裏3.暗号解読
〈雨降って地は固まったようだな。なにやらソフィア嬢とひと悶着あったようではないか〉
再び、王国軍駐屯所のとある執務室にて。
からかってくる上官に、イオリはやや不服そうな視線を向けた。
〈まあ、色々とあったのです〉
〈ソフィア嬢に避けられて青ざめていたり、な〉
〈……あえて言うことではありませんよ、中将〉
笑い話ではなく、本当に肝が冷えたのだ――ごく最近までソフィアに避けられていたイオリは、『自分は彼女の気に障るようなことをしていたのだろうか。嫌われてしまったのだろうか』と頭を抱えていた。
なにせ、彼自身、女性に恋愛感情を抱くのは初めてなのだ。
人並みに処世術は身につけてきたが、恋愛は全く勝手が違うから困る。
〈君は昔と比べて、感情が表に出やすくなった。ここ最近ずっと暗かった表情が、今日になって元に戻っていたから、和解したことはすぐに察しがついたよ〉
〈……そんなに分かりやすいですか?〉
それはそれで不都合だな、とイオリは自分の頬をきゅっと引っ張ってみる。
〈よい兆候だ。エミリアくんの教育の賜物と思って、大切にするといい〉
〈……中将がそう仰るのなら〉
表に出したくない感情まで悟られてしまうのは、気恥ずかしいものだ。
イオリにとってもあまり好ましくない。
……ただ、今こうして、『気恥ずかしい』といった微細な感情を知覚できるのは、エミリアの情操教育あってのものだし、進歩自体は確かに喜ぶべきなのだろう。
〈それにしても、感慨深いものだ。エミリアくんに心を育まれた君が、その娘と交際を始めるとはね……〉
〈なぜ交際していると分かるのですか?〉
〈君の使い魔が親切に教えてくれた〉
――あいつ、後でしばき倒してやる。
ニヤニヤと楽しみながら話していたに違いない自身の使い魔に対し、密かに復讐を誓うイオリ。
不機嫌な顔で黙り込んだ彼を見て、イスルギ中将はカッカと笑った。
〈そう嫌そうな顔をするな。私は安心しているのだ。シュナイダー少尉はソフィア嬢に懸想しているとの噂だからな〉
〈……本当に、わけが分かりません。自分のしたことがどれだけ彼女を傷つけたか、あの馬鹿はまるで理解していない〉
喫茶店でのシュナイダー少尉の言動を見るに、おそらくは、自分の犯した間違いなど些事にすぎない、とでも考えているのだろう。
あまつさえ、自分の婚約者を降ろし、ソフィアをその座に据えようなどと――どこまで自分本位なのだ。
〈……それで、中将。例の件についてですが。どうやらこの件、我々に先駆けて、エミリアさんも深く関わっていたようなのです〉
〈……エミリアくんが? 王国軍よりも先に?〉
イスルギ中将の目尻が、僅かに吊り上がる。
イオリは湧き上がる怒りを冷静に抑え、手にしていた机に資料を広げる。
〈数日前、ソフィアから拝借したエミリアさんの手帳を調べたのですが――思ったとおり、暗号でした〉
広げた資料は、エミリアの手帳に綴られていた文章を、一言一句漏らさず書き写したものだった。
生活に活かせる昔ながらの魔術を記した、娘への温かい愛情を感じられる文章で、一見しただけでは、ここに暗号が隠されているとは到底思えない。
〈なぜ暗号に気づいた?〉
〈ソフィアから手帳を見せてもらったとき、記載されていた魔術式が所々間違えていたのです。最初は単純ミスかと思いましたが、エミリアさんが娘に遺すための手帳に、こんなにたくさんのミスをするとも思えなくて〉
ソフィアは手帳に書かれた魔術をほとんど使えないことから、『自分には魔術の才能がないのだろう』と思い込んでいた。
しかし、高難易度に分類される料理の魔術をあっさりと使いこなしていた彼女が、花を咲かせるなどの初歩的な魔術を使えないわけがない。
原因は彼女の素養ではなく、そもそもの魔術式が間違っていたからだ。
〈というか、娘のために遺しておいた――という時点で、おかしいと思いませんか。エミリアさんはまだお若かったんですよ〉
