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十三塚ノ村  作者: 山岸マロニィ
【拾陸】終焉
50/70

(48)

 彼を見て、一同は目を丸くした。

「ちょ、長老!」

 ここ数年、家から出る事のなかったこの老人が、歩いて来たのである……もちろん一人ではなかったが。

「ごめんね、どうしても行くって言うもんだから」

 手を貸す縁者の婦人が苦笑した。


 東馬雄二が死亡してから面倒を見る者のいなくなった老人と馬を、東馬家の縁者が代わる代わる様子を見に行き世話をしていたのだ。

 今朝、彼女が朝食を運んで行くと、仁兵衛老人は機嫌が良さそうだった。痴呆の老人にありがちな、意識の状態の波があるのである。

「昨晩は酷くうるさかったが、何があったのじゃ」

 かつてのような平静な様子に、彼女は勝太郎逮捕の件を教えた――もちろん、動機や細かい事情は知らせる術もなかったが。

 すると老人は眉を吊り上げた。

「それはいかん……わしを、皆のところに連れて行っておくれ」


 ……そして、杖を支えに集会の輪の中に入ると、仁兵衛老人は声を上げた。

「このままではいかん。あんな若いモンに、あんな若いモンにだけ罪を負わせて、恥ずかしくはないのか」

 それは長老としての威厳のある、張りのある声だった。一座がシンと静まる。

「あいつは村を救おうとしたんじゃ。十三塚を再び建てて、祟り神を鎮めようとしたんじゃ。村の誇りじゃ。守り神じゃ。それなのに……」

 突然、仁兵衛老人が手で顔を覆った。おいおいと泣き声を上げ嘆く。

「わしがもう少し若ければ……役場に乗り込んであいつを……勝太郎を助け出すのじゃが……この老いぼれでは何もできん……」

「長老……」

 皆が仁兵衛を見上げ腰を浮かす。

「十三塚はまだ完成しておらん……勝太郎という守り神を失えば、また何が起こるか分からんぞ……」

 嫌な沈黙があった。一同は顔を見合わせ息を呑む。

「我々で十三塚を完成させねばならん……勝太郎の意思を継がねばならん……じゃが、この村は腰抜けばかりじゃ、平家の誇りを忘れた軟弱者たちばかりじゃ、あぁ嘆かわしい……」

「そんな事はねえ!」

 立ち上がったのは、勝太郎と同年の若者である。

「俺ァだって誇りはある! 勝ちゃんに負けてはおらん!」

「そうだそうだ、俺らは武神の末裔じゃ!」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

 老人は両手を下ろした――その皺だらけの顔はだが、もう泣いてはいなかった。

「村の掟は守らにゃならん。余所者の警察などに、いいようにされてたまるか」

 ここ数日の警官たちの横暴に腹を据えかねていた村人たちは強く頷く。彼らを見渡し、長老は杖に預けた半身を反らせた。

「――皆で再び、十三塚を建てようぞ」

「け、けどよ……」

 一人の若者が恐る恐る口を挟んだ。

「あと、残りは二人なんだろ? どうやって二人を選ぶんだ?」

 すると、仁兵衛は真顔で答えた。

「多いのは構わん。神様も何も言われん。少ないより、多い方がええ」

 一同は強い意思を持つ眼差しで互いを見回す。


 ――火種が導火線を奔り、火薬に引火した瞬間だった。


 勿論、全員に引火した訳ではない。だが、冷静に事態を見守っていればいるほど、口出しのできない状況であると悟ったであろう。下手に口を出せば、敵側だと認識されかねない――そうなっては、この村で生きていけないのだから。集団心理の恐ろしさである。


 誰かが叫ぶ。

「やるぞ!」

「エイエイオー!」


 ◇


 役場では、夜通しの取り調べが終わり、疲弊しきった面々がそれぞれ体を休めていた。

 百々目と長谷刑事も徹夜だが、前園巡査長をはじめ警官たちは、ここ二日あまり、総出で村人たちを見張っていたのである。そのため疲労が著しかった。

 百々目と長谷刑事は事務所の椅子に身を預け、天井を眺めていた……午後から田中勝太郎の身柄を県警本部に送る事になっている。それまでに、少しでも休んでおく必要があったのだ。

 と、そこへ前園巡査長が入ってきた。そして、

「申し訳ございませんでした」

 と、官帽を脱ぎ深々と頭を下げた。

「頭に血が昇っていたとはいえ、警部補殿に対し、大変無礼な発言をした上、警察官としてあるまじき勝手な行動をいたしました。深く反省しております」

「もういい。君も休め」

 百々目は瞼を閉じる。

「容疑者と同時に、我々も一旦引き上げる。まだ事件は解決してないなどと上が言ったら、おまえがやれと言い返す。無事に帰るだけの体力を取り戻してくれ。これは命令だ」

 前園巡査長は目に涙を浮かべた。

「ありがとうございます!」


 ……それからしばらく、百々目もうつらうつらとしたようだ。

 激しい物音にハッと身を起こすと、扉を破った村人たちが集会所に乱入していた。

「勝太郎はどこだ!」

「勝太郎を出せ!」

 警官たちは勝太郎に危害を加えに来たのかと思い、彼を庇うため、炊事場の横の小部屋の前に集まり壁を作った。

「そこにいるんだな?」

 村人たちはそう言うと、何のためらいもなく警官たちに、手にした鍬や鋤を振り下ろした。

「グワッ!」

「うぐっ!」

 複数の悲鳴と呻きが響く。

「何をしている!」

 そこに、警棒を持った警官たちが駆け付ける。そんな彼らの背後から、別の村人が飛び掛かった。そして首に腕を巻き付け締め上げるからたまらない。意識が飛んで引き倒された警官は、降り注ぐ打撃の的となった。


