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3.少尉の脅し

 スピラーの契約関係もひと通り終えると、ヌイは「イオリを迎えに行ってくる」と言って姿を消した。

 合流を待つ間、ソフィアはレベッカとニコラに案内された施設内の喫茶店で、ティータイムを満喫していた。


「美味しいです、このアップルパイ……!」

「だよねぇ! ここのパイはどれも美味しいから、みんなに勧めてるんだぁ~」

「んで、アップルパイにはやっぱりミントティーよねえ」


 軍の職員だけでなく、一般客にも人気とだけあって、メニューも内装もすべてが素敵だ。

 テラス席から見る中庭の風景も実に美しい。

 スピラーも居心地がいいのか、ソフィアの膝の上で丸くなっていた。


「それで、他に困ってることはない? 副長に言いにくいことがあったら、ウチが聞くよ?」


 ニコラに聞かれ、ソフィアの脳裏に先日の吸血衝動のことがよぎる。

 この先、イオリに負担をかけないよう、吸血衝動をどう抑えればいいのだろう。

 ニコラに相談すれば、いくつか対策は出てくるかもしれないが、しかし――ヌイが『求愛行動』と言っていたのが気になって、どうしても口に出すのをためらってしまう。


「そうですね……今のところは大丈夫です」

「そーぉ? じゃあ、今後なにかあったら、ここに相談しにおいで。ウチもレベッカちゃんも力になるからさ」


 にっ、と気持ちよく笑うニコラに、ソフィアはお礼を言う。

 少しして、「お花摘んできまーす」と口にしたニコラが、なぜか庭とは逆方向に歩いて行く。


「それにしても遅いわねェ、イオリちゃんたら。イスルギ中将と何を話し込んでるのかしら」

「イスルギ中将……って、確か医療部隊の最高司令官なんですよね。ということは、彼も軍医なのですか?」

「そうよぉ。イオリちゃんの前に副長やってたのは、あの人なの。エミィと一緒に、昔からイオリちゃんの面倒を見てたから、感覚としてはお父さんに近いかもねェ」


 やはり、イオリは子供の頃から医療部隊と関わっていたのだろう――ソフィアは確信する。

 だとしたら、どういった経緯で、どんな形で、この場所と関わっていたのだろうか。

 考えられるとしたら、ソフィアと同じく、病院に入院していた、あたりだろうか。


「レベッカさん。イオリさんはどんな経緯で、昔からここに……?」


 人の事情に首を突っ込むのは、あまりよろしくないと分かってはいる。

 けれど、イオリが抜きん出た天才であるがゆえか、それとも、彼の独特な雰囲気がそうさせるのか――ソフィアは気になって仕方がなかった。

 レベッカは「んー」と斜め上を向いて、考える素振りをしてから答えた。


「魔術師の間では有名な話なんだけど、あの子の一族は十年以上前、儀式に失敗したことで滅んでいるのね」


 ここで、ソフィアは“死神軍医”にまつわる噂の一つを思い出す。

 ――使い魔を従えるため、自身の一族を生贄に捧げた、悪逆非道の術者。

 ……もちろん、ソフィアはそんな噂を真に受けるつもりはない。

 が、一族がなんらかの理由で滅んだのは、本当のことだったらしい。

 レベッカは「本人も普通に話すみたいだから」と詳細を教えてくれた。


「イオリちゃんは、滅んだ直後のカラスマ一族の里から、唯一の生存者として軍に保護されたの。でも、保護される前の記憶がなくなっててね。自分たちがどうしてこんなことになったのかも、覚えていなかったのよ」


 何かしらショックな出来事があって、記憶喪失の状態になったのかもしれない――レベッカはあえて言わなかったが、ソフィアはそう推察した。


「残っていたのは、カラスマ一族が使っていた東洋魔術についての膨大な知識と、それを扱う技術だけ。感情の起伏も乏しくて、まるで魔術以外のすべてを失ってしまったみたいだったわ」


 レベッカの話は、にわかには信じがたいものだった。

 現在のイオリは、笑ったり、落ちこんだり、怒ったりと、むしろソフィア以上に感情豊かだ。


「あの子が一番最初に心を開いたのが、よく話しかけていたアナタのお母さんだったの」

「母が……」


 以前、イオリが口にしていた「エミリアさんにはとてもお世話になった」という話は、どうやらこのことだったらしい。


「あの子はエミィによく懐いていてね。他の人にはほとんど口を利かなかったのに、彼女といるときだけはよく喋ったのよ。エミィの訃報を聞いたときは、まわりも吃驚するくらいボロボロに泣き出して。思えば、今みたいに感情豊かになり始めたのも、その時からだったわねェ……」


