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十三塚ノ村  作者: 山岸マロニィ
【弐】遺言
9/70

(7)

 夏子は、まだ二十歳そこそこ。一方、いすゞは三十路(みそじ)に手が届きそうな年齢である。

 この当時の感覚では、夏子は十分に結婚適齢期であったし、一方いすゞは保憲などに言わせれば「行かず後家」である……と言う彼も独り身であるが。

 いすゞは整った眉をひそめ、首を横に振った。

「確かに、いとこ同士の結婚は法律上問題はないわ。でも、女性の人権が叫ばれてる今、親の都合で結婚しろなんておかしいわよ」

「いすゞお姉さまなら、そう言ってくれると思ったわ」

 (すが)り付くような夏子の目は潤んでいた。

「太輔さんとは、子供の頃はよく遊んだわ。でも、どうしても親戚のお兄ちゃん以上の気持ちは持てないのよ。恋愛対象としては無理……私はね、熱い恋がしたいの。好き合った殿方と添い遂げたいのよ」

 ……若いっていいわね。いすゞは細い目をした。

 しかし、夏子の気持ちを否定する気はいすゞにはなかった。そんな彼女に期待してか、夏子は急に背筋を正す。

「だからね、私、家出したいんです」

「い、家出……!?」

 これまた思い切った事を言い出す娘である。さすがに落ち着かせようと、いすゞは二杯目のミルクティーを彼女のカップに注いだ。

「それはちょっと、問題大アリじゃないかしら」

「でも、もうそれしか方法が思い浮かばないもの」

 とうとう夏子は泣き出した。シクシクと涙をハンカチで拭きつつ切々と訴える。

「一週間――いや、数日でいいわ。お願い、このお屋敷の端っこで泊まらせてくれない? 物置でも屋根裏でもいいから」

「…………」

 いすゞは考えた。半製糸工業と蘆屋財閥は、商売上繋がっている。そこでトラブルを起こせば、事業の上で大変な事になりかねない。もし万一、夏子の家出先がうちだなんて相手側に知れたら……。

 ……と、いすゞの脳裏にとある人物の顔が浮かんだ。何のしがらみもなく、大豪邸で悠々自適に暮らしている華族の次男坊。

「そうだわ」

 蘆屋いすゞはニヤリとした。


 ――ひと晩夏子を泊まらせた翌日、四月十八日。いすゞは夏子を連れて、滝野川にやって来た。

 案の定、事情を聞いた土御門保憲は目を白黒させる。

「君、そんな事を急に言うものではないよ」

「お願いします、先生。この通り!」

 いすゞは自分用に取っておいた、とっておきの最高級茶葉を保憲に差し出した。

「何でもかんでも、紅茶で私が言う事を聞くとは思わないでもらいたい」

 そう言いながらも、保憲は応接間へ二人を導いた。

「事情は分かった。だが、責任は負えない」

「大丈夫です。誰も先生に責任を期待してませんから」

「おい君……」

 諦めたように首を振ると、保憲はソファーにもたれた。

「実は昨日、もうひとつ十三塚村に関する依頼を受けてね」

 依頼人の手前、詳しい内容を話す訳にはいかないと言いつつ、保憲は例の軍服姿の写真だけを二人に見せた。

「この人物に、君、心当たりはないかね?」

 夏子はテーブルの写真を手に取ると小首を傾げた。

「遠目に見ると、大伯父さまに似ているように見えたのだけれど」

「大伯父さま……?」

 保憲が目を丸くするものだから、いすゞもその様子に驚いた。夏子も戸惑った表情を浮かべつつ答える。

「えぇ。五十年前に失踪した清一大伯父(おじ)さまです。大伯父さま、立派な体格の方だったから、徴兵検査で甲種合格して、記念に田中さん――あ、村の在郷軍人(ざいごうぐんじん)の方です、その方に軍服を借りて記念撮影した事があるんですって。その時の写真が十三塚の本家に飾ってあって。結局、跡取り息子だからと徴兵は免れたみたいですけど」

 夏子の横で、いすゞも食い入るように写真を見つめる。だが、事情が分からない彼女には、なぜ保憲があのように驚いたのかが分からない。

 二人の様子の様子を見比べて、だが夏子は自信なさげに苦笑した。

「でも、軍人さんってみんな同じように見えるから、勘違いかも知れません」


 ◇


 茶室となっている離れに夏子を案内してから、保憲といすゞは書斎で顔を突き合わせた。

「どういう事なの?」

 いすゞよ催促に、保憲は難しい顔をした。

「彼女の前では言えなかったが、君の記者としての口の固さを信用して話す」

 そして、半清嗣翁の遺言にまつわる事情を保憲が説明し、いすゞは寒そうに肩を竦めた。

「大変な事になってるじゃない」

「社史で清一氏の顔写真は見たが、軍帽で大きく印象が変わるのは否定できない。もし、写真の彼が清一氏の子息だとするなら……」

「そんな奇妙な遺言にするのも納得はできるわね。うまくいけば、夏子ちゃんも無理に結婚しなくても済むし」

「いや、夏子君の縁談を聞いて、私は安心したのだよ。私の聞いた限りでは、遺産を巡って血で血を洗う事態に発展しそうであったからな――写真の男が生きている限り。腰に銃創のある骨が写真の男のものであり、長男の滋と次男の聡が縁談で仲直りすれば、全てが万々歳ではないか」

