5.失墜
「ぐっ、ンンンッ……! ――はあ……ソフィ、落ち着いた?」
「はい。イオリさんは大丈夫ですか?」
「平気だよ、ありがとう」
事態が収束した頃には、既に日が傾いていた。
魔法学校の一室を借り、手早く吸血をさせてもらった後、ソフィアとイオリは祭の救護所へと向かう。
救護所となった学校の敷地は、事故の負傷者で埋め尽くされていた。
救護スタッフとして控えていた医療部隊の隊員たちが、慌ただしく応急処置にあたっている中、負傷したスピラーもまた、レベッカの応急処置を受けていた。
「レベッカさん。スピラーはどうですか?」
「大丈夫よ、大した怪我じゃないわ。ソフィアちゃんがすぐに治癒してくれたから、深刻な影響もないでしょう」
「よかった……!」
スピラーは既に猫の姿に戻り、シートの上に横たわっていた。
「とはいえ、ユニコーンの魔力波をモロに受けたから、一応今夜だけ入院しましょ。なにも問題がなければ、すぐに帰れるからね」
「ありがとうございます、レベッカさん。……スピラーも、私を守ってくれてありがとう。退院したら、貴方の大好きなご飯を作りますからね」
ソフィアは横たわるスピラーの頭を撫でてねぎらう。
スピラーは返事の代わりに、視線だけをソフィアに向けながら、尻尾の先をふわっと浮かせた。
「ソフィアちゃんが大切にしてくれるから、スピラーちゃんも大切にしなきゃって思ってるんでしょうね。格上の霊獣を相手に体を張って、よく頑張ったわ」
「本当に、スピラーには何度も助けてもらっていますね……」
シュナイダー少尉に言い寄られた時は、ソフィアを庇って威嚇してくれたし、吸血衝動を起こした時は、イオリを呼びに行ってくれた。
スピラーのおかげで、ソフィアは何度も命拾いをしている。
「レベッカさん、医療部隊の指揮を引き続き頼む。僕は少し、彼女と話をしてこないとだから」
「ハイハイ、あんまりおブスになるんじゃないわよ」
レベッカの台詞を聞いて、ソフィアは、踵を返したイオリをふっと見た。
そして、ほんの一瞬だけ見えた横顔に、背中がひやりと冷たくなったのを感じた。
(怒ってる……? ……いや、違う。これ、怒っているんじゃない)
これまで、イオリの怒りを何度か目にしてきたソフィアだったが――今の彼の横顔から読み取れたものは、そんな感情的かつ短絡的なものではなかった。
まるでよく研がれたナイフの刃先のような。
むしろ感情を極限まで殺した、そんな冷血さだ。
胸騒ぎがしたソフィアは、お手洗いに行ってくるとレベッカに告げ、イオリの後をそっと追いかけた。
イオリがやってきたのは救護所から離れた一室だった。
ドアを開け、中にいた学校の教員らしき人と何かを話してから、イオリは中に入っていく。
入れ替わりで出てきた教員に見つからないようやり過ごしたあと、ソフィアはドアの前に立って、こっそり聞き耳を立てた。
「か、カラスマ様……っ!」
聞こえてきたのは、リリアーネの声だ。
問題を起こしたとして、別室で一人だけ隔離されていたのだろう。
自分が厳しい立場にいることを理解しているのか、リリアーネはイオリの前でしゃくりあげて、しおらしく振舞っていた。
先ほどの悪意に満ちた笑みとは真逆の、媚びたような可愛い泣き顔が脳裏に浮かぶ。
「うう、私、怖かったです……っ! みんな私の言うことを聞いてくれなくて、本当にどうなることかと思いましたわ……!」
「……君、どうして霊獣たちが言うことを聞かなかったか、分かってる?」
はあ、とあえて聞かせるようなため息をつくイオリ。
本気で分からないのか、「え……?」と聞き返すリリアーネに、イオリは淡々と述べた。
「霊獣たちにとって、魔力は生命を維持する糧だ。十分な魔力を得られない術者には従わないし、強制的に従わされようものなら反発する。そういうものだろう。さっきの暴走現象は、未熟な術者が冒す典型的な失敗例だ」
「未熟……? 私が、未熟……?」
ソフィアは、リリアーネが両親からずっと甘やかされ、褒めそやされてきたことを知っている。
ゆえに、今の彼女の『信じられない』といった反応もむべなるかな、と思った。
――彼女には、怒られる耐性がないのである。
