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十三塚ノ村  作者: 山岸マロニィ
【拾陸】終焉
51/70

(49)

 ――と、その時。

「あ、あれは何だ!」

 暴徒の一人が窓の外を指す。彼らが目を向けた先にあるのは、田んぼ道を覆う土煙。

「…………⁉」

 その中から姿を現したものを見て、彼らは目を剥いた。

「――軍隊だ! り、陸軍が、攻めて来たぞ!!」

 余りにも突拍子もない叫び声に、百々目は目を開いた。そして、彼らの言葉に間違いのない事を、その目で確認したのである。

 確かに、陸軍の騎馬の一団を先頭に、騎馬警官と一個中隊……いや、二個中隊はあるかもしれない、村道を埋め尽くす数の警官たちの津波が、役場に迫り来ようとしていた。

 ……何が起こった?

 百々目は唖然とした。


 ――この一団の由来を説明するのには、少し時を遡る必要がある。


 場所は、老仏温泉。時刻は早朝。

 土御門保憲と蘆屋いすゞは朝靄の中、郵便局の開くのを待っていた。


 昨夜、保憲が老仏温泉に到着したのは零時を回る頃だったため、郵便局は当然閉まっていた。一旦は旅館へと引き上げ、郵便局員がやって来たらすぐに問い合わせできるよう、早朝から待ち構えていたのである。


 深夜に保憲が老仏温泉に到着できたのも、いすゞの機転があったからだ。彼女がまともに前橋で最終便を待っていたら、彼は路頭に迷っていた。列車は前橋の手間で停まり、高崎駅で放り出されたのだ。困り果てた顔で改札を出た保憲には、駅前でハイヤーの横に佇む蘆屋いすゞが救いの女神に見えた。


 ともあれ、眠気まなこを擦りつつ、陸軍からの書類が届くのを待っていたのだが、靄の中から現れたのが郵便車ではなく、陸軍の騎馬小隊だったのには驚いた。

「土御門閣下であられますか」

 隊長と思われる士官が下馬し、保憲に封書を差し出した。

「兄上殿から大至急との言伝でしたので、郵便列車では遅いと思いまして、夜通し馬を走らせてきました」

「……はぁ」

 狐につままれた心持ちでそれを受け取り、保憲は隊長に礼を言う。

「わざわざありがとうございます」

「いや、我々は非番でありまして、部下たちと湯治を楽しみに来ただけです。そのついでですから」

 あくまで非公式の任務だと強調しているのだ。そう言う隊長は細めた目で保憲を見た。

「閣下は、これからどうなさいますか?」

「ハイヤーを手配して、十三塚村に……」

 と言っているところに温泉街をやって来たのが、騎馬警官、警察車両、赤バイの群れである。通りを埋め尽くす警官の集団は、湯治客の多くが宿の窓から覗き見るほど異様な光景だった。

「おやおや……」

 物々しい一団を見遣り、さすがの隊長も苦笑する。

「戦争でも始める気ですかな」

 警察と軍の相性が悪いのは周知の通りである。法規を遵守する警察と、超法規的措置を(いと)わない軍である。彼らがこんなひなびた温泉街で偶然顔を合わすというのは、有り得ない事態であった。

 彼らの前で停車した車窓から顔を出したのは、後で知ったところによると、群馬県警本部長――つまり、県警のトップであったというので、やはり尋常ではなかった。

「なぜ、陸軍がこんなところに!」

 敵意を剥き出す本部長に対し、隊長は何食わぬ顔で答えた。

「陸軍が湯治に来てはいけませんか」

「フン、勝手にしろ」

 再び走り出す車列のひとつから彼らを招く姿があり、保憲といすゞはその車に飛び乗った。

 手招きしたのは、何度か十三塚村と老仏温泉とを、彼らを乗せて往復した刑事だった。本部との連絡係のため、村に不在だったようだ。

「これは何事ですか?」

 保憲が聞くと、彼はニヤリと振り向いた。

「ちょっと、大変な事がありまして」

「…………?」

「昨日の夜、本部長に東京から電話がありまして。初めは横柄に対応していた本部長が、途中から顔色を蒼白にするものだから何事かと思ったら、電話の相手が何と……」

 勿体ぶってから、彼は声を低めた。

摂政宮(せっしょうのみや)殿下というものだから、そりゃあ……」

 これには、保憲もいすゞも目を丸くするしかない。

「な、何でそんな方が?」

 いすゞの声が裏返る。

「毎年、十三塚村の絹を皇后陛下が楽しみにされているが、今年の様子はどうだと、そう仰ったと」


 ――保憲にはその意図が理解できた。

 保憲の話から百々目を気にした忠行が、伝手を頼んで宮内省に連絡し、それが摂政宮の耳に入ったのだ。帝国議員とはいえ、中央権力から遠い群馬でその名を出しても効果が薄いため、もっと有効な手段をと考えたのだろう。

 しかし、表向きは皇族ではない彼を、摂政宮と言えど大っぴらにどうこうする事はできない。そのため絹を引き合いに、彼の元へ援軍を送るよう圧力を掛けてきたのだ。その効果はテキメンで、天地がひっくり返ったような様相で、本部長は群馬県警を総動員したのである。

 ……しかし、そうなると……と、保憲は青ざめた。

 大正天皇には皇太子時代、お忍びで市井(しせい)を探検されたという逸話がある。もしかして……!


 そんな彼の思考を、刑事の軽薄な笑い声が中断させた。

「あの本部長、警視庁から来た百々目警部補にヤキモチを焼いてたじゃないですか。だから意地悪をして、再三の要請にも応援を出さなかったんですよ。それが昨日の電話です。あの慌てよう。来月には降格ですね」

「二階級で済むかな……」


 兎にも角にも、こうして十三塚村の前まで到着した一行だったが、橋が落とされているのを見て呆然とした。

 先述した通り、この村は平家の落人集落として、外部からの侵入を拒絶するところがあった。そのため、唯一の入口であるこの橋も吊り橋と同様、簡単に落とせる構造となっていたのだ。それは同時に、村内からの脱出を防ぐ手段でもあった。

 この時は、百々目をはじめ警察関係者の脱出を阻止するために、あらかじめ橋を落としてあったのだ。

 ――時はまさに、暴動が始まったばかりである。

 だが、村人全員が暴動に加担していた訳ではない。主に女工たちは、何とかして村の異変を外部に知らせようと、川の向こう岸に集まっていた。

「お助けください!」

「大変な事になっています!」

 思わぬ助っ人に、彼女たちは声を上げた。

「川を渡る手段は他にないのか?」

 本部長の問いに、女工たちは各家から戸板を持ち出し、(いかだ)を繋いでこちらに渡す。これならば、人なら何とか渡れるだろうが……。

「おやおや、橋が流れているのかね」

 そこへやって来たのは、陸軍の騎馬小隊である。

「散歩をしに来たのだがね、これでは進めないではないか」

 と隊長の一声で、彼らは住む者のなくなった下沼家を解体し、瞬く間に馬の通れるほどの橋に組み換えてしまったのである。

「これでいい」

 と、彼らは悠然と橋を渡って行く。それを見た群馬県警の面々も、

「……行くぞ!」

 と便乗し……


 百々目の見た光景へと繋がる。

 保憲はそんな彼らを見送りながら、眉間を筋立てた。

 ――あの陸軍の小隊……。

 ここまでやって来た目的を察するに、何やらきな臭いものを感じる。

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