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1.王国軍医療部隊

『お母様、お父様はどうしてこんなケガレを雇ったの?』

『本当に、こんな害悪なだけの小娘にどんな利用価値があるのかしらね』

『グズでノロマで、ただお金がかかるだけの役立たずじゃない』

『どこぞで野垂れ死んだほうが世間のためでしょうに』


 リリアーネとヒースコール夫人の声が、交互に罵ってくる。

 ――そうだ……私は本来、生きていてはいけない、ただの害獣なのだ。

 薬があったから、なんとか人間の形を保てていただけ。

 そんな人間崩れのような自分が、厚かましく生き延びようというのか。

 イオリにヒースコール家から連れ出してもらって、治療費を負担してもらって、家にも寄せてもらって。

 それでもなお図々しく、彼を……彼の血を、求めるつもりなのか。


(……でも、全然、抵抗できなかった。今までは、吸血を我慢することもできたのに)


 舞踏会で、決定的な発作を起こしたせいだろうか。

 葛藤はわずかにあったけれど、まともな理性はほとんどなかったに等しい。

 ヌイは吸血行動を見て『求愛行動』と言っていたが……思えばそれこそ、魔物や動物のような、本能に任せた行動だった。

 そうせずにはいられない、本能的な行為――人間の求愛行動がキスやハグだというのなら、吸血鬼にとってのそれにあたるのは、吸血なのだろう。


(……私は、これからずっと、好きになった人の血を求め続けるの?)


 恋する度に、血を求めて。

 血を求める度に、彼の体を傷つけて。

 そんなことをしかねない自分が、本当にここにいていいのだろうか――?


『可哀想に……本当に可哀想に……私のソフィ……』


 そんなことを考えていると、母の声が聞こえてきた。

 暗闇の中に響く、慈悲深い聖母のような声。

 ソフィアの記憶の奥底に遺された声が、レコードのように再生される。


『貴方はずっと、彼の血を求め続ける。求めずにはいられない体になっていく』


 ――やめて。

 と、母に訴えようとして、できないことに気づく。

 ソフィアの口は、喉は、声を漏らせないほど固く閉ざされている。

 

『貴方は生きる糧を得る度に、彼を傷つけなければならない。優しい貴方は、そのことにずっと苦しまなければいけない。本当に、本当に可哀想……』


 ――やめて。言わないで。やめて。やめて。

 初めて彼に噛みついた時から、ソフィアが漠然と抱えていた不安……それをまざまざと紡ぎ出す、母の声。


『いっそ、心などなければいいでしょう。痛める心を失えたなら、貴方はすぐ楽になれる』


 母の手が、首にかけられる。

 空気の通り道を遮断され、ソフィアは潰れた蛙のように呻いた。

 ――やめて、やめて、やめて、やめて

 ――苦しい、お母さん……!


『ごめんなさい、ソフィア……貴方を巻き込んで、本当にごめんなさい――』


 *


 苦しさのあまり、ソフィアの意識は強制的に覚醒した。

 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいるのが見える。

 はっ、はっ、と浅く呼吸をしているうちに、新鮮な空気を確保して、ソフィアはようやく落ち着きを取り戻した。


(――なんて酷い夢を見たんだろう)

 

 愛する母の声で嫌なことを言われるなんて、悪夢の中でも指折りの悪夢だ。

 汗でびっしょりになった体で寝返りを打とうとして……体がやけに重たいことに気づく。

 どうしたのだろう、と眼鏡をかけて状況を確かめると、その原因が判明した。

 