これまで、誰かから明確に酷評されたことがなかったがために、イオリの言葉を受け止められずにいるのだ。
「特にユニコーンは繊細で気難しい上級霊獣だ。中途半端な強さの魔力で無理やり従えようとすれば、ああして暴走するに決まってる。そんなことも想像できなかったわけ?」
「し、仕方ないではありませんか! 上位霊獣を呼んだのは初めてだったし、そこまでの知識もなくて――」
「知識がない、だ?」
厳しく責められたリリアーネは、しどろもどろと言い訳をするが、イオリには逆効果だった。
「君は魔法学校で何を学んでいた? 生態を知らない霊獣を呼び出すのがどれだけ危険か、学校に通ってるならいの一番に教わるはずだ。君が実力を驕り、甘い認識のままむやみに召喚した結果がこれだ」
先ほどの悲惨な光景が、ソフィアの脳裏に蘇る。
ユニコーンのせいで崩壊した屋台や展示品の残骸が散らばる中、瓦礫から救助されていた人がいた。
鳥に攻撃されて、血を流しながら逃げ回っていた人たちもいた。
あれはもはや、町が魔物に襲われた時と、何ら変わらない状況だったといえる。
「霊獣に蹴られて気絶した市民もいる。一歩間違えたら死人が出ていたんだ。退学レベルの重大事案だぞ!」
「……っ私は、悪くありません!」
真正面から怒鳴られて、リリアーネは恐怖と怒りに声を震わせながらも、反論した。
「全部、私を怒らせたソフィアのせいですわ! ケガレの分際で私のスピラーを奪って、アレク様を惑わせたのよ! あの女が計画どおり魔物になって、アレク様に殺されていれば、私だってこんなことには──!!」
ここまで冷静にやりとりを聞いていたソフィアだったが、リリアーネが零したその台詞を聞いた瞬間、彼女は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
「どういう、ことですか……? 『計画どおり』って……」
「! ソフィ、君、ついてきて……!」
「お嬢様……私の発作は、仕組まれたことだったのですか……?」
気づけば、ソフィアは部屋のドアを開け、真実を問いただしていた。
唇が震えて、上手く動かなかった。
あの夜、決定的な発作を起こしてしまってから……ソフィアは吸血衝動に、魔物に変わっていく自分に、葛藤することになったのだ。
「答えてください……あの日、私が発作を起こしたのは、お嬢様のせいなのですか……?」
――あの不幸な出来事さえなければ、自分はまだ平穏でいられた。
――けれど、自分は本当に運が悪かったのだ。
そう思って、ソフィアはもがいて苦しんで、運命を受け入れていた。
けれど、あれが偶然ではなく、第三者の悪意によって引き起こされた『必然的な出来事』だったのなら……話は大きく変わってくる。
「……ふふふ、あはははっ!」
リリアーネはソフィアの登場に最初こそ驚いたものの――彼女の当惑した顔を見て何を思ったのか、高笑いをしだした。
「盗み聞きなんていい趣味をしているのね、卑しいケガレのやることだわ。でもね、私のせいだというのは間違いよ? だって、私はただ薬を渡しただけだもの。それを勝手に治療薬だと勘違いして飲んだのは、お前自身よ、ソフィア」
リリアーネは開き直ったのか、ソフィアやイオリに問われるまでもなく、ペラペラと詳細を喋りだす。
「そもそも、魔蝕症のケガレを相手に、私が親切に薬をあげると思ったの? あれは発作を促す薬よ! それをお前は疑いもせずに飲んだの。滑稽ですこと、本当に何も学習しないお馬鹿さんなんだから!」
「……そして、魔物化したソフィアをシュナイダー少尉に討伐させ、戦績のひとつに加えてもらおうとした……か?」
「ええ、そうですわ。だって、婚約者に献身するのは当然ですもの。なのにあの方と来たら――」
「もう結構」
イオリは心の底から蔑むような冷たい口調で、リリアーネを強制的に黙らせる。
そして、二回ほど深呼吸をしてから、再度口を開いた。
「ありがとう、教えてくれて。一応聞くけど、ソフィアを騙したことと、今の発言もすべて含めて……君は今、ヒースコール社の社会的信用を失墜させたんだけど、その自覚はあった?」
「えっ……えっ?」