 レベッカはそこで話をとめ、お茶を啜った。

 イオリのエミリアに対する尊敬の念は、並々ならぬものだと、ソフィアも感じてはいた。

 が、ここでレベッカから詳細な解を得たことで、ソフィアは心の内でぽんと手を打った。


(そうか……イオリさんも、きっと私と同じだ)


 全く同じではなくとも、限りなく近いものだろう――イオリがエミリアに対して抱いていたのは、亡き母親に対する深い敬愛と、少しばかりの寂しさだ。

 彼がエミリアの真似をして自宅に薬草畑を作っていたのも、ソフィアが母の手帳の魔法を使おうと努力していたのも――きっと、同じ気持ちからだったのだ。


「ソフィアちゃんを治してあげたいっていう気持ちの中には、エミィへの恩返しもあるんだと思うわ」

「そう、だったんですね」


 エミリアを深く慕っているだけに、娘のソフィアに対する思い入れも強くあるのだろう。

 どうしてイオリが、こんな自分に手を差し伸べてくれたのか……それに対する答えも、ようやくつかめたようだった。


(でも……それで、無理をさせてしまったら)


 もし、また吸血衝動を起こして、彼を傷つけてしまったら――最悪の事態が起きてしまったら。

 ソフィアはきっと、自分を永遠に許せないだろう。

 助けてもらった恩を仇で返すなんて、絶対にしたくない。


(……私、どうしたらいいんだろう)


 レベッカなら、恥を忍んで相談できるだろうか。

 でも、今日が初対面の相手にこんなことを言うのも、なかなか勇気が要る。

 吸血衝動を抑える薬がほしいと言ってみる手も考えたが、イオリが言うには、吸血衝動を薬でやり過ごしたところで、結局は先送りにするだけらしい。

 舞踏会以前の状態ならともかく、決定的な発作が起きてしまった今、ソフィアの吸血衝動は吸血でしか慰められなくなっている。


(治療のために必要な行為だと思えばいい、ってイオリさんは言ってたけど……イオリさんはそのたびに怪我をしてしまう)


 怪我の止血ならソフィアにもできるが、だからといって吸血の時の痛みを消せるわけではない。

 イオリがどんなに許していようと、それでソフィアの心が軽くなることはなかった。

 ……いや、むしろ重くなっているかもしれない――彼に負担をかけてしまっていると思うと、それだけでソフィアの心は沈んでいくようだった。


「お茶がなくなっちゃったわね。アタシ、もう一杯頼んでくるわ」


 ソフィアの暗い表情を見てか、レベッカがティーポットを持って席から立ち上がる。

 少し間を開けて、スピラーもソフィアの膝から降り、庭のほうへトコトコ歩いていった。


(……私も少し、お庭を見てこようかしら)