「スピラー……?」


 ずんぐりむっくり体型のスピラーが、ソフィアの胸をベッドにして丸くなっている。

 身動きした振動で起きてしまったらしく、くぁ、と大口を開けて欠伸をするスピラー。

 なるほど、苦しかったのはこのせいか……


「……!?」


 いや、おかしい。

 つい昨日まで痩せっぽちだったスピラーが、どうしてこんなにずんぐりむっくりしているのだ。


「イオリさん! ヌイくん! どうしましょう、スピラーがこんなにまん丸になって……!!」


 ソフィアは既に起きていた二人におはようと告げるのも忘れて、抱えていたスピラーを見せつけた。

 焦っているソフィアに対して、二人はいつもと全く同じ平常心で応じる。


「おぉ~かなり回復したなぁ。ソフィのメシすげー」

「これを回復って言っていいんですか……!?」


 お屋敷で毎日目にしていた、ぱっちりとした青い目の美猫は、あるいは、昨日まで目にしていた痩せっぽちな猫は、一体どこへ行ったのだ。

 今のスピラーは全身に筋肉と脂肪をたっぷり蓄え、瞳の青色が見えないほどの糸目になっている。

 一日でこんなに見た目が変わるなんて、スピラーの体は大丈夫なのだろうか。


「魔力は以前よりも安定してるし、毛もツヤツヤしてるから、多分これが本来のスピラーなんじゃないかな」

「そうなんですか?」


 イオリがそう言うなら大丈夫だと思いたいが、ビフォーアフターが劇的すぎて、さすがに怖い。

 そんなことを考えていると、ふと、イオリと偶然目が合う。


「どうしたの、ソフィ?」

「な、なんでもありません……」


 にこやかに聞いてくるイオリに、ソフィアはそっと目を逸らしながら答える。

 起き抜けの喉が渇いている状態でイオリを見たら、また血が欲しくなってしまうと思ったのだ。


「……お腹、空いてますよね。ご飯作りますね」

「え? ああ、うん……ありがとう」


 ソフィアの態度に違和感を覚えたのか、イオリの返事が少しぎこちない。

 ソフィアはあえて、その変化に気づかなかったふりをする。

 葛藤する彼女の心境などお構いなしに、スピラーは「朝食はまだか」と鳴き声を上げて催促しはじめた。


 *


 同居生活を始めて三日目――ソフィアはイオリに連れられ、先日の病院を再び訪問していた。

 今回の目的は、スピラーの診察とヌイの予防接種、そしてソフィアの魔力検査だ。


「魔蝕症の患者は、魔力の属性変異が起こるんですよね?」

「そう。ソフィの場合、魔蝕症の中でも珍しい、吸血型の症例だしね。他にも何が起こっているか、細かく調べていかないと」


 魔力についての基本的な検査は、幼児期から思春期にかけての健診でも行うよう、国が定めている。

 けれど、ソフィアは母親と死別した十二歳以降、ヒースコール家から健診を受けさせてもらっていない。

 なので、この機会に健診も受けようということになったのだ。


「ソフィアの検査は、入院中も会ってた職員が担当することになってるからね」


 イオリがそう言って、医療部隊の隊員たちがいるという研究室の扉を開けると


「あら、イオリちゃん! お疲れさま~!」


 と、奇抜な色のリップをつけた人物が、二人を出迎えた。

 予想外の人物の登場に、ソフィアは「ひぇっ」とイオリの影に隠れる。 


「んまぁ~カワイイ子、本当にエミィにそっくりだわ! で、抱っこしてる猫ちゃんが今日の診察を受ける使い魔ちゃんね! あ、初めまして! アタシはレベッカって呼んでちょうだいネ☆」

「ひ、あ、は、初めましてっ……そ、ソフィアです……っ」


 ソフィアは若干怯えながらも挨拶を返す。

 というのも、レベッカはイオリよりもさらに長身で、肩幅も広かった。

 白衣の下に着ている柄シャツも、刈り上げた髪型も実にオシャレなのだが……いかんせん、口調や仕草がどことなく女性的なのが、ソフィアは気になって仕方がない。


「ごめん、ぶっちぎりの変わり者が出迎えに来て吃驚したね……。レベッカさんは魔獣医だから、スピラーとヌイの診察をお願いしてたんだ」

「そ、そうだったんですね……」


 これはいわゆる“オネエさん”というやつだろうか。

 ヌイとハイタッチをしているレベッカを、ソフィアはまじまじと観察してしまう。


「お、私服の副長じゃん。おつ~! ソフィアちゃんも元気してた~?」

「あ、ニコラさん。お久しぶりです」


 ニコラは浅黒い肌が特徴的な女性で、入院中のソフィアを看てくれていた看護師だ。

 彼女もレベッカほどではないが、派手な化粧をしているので、初めて顔を合わせた時はソフィアも驚いた。

 けれど、今はもう友人のような仲だ──手を振りながらやってくる彼女に、ソフィアはぺこりと頭を下げる。


「レベッカちゃん、テンション注意って言ったでしょぉ~? ソフィアちゃんはウサギちゃんだから、あんまりアゲアゲで行くと逃げちゃうんだよぉ」

「そうよね、吃驚させてごめんなさいネ。イオリちゃんがとっても可愛いお嬢さんを連れて来るって聞いたから、アタシったらわくわくしちゃって、つい」

「まあ、あれだ。仕事は僕よりもベテランだから。あんまり深く考えずにスルーしといて」

「は、はあ」


 医療部隊は能力優先で職員を採用しているため、変わり者が多い……ということは、イオリからも事前に聞かされていた。

 だからソフィアも、ニコラのような少し派手な見た目の人なら大丈夫だろう、くらいに構えていた。

 が、まさかここまで変わった人もいたとは。

 悪い人でないことは分かるが、なんというか、臆病なソフィアには刺激が強い。


「そういえば、イオリちゃん。アンタ、イスルギ少将からまたお呼びがかかってるわよ」

「また!? 今日は非番なのに!?」


 嫌だなぁ、気が重いなぁ、と青い息をつくイオリの背中に、ヌイがけらけらと笑いながら手を置く。


「仕方ねえなあ、イオリは。オレも一緒について行ってやるよ」

「いや、お前は予防接種があるだろ」

「べっ! 別に注射なんて受けなくても、オレは平気だっつーの!」

「人間側の義務なんだよ。ゴネてないでさっさと行く」

「ふぎゃ!」


 イオリがヌイの首根っこを掴み、ひょいっと投げる。

 その先にいたレベッカが、ヌイをガシッと抱きとめて確保した。


「ハアイ、ヌイちゃん! ちょーっとだけ我慢しましょうねえ~」

「離せよ、レベッカ! ちくしょぉ~! 覚えてろよ、イオリ~ッ!」

「はいはい。ファイト、ファイト~」


 抵抗虚しく、レベッカに連行されていくヌイを、イオリはなんとも雑な応援で見送った。


「ったく、腕をぶっ飛ばされるのは平気なのに、なんで注射はあんなに嫌がるんだか」

「それでも、ヌイちゃんは降参すれば大人しいじゃん。うちのおチビちゃんたちよりは全然楽だよぉ~」

「世の親たちを僕は心から尊敬するよ……。じゃあ、ニコラ。ソフィの検査は任せたよ」

「はあい、任されましたぁ~。んじゃ、ソフィアちゃんはこっちね~」

「お、お願いします」

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