属性の性質を帯びていた。

 ソフィアが冷静に考えていたところで、突然

 バァァン!! 

 と、大爆発が起きたかのように、図書室のドアが弾け飛んだ。


「気持ち悪いんだよ、クソ野郎!!」


 ドスの利いた罵り文句と共に、イオリが遅れて飛び込んでくる。

 真っ黒な弾丸のような勢いの跳び蹴りが、シュナイダー少尉の横っ面に炸裂した。

 先ほどのソフィアの魔力波とほとんど変わらない威力で、少尉の体は再び吹っ飛び、後方の本棚へ激突する。


「ソフィ、飲んで!」


 少尉の上に、本棚から落ちてきた大量の本がばさばさと降り注ぐ。

 その隙に、イオリはソフィアの口へ指を押し込んだ。

 傷口から流れ出た魅魔血が、彼女の喉の渇きを急速に癒やし、発作を鎮めていく。


「――っのおお! どいつもこいつも私を……」


 本の山からシュナイダー少尉が顔を出す。

 蹴られたときに口を怪我したのだろう――整っていた輪郭は大きく真っ赤に腫れ上がり、口の端からは血を流し、ついでに歯も一本折れていた。


「こっちだ!」


 イオリはソフィアを立ち上がらせると、腕を引いて走り出した。


「待てぇええ!! 逃がさんぞ、死神ぃい!!」


 新聞の一面を飾っていた美貌はどこへやら、憤怒に駆られた少尉の顔は、今や魔物も顔負けの迫力だった。

 日も沈んだ屋外に出たイオリは、そのまま近くの転移装置を作動させる。

 すっと体が溶けていくような感覚の後、二人は祭の会場の入出ゲートまで移動していた。

 しかし。


「あ……っ!」


 ソフィアは、目の前の光景に、血の気が引いた。

 ゲートの周辺を、二人を待ち構えていた王国軍の衛兵たちが囲んでいる。


「ははははっ、馬鹿め! まんまと引っかかったな、死神!!」


 後から追いついたシュナイダー少尉が、声を上げて笑う。

 二人を囲んだ衛兵たちは、皆揃って、武器を構えていた。

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