エミリアには持病があったわけでもないし、実際の死因は病魔に襲われたことによる、不運な事故だ。
だというのに――エミリアの行動はまるで、自身の死を悟っていたかのようだ。
イオリの主張の意味するところは、イスルギ中将も理解していた。
〈ふむ。……それで、暗号はどうやって解いた?〉
〈間違えていた術式を正しく直した上で、頭文字を順番に繋ぎ合わせました〉
イオリは赤いペンで、間違えている魔術式を囲っていく。
それを正しい綴りに直し、最後に、記載されていた順番に従って頭文字を並べていく。
すると、イスルギ中将の顔色も、少しずつ険しくなっていった。
〈『魔獣』、『変身』、『薬』、『不正』、『ひぃすこぉる』と『しゅないだぁ』……告発文か〉
〈ええ。しかも、東国式の綴りです〉
ちなみに、ヒースコール家やシュナイダー家の系譜に、東国の者はいない。
よそ者を嫌う貴族階級の彼らは、東国の血を決して入れようとしないのだ。
それを逆手にとった暗号である。
〈エミリアさんは、王国軍よりも早く事態に気づいた。だから、自身に何かあったときのために、こうしてメッセージを遺していたのでしょう〉
〈聡明すぎたがゆえに、向こうから口封じに殺害された――というわけか〉
しかも、特定の人物にだけ気づく仕掛けを施しているあたり、よほど警戒していたことが伺える。
〈業腹のようだな、中佐〉
〈……不甲斐ないのです。私が、ソフィアをもっと早く保護できていれば……〉
今までの経緯を踏まえるに、ソフィアはおそらく、ヒースコール家に人質として囚われていたのだろう――事態に気づいたエミリアの支援者や、王国軍を牽制するための手札として。
ソフィアの捜索が難航したのも、ヒースコール家かシュナイダー家が手を回していたと考えれば、辻褄が合う。
結果として、イオリはソフィアを発見・救出するまでに、六年も費やすことになった……ということだ。
〈詮無きことだ。むしろ、最悪の事態を回避できたのが不幸中の幸いだった。そう思っておけ〉
イスルギ中将の言葉に、イオリはギリッと奥歯を噛み締める。
〈エミリアくんに病魔をけしかけた者がいるのなら、向こうには相当腕の立つ魔術師がいる可能性が高い。加えて、聡明なエミリアくんに告発される可能性まで予見していたとなれば、頭も切れるのだろう〉
〈……相手は想定以上に手強いようですね〉
それを思えば確かに、偶然でもソフィアを奪還できたのは幸いだった。
しかし、まだ安心はできない――シュナイダー少尉はこれから、ソフィアを自身の花嫁にするつもりで動いてくるだろう。
〈シュナイダー家にソフィア嬢が渡ってしまえば、また人質に逆戻りだ。なんとしてでも彼女を守れ、カラスマ中佐〉
〈無論、心得ております〉
ソフィアがやっと手にした平穏を、奴らに再び壊させてなるものか。
なにより、ソフィアの心を深く傷つけた愚か者に、彼女を好きにさせるわけにはいかない。
イオリは拳を固く握りしめ、イスルギ中将を見据える。
〈くく、よい眼だ。実に頼もしい。……こちらも早く、強制捜査のカードを切らねばな〉
王国軍設立当時から関わっているシュナイダー家を破滅させかねない今回の事案は、傘下にいる支援者たちにとっても一大事だ。
妨害される危険もあるし、やる時は一気に畳みかけたい。
問題は、彼らの嫌疑を確定させる証拠をどうやって押さえるか――。
〈隠密部隊を動かしてみるか……しかし、見つかってしまった場合のリスクを考えると、それも厳しいか……〉
〈……いっそ、あの馬鹿を利用するのも一つの手かもしれません〉
少し考えて、イオリは提案する。
〈なにか策があるのかね〉
〈ええ。彼はどうしても“英雄”でいたいようですから、そこを利用します。ただ、方々に協力を得る必要がありますので、中将の人脈に頼ることになりますが……〉
〈かまわん。使えるものは上官だろうと活用するべきだ。無論、お前自身も〉
〈そう言っていただけると助かります〉