 このままでは暗い気分に拍車がかかって、二人に余計な心配をかけてしまう。

 綺麗なお花でも見て気分を落ち着けようと、ソフィアは日陰から庭の花を眺めることにした。


「スピラー、お花を食べたら駄目ですよ」


 ソフィアが声をかければ、スピラーはふわふわの白い尻尾を揺らして返事をした。

 猫の体によくないハーブも植えてあるから、よくよく見守ってあげなければ。

 そうは思いつつも、綺麗な花にはついつい目を奪われてしまう。

 アーチを彩る薔薇に、鉢植えのラベンダーやマリーゴールド――季節の花や緑を見ていると、心のささくれが不思議と和らいだ。


「シャ――ッ!」


 不意に、スピラーがなにかを威嚇するように声を上げた。

 大きな虫でもいたのだろうか、とソフィアは顔を上げて……ひゅっ、と息が止まりそうになった。


「君は……」


 そこに立っていたのは、舞踏会でソフィアに剣を向けた、金髪碧眼の麗人――アレックス・シュナイダー少尉だった。


「ああ、やっぱり! あの舞踏会にいた……!」


 可愛い花が咲いているのを見つけた子供のように、嬉々とした様子で近づいてくる少尉。

 しかし、ソフィアの目には、獲物を見つけて這い寄る獣のようにしか見えなかった。


「あ、あ、いや……っ!」


 脳裏にこびりついた、憎悪と敵意を向けられたときの記憶が、ソフィアの中で瞬く間に浮かんでは消える。

 穢らわしい魔物と蔑まれ、容赦なく剣を向けてきた彼が、すぐ目の前にいる。

 それだけで、ソフィアは殺されるのではないかと思うほどの恐怖を覚えた。


「ご、ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさいっ、来ないで……っ!」

「ああ、どうか怯えないでくれ。私はあの時の無礼を謝罪したいんだ」

「……え……?」


 謝罪、という彼の言葉に、ソフィアはいまいちピンとこなかった。

 むしろ、なにをわけの分からないことを言っているのだ、と思った。

 だって、目の前の彼の笑顔からは、謝意の欠片も感じ取れない。

 今から謝罪しようとしている人間の顔には、どうしても見えないのだ。


「あの時は剣を向けてすまなかった。どうかしていた。ああ、無事でよかった……あんな醜いバケモノにならなくて、本当によかった……」


 気味が悪い――と、率直に思った。

 どうして一度憎悪し、斬りつけようとした相手に、ここまで()()の笑顔を向けられるのだ。

 こちらはあの時の恐怖を忘れられずに、こうして怯えているというのに。


(どうして、この人は私に付きまとうの……!?)


 テラス席まで戻る道を塞ぐように立たれてしまい、本格的に身の危険を覚えたところで、ソフィアは咄嗟に思い出す。


「い、イオリさん……カラスマ中佐が、助けてくださいましたから……。今日も、ここまで、検査につれてきてくれてっ……!」


 イオリはおそらく、シュナイダー少尉の天敵だ。

 存在をそれとなくチラつかせれば、少尉も諦めて去ってくれるかもしれない。

 しかし、予想は外れた。

 ピタリと足を止めたかと思うと、少尉の喜びの表情は、全くの“無”になった。


「……あの男は危険だ。信用してはいけない」


 激しい表情の落差に、ソフィアはさらに怯える。


「あの男の出身は、得体の知れない東洋の呪術師の家系だ。君の前では気持ちが悪いほど笑っているが、本性は感情など持ち合わせない冷血漢だぞ。自分の一族を使い魔に捧げた、死神なんだぞ!」


 まくし立てる少尉の言葉など、ソフィアは少しも聞き取れなかった。

 理性よりも恐怖が勝ってしまって、なにも思考できないのだ。

 けれど、少尉は怯えるソフィアのことなどお構いなしに、イオリをただただ悪し様に言い続けた。


「どこの馬の骨とも知れない男だ、何をするか知れたものではない。君だって、噂を耳にしたことくらいはあるだろう。酷い目に遭う前に離れるべきだ! ……そうだ、私のもとに来るといい、ソフィア嬢」