 と、保憲はティーカップを手に取る。

「でも、夏子ちゃんはあんなに嫌がってるのよ。それに、写真の人がその骨の人だとして、その子供が生きてる可能性は十分にあるんじゃないかしら?」

「君はとことん嫌な方向へ事態を持っていこうとするのだな」

 溜息混じりにカップ置き、保憲はいすゞを睨んだ。だがいすゞは気にしない。

「その写真の人が失踪した清一さんの子供だと、どうやって証明するんです?」

 と、自分のティーカップに角砂糖を入れてかき混ぜる。

「写真の彼が傍らに持つ銃は、三八式歩兵銃だ。陸軍に採用されたのが明治三十年。仮にこの写真が、徴兵されたばかりの二十歳で採用されたばかりの銃を持って記念撮影したものであるとして、彼が生まれたのは明治十年。写真の様子では、もう少し歳がいっているように見えるがな。清一氏が五十年前に失踪したのが、確か三十の時。失踪前後にできた彼の子だとして矛盾はない。ただ、それだけでは証拠にはならない。陸軍に身元を照会できれば間違いないのだがな、生憎(あいにく)ツテがない」

「帝国議員のお兄さまも、軍とはあまり仲がよろしくないとか」

「あまり兄には頼りたくない。まるで私が無能者のようではないか」

「先生にもプライドがあるんですね」

 いつもなら憎まれ口のひとつも返すところだが、この時保憲は考え事に集中していた。

「百歩譲って、清嗣翁が行方も知れぬ清一氏の息子、もしくは彼の血縁者に財産を譲ろうとするのは納得できるとして、自らの子の財産分与を諦めるほどの理由になるだろうか?」


 ――旅芸人の大熊一座が消息を絶ったのと、半清一氏の失踪、そして、清嗣翁の遺言。

 バラバラのピースを繋げるものは、一体どこにあるのか。それとも、既に目にしていて、気付けてないだけだろうか。


 保憲の物思いは、だが甲高い悲鳴に(さえぎ)られた。離れの夏子の声だとすぐに察した二人は、渡り廊下を駆けて茶室へ向かう。

 四畳半のそこでは、夏子が腰を抜かしていた。

「どうしたの!」

 にじり口を滑り込んで先に入ったいすゞが夏子の肩に手を置く。

「何か怖い事があったの?」

 すると夏子は、床の間を手で示した。そこにある異様なものに、いすゞは身構える。


 ――矢文。


 床柱に深々と矢が突き立ち、()(シャフト)にこよりが結び付けてある。

 電話や電報、郵便の発達したこの時代に、なぜこんな物々しい連絡方法を選択する必要があったのか。不可解極まるその状況に、夏子が混乱するのも無理はない。

 だが、それ以前に……

「君、尾行されていましたね」

 (おろむ)ろににじり口を入りながら保憲がそう言うと、夏子は目を泳がせた。

「び、尾行?」

「君がこの屋敷に来ているのは、私と蘆屋君しか知らないはずだ。この矢文はどう見ても、君宛てのものだろう」

「全然、全然知りません。私の行動が見張られてたなんて……」

「心当たりは?」

「ありません……もしかしたら、父か母かもしれませんけど、それなら矢文なんて面倒なことをせずに、私を引きずってでも家に連れ戻すわ」

「確かに」

 土御門保憲は和室に入ると床の間の前に立ち、床柱の矢を引き抜いた。

 それから、箆に結ばれた和紙のこよりを解き、畳に広げる。手習い用の半紙だ。そこには、子供の書いたようにお粗末な筆跡な上、不自然に滲んだ墨書きでこうあった。


 マエバシのオンゾウシとおまえは、ケッコンしてはならない

 おぞましき呪いが、おまえの人生をムチャクチャにするだろう


「ど、どういう事……?」

 さすがのいすゞも声を震わせる。

「前橋の御曹司……君の従兄の太輔君の事だろう」

「私と、大輔さんとの結婚を、反対している人がいるって事……?」

「でも、あなたは結婚したくないんでしょ? なのに、なぜこんな無駄な事を……」

「村のみんなは、私と太輔さんは結婚するものと思ってるわ」

 いすゞは保憲を見上げた。彼も厳しい顔で彼女を見下ろす。

 ――既に何者かの思惑が、じわじわと動き出している。

 泥沼に足を突っ込んだような不快感が、二人の心をじんわりと冷やしていった。

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