 ――暴動である。


 騒ぎを聞きつけた村人たちがそこに加わり、暴徒は加速度的に増していく。

 何とか事務所だけは扉を壊されずに済んでいるが、それも時間の問題だろう。

 百々目は咄嗟に身を伏せ、事務所の棚に置かれた収納箱に目を遣った――あの中には、警官たちの拳銃を全て納めている。引き上げの準備を済ませてあったのだ。そのせいで、彼らは満足な抵抗ができないのである。

 しかし、彼らに拳銃を渡せば解決する問題ではない。暴徒に奪われれば、最悪の事態となってしまう。警官たちに渡すメリットより、暴徒に渡るデメリットの方がはるかに大きい。


 音を立てないよう、机と椅子で簡易バリケードを作る。百々目と長谷刑事はゆっくりと、扉の陰に身を潜ませた。

「拳銃だけは渡してはならない」

「しかし、ここも時間の問題かと思われます」

 百々目は歯噛みした。この事務所は、役場の建物内を集会所に面して一部仕切ってあるもので、直接外部へ出る手段がない。窓はあるが、それは出入口のすぐ近くで、下手に出ようとすれば、続々と集まってくる暴徒に簡単に見つかってしまう。

 しかし、逡巡している間にも、警官たちは次々と倒されていく。疲れ果てた警官たちに、暴徒らは容赦がない。前園巡査長らが行った監視行動への反動もあるだろう。既に死者が何人か出ているかもしれない。

 ――全滅する前に、何か手を打たねばならない。


 百々目が立ち上がる。

「私が行く」

「いけません、殺されます!」

 そう言う長谷刑事の前で、百々目は収納箱を引き寄せ、拳銃を取り出した。手に一丁、予備に一丁を腰ベルトに差す。

「部下を助けるのも、上司の務めだ」

「ですが!」

「私が注意を引き付ける。その隙に君はその箱を川に捨てろ。もちろん、拳銃の使用(・・)を許可する」

 百々目はニヤリと長谷刑事に顔を向けた。

「行くぞ」

 その言葉と同時にバリケードを蹴り倒し、百々目は扉を開け放った。直後に天井に向けて三発発砲する。

「動くな! 動けば撃つ!」

 壁を背に、二丁拳銃で威嚇しながら集会所を奥へと移動する。一同は動きを止めて視線を彼に集中させ、事務所にいるもう一人を気にする者はない。

 集会所内の暴徒は五十名ほど、対して今立っている警官は十名足らず。床で呻いたり、或いは動かない者が十名ほど。田中勝太郎逮捕の報告と引き上げの手配のため、半数近くは早朝に村を出ている。その彼らの迎えを待っていたのだが、今の状況を見れば、被害者が少なくて済んだのは幸いだった。

 百々目の視線がチラリと動き、集会所の柱時計を確認する。現在十時。迎えが来るのは早くとも午後一時。あと三時間……果たして、何人生き残れるか。

 百々目は声を飛ばす。

「怪我人を運び出せ」

 軽傷の警官たちが動く。その動きに反応した村人に向け、百々目は発砲する――勿論、当てはしない。怪我でもさせれば、彼らは再び襲いかかってくるに違いない。計算された弾道が向こうの壁を穿っただけだ。

 歩ける者は動けない者に手を貸す。意識のない者も何人か運ばれていく。彼らに紛れて、収納箱を抱えた長谷刑事も役場を抜け出した。役場から出て辺りに散れば、逃げ延びる事も可能だろう。後はできる限り、逃げるための時間をここで繋ぐ。

 百々目は彼らとは逆に、ジリジリと奥へと進む。そして、田中勝太郎を収容してある小部屋の前に来た。手錠の上施錠してあるため、室内の彼は手出しできない。

 百々目は気付いていた。彼らの目的は、勝太郎に危害を加える事ではなく、彼を――彼らにとっての英雄を救い出す事。ならば、ここで時間を稼ぐ事が最も効果的だろう。

 間もなく集会所には、血走った目で百々目を睨む暴徒五十名余と、彼らの殺気を一手に浴びる百々目だけが残った。

 ……拳銃二丁ごときでは、もう太刀打ちできない。

 だが、彼はそれが目的だった。

 窓越しに、橋へと向かう部下たちを見届けると、彼は両手の拳銃を手放した。硬質の金属音が床を叩く。

 それから暴徒たちに顔を向ける。

「……さて、煮るでも焼くでも、好きにすればいい」

 ――自らの身を暴徒に差し出せば、命尽きるまでは、彼らをここに引き留めておく事ができる。


 殺気が沸騰する。

 手にした武器が振り上げられる。

 奇声が響き、床を踏み鳴らす音が轟く。


 清々しい気持ちだった。

 この村に来てから、全く役立たずだった。何人もの人が死ぬのを止められもせず、果てに部下をこのような目に遭わせた無能な上司には、こんな最期がお似合いだろう。

 ……少しでも誰かの役に立てるのなら、それで満足だ。

 百々目は目を閉じた。

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