「――!?」


 ソフィアはますます混乱に陥る。

 助けを求めたソフィアを斬りつけようとした男が、なにを考えて、そんな提案をしているのだ。


「私なら君を匿ってあげられる。なに、ヒースコールのような虐待じみた扱いなどしないさ。私の花嫁として丁重に迎え入れよう」


 そんなことを言われても、はいと頷けるわけがない。

 まして、この男の花嫁なんて絶対にありえない。

 発作の度に武器を向けられるかもしれない恐怖と隣り合わせになったら、命がいくつあっても足りない。


「さあ、そんな日陰にいないで。こっちにおいで」


 少尉がさらに近づこうとしたところで、スピラーが「フミャアアアッ!!」と声を上げて飛びかかる。

 まずい、とソフィアがスピラーを止めようとしたところで、


「止まれ、スピラー」


 と、彼女よりもほんの一瞬先に、少年の声が割り込んだ。

 あわや少尉の体を引っ掻こうか……というギリギリのところで、スピラーは手を引っ込め、ぎゅんっと素早く体を(ひるがえ)した。


「よおよお。誰かと思えば、女ったらしのシュナイダーじゃねえか」

「え? ……うわあっ!?」


 背後にいつの間にか立っていた、ニヤニヤ顔のヌイを見て、少尉は声を上げた。

 驚いて飛び退いた少尉を、ヌイがさらにおちょくる。


「オメー、かわい子ちゃんには本当に見境ねーよなぁ~。発情期もほどほどにしとけよぉ? けらけらけ!」

「なっ、無礼な!」

「無礼はこちらの台詞だ、少尉」


 つかつかと速歩(はやあし)気味の足音が一つ、近づいてくる――苛立たしげな、イオリの足音だった。


「謹慎処分を受けてもまだ懲りないのか? いたずらに私の患者の恐怖を煽るつもりなら、こちらも相応の対応をさせてもらうが」


 相手を強く牽制するときの、軍人口調だ。

 相変わらず、普段の様子からはかけ離れた、とんでもない迫力だった。

 けれど、シュナイダー少尉もやはり軍人と言うべきか、この程度の威圧では怯まない。


「はっ、滅亡した一族の死に損ないが、なにを偉そうに」


 ほんの一瞬だけ、イオリの瞳が揺れた。

 それを見て、シュナイダー少尉はふっ、と勝ち誇ったように鼻で笑う。


「……なにを笑っている。私よりも優位に立ったと思っているのか?」

「威張っていられるのも今のうちですよ、中佐。今はイスルギ中将に守られているかもしれませんが、大した後ろ盾のない貴方などいずれ破滅する。いや、私が破滅させますとも。所詮、依怙(えこ)贔屓(ひいき)で得た地位など、少しつつけば瓦解(がかい)するものです」


 自信満々とばかりにイオリを指さし、不穏な宣言をする少尉。


「貴方とて、ご自身の評判はご存じでしょう? お立場がどれだけ果敢(はか)ないものか、今一度自覚すべきではありませんか?」

「……くだらない。喧嘩を売りたいなら、もっと的を射た言葉を使え」

「……は?」


 白昼堂々と馬鹿にしてくる相手に対し、イオリはそれこそ馬鹿を見るような視線で返した。


「お前の言葉は侮辱にも挑発にもなっていない、と言ったんだ。実に不毛で辟易(へきえき)する」


 喧嘩を売っているつもりの少尉に対し、最も的確に、動揺と怒りを誘う言葉を返した。

 シュナイダー少尉の言葉が『的を射ない矢』だとするならば、イオリの言葉は的でも盾でもない――『堅牢な城』だった。


「私をただ揺さぶりたいだけなら、勝手に勤しんでいればいい」

「強がりを――」

「だが!!」


 思ったほどイオリの動揺を誘えないことに焦ってか、さらに言葉を紡ごうとする少尉。

 その続きを、イオリは鋭く遮った。


「軍医としての私の責務を妨害することだけは慎め。私の仕事の邪魔をするなら、たとえ何者であろうと排除する」


 強い語気と殺気で言い放たれて、少尉はぎくりと肩を振るわせていた。

 光を一切映さないような純黒の瞳が、静かに少尉を睨み据えている。

 見ているソフィアですら凍ってしまいそうな空気がしばし流れる。


「なに。お前も軍人として王都を防衛する責務を正しく全うすればいいだけの話だ。そうすれば、一度落ちた軍での評価もそのうち回復してくる」


 睨む目を一度伏せてから、イオリは先ほどよりも穏やかに言う。


「……ああ、そうだとも。その一手として、まずは貴方の魔手からソフィア嬢を救ってみせる」


 攻め手をあえて緩めてやったのに、まだ言うか……とイオリは頭が痛そうに、こめかみを押さえた。


「だから、私の患者にしつこく絡むなと言って……ああもう。そういう台詞は自分の婚約者にでも言っておけ。リリアーネが泣くぞ」

「はっ、あの品位の欠片もない小娘なら、先日婚約破棄してやったところですよ」

「はあ?」


 さすがのイオリも、これには唖然としたらしく、目が点になっていた。

 当然、ソフィアも(えっ!?)と声にならない声をあげる。


「おいおい……なんて横暴な……」

「仕方ないでしょう。リリアーネは英雄の花嫁としてふさわしくないのです。しかし、ソフィア嬢のような淑女ならば、と父上は納得しておられました。没落したとはいえ、アッシュフィールド伯爵の一人娘ですからね」

「まさか、親同士も婚約破棄を承認したのか?」

「ええ。正体不明の死神のもとに行くよりは、ソフィア嬢にとってもずっと幸福なはずです」


 イオリはもう、呆れてものも言えない様子だった。

 人を食ったような性格をしているヌイですら「うっわぁ……」とドン引きしている。


「近いうちにまた伺います。ソフィア嬢、先ほどの話は、くれぐれもお忘れなく」


 少尉の姿が完全に視界から消えて、ソフィアはようやく解放された気分だった。

 彼女の疲れ具合を察して、イオリが静かに声をかける。


「……今日はもう帰ろうか。車を取ってくるから、店の中でもう少しだけ待ってて」

「は、い……」


 張り詰めていた全身の筋肉から、どっと力が抜けていく。 

 そんなソフィアにそっと寄り添うように、スピラーが足元から彼女を見上げていた。

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