「魔蝕症の治療薬を製造する会社の社長令嬢が、魔蝕症の患者に発作を促す毒薬を飲ませた。……これって、とんでもないスキャンダルだよ」
「――っ!!」
イオリの言葉の意味を理解したリリアーネは、一瞬で青ざめた。
リリアーネには、ソフィアを貶めたことに対する罪悪感など、欠片もなかった――だからこそ、動揺したソフィアを見た瞬間、面白くて喋ってしまったのかもしれない。
けれど、ヒースコール社の社長令嬢として、彼女は致命的な判断ミスを冒した。
社長令嬢として家族や会社の体面を考慮するならば、リリアーネは軍属のイオリに対し、堅く口を閉ざすべきだったのだ。
厳しく叱責され、プライドをへし折られたリリアーネには、乱れた感情を制御することができなかった。
「さて、詳しい話は屯所で聞かせてもらおうか。リリアーネ・ヒースコール」
すると、部屋の隅に控えていた王国軍の兵士たちが、彼女を両脇から拘束しはじめる。
「え……? い、いや……嘘でしょ……!? 私、まだ学生なのよ!? 男爵令嬢なのよ!?」
「だから? そんな肩書きが免罪符になると思ってるの?」
「こんなの、子供がやったことでしょう!? 連れていくなんて大袈裟じゃない!」
「…………子供がやったこと?」
イオリの声が、低く響く。
地震でも起きているのではと錯覚するほどの、重い振動。
冷たい刃物のようだったイオリの瞳が、一瞬で全てを焼き尽くすような熱を帯びた。
「……貴様は、あの薬が魔蝕症の発作を引き起こす『毒』だと知っていた。その上で、魔蝕症の患者に『薬』だと誤認するように与えた。魔蝕症の発作で不可逆的に魔物化した人間は、現行法では死亡者として扱われる。……これの意味するところが分かるか、小娘」
イオリは両脇を抱えられたリリアーネに詰め寄りながら、淡々と述べて──彼女の制服の胸倉を掴みあげた。
「“子供だから”で済むわけがないだろう。お前は自分の身勝手で、人を殺そうとしたんだ。しかも、魔蝕症の患者を平然とケガレの蔑称で呼び続けて、発作で苦しめた挙句に『滑稽』だ? 人命軽視も甚だしいぞ、畜生が」
殺意を隠すことなく滾らせて、あらん限りの憤怒を込めて、イオリは矢継ぎ早に言い切る。
もはやなにも言い返せず、青い顔でひゅ、ひゅ、と浅く息をするリリアーネ。
イオリは掴んでいた胸倉を離すと、今一度冷静に、そして冷徹に言い放った。
「覚悟しろ。お前はこれから社長令嬢ではなく、前科者として生きることになる。命を弄んだ罪がどれだけ重いか、この先の人生をかけて思い知るといい」
完全に戦意を失ったリリアーネが、顔面蒼白の状態でうなだれる。
兵士たちに両脇を抱えられ、リリアーネはずるずると連行されていった。
「……リリアーネが加害を自白した。これよりヒースコール社を捜査する。イスルギ中将にもそう伝達しろ」
「はっ」
イオリに命令された兵士が、敬礼をして速やかに去っていく。
ソフィアは茫然自失として、その場にへたりこんだ。
「すまなかった、ソフィ。君に残酷なことを聞かせた」
しゃがんだイオリが、ソフィアの肩をさする。
その手は少し熱くて、まだ余韻を残しているようだ。
「……もしかして、イオリさんは……最初からお嬢様を疑っていましたか……?」
「……ああ。鎌のひとつもかける前に、向こうが勝手に馬脚を露わしたのは予想外だったけど。君にはもっとマシな形で、真実を伝えるつもりだった。僕の意識が及ばなかった。本当にごめん」
「大丈夫です……勝手につけてきたのは、私ですから」
イオリは茫然としながら答えるソフィアを、そっと抱きしめ、背中をさすった。
「でも、何が起きているのですか……?」
「……それは、言えない。捜査に支障が出るから、教えられないんだ」
イオリはまだ、ソフィアが知らないソフィアの真実を抱えているのだろうか。
気になって仕方がないが、イオリは口を堅く閉ざして、ただ首を横に振るのみだった。
「この件が落ち着いたら、必ず話す。それまでは不安かもしれないけれど、今は耐えてくれ」
「……はい」
――イオリは、いたずらに誰かを傷つけるような人ではない。
それを信じて、ソフィアは彼を抱きしめ返した。




