(29)
五月十一日。
村は恐慌の中にあった。昨日の熊造の一件以来である。
「これまでの二件の殺人事件は、熊造の仕業ではないのか」
「粗暴なあいつならやりかねん」
「手に余ったきよめの婆を殺しておいて、村への当てつけにしたのだ」
と、村人たちは彼への忌避感を強めていたのだ。
百々目の耳にもその噂は入った。だが彼には、熊造がそのような事を行うようにはどうしても思えなかった。必死になって祖母を探した彼の様子は、とても偽物には見えない。
捜査資料を前にそんな事を思い悩んでいるところへ、土御門保憲と蘆屋いすゞがやって来た。
「炭酸饅頭の差し入れです。甘い物は頭の働きに良いと聞きますからね。皆様にもどうぞ」
と、いすゞは風呂敷包みを差し出す。
「それは助かる。皆で頂きます」
自分用にひとつ摘まんだ後、百々目は長谷刑事に包みを託した。
「それで、本題は?」
百々目は炭酸饅頭を頬張りながら保憲を見遣る。
「差し入れに来ただけですよ」
「君がそんな気を回す人物とは思えないのだがね」
そう言われ、保憲は白々しく口髭を撫でた。
「……考察の材料として、ひとつの案を」
彼はそう言い、警官のひとりが運んできた薬缶の湯を急須に注ぐ。少し蒸らした後、湯呑に紅茶を注ぐと、狭い事務所に香ばしい匂いが漂った。
「一昨日の夜に蘆屋君に言われ、昨日一日、温泉に浸かりながらじっくりと考えてみたのです」
百々目にとって嫌味にしか聞こえないのだが、保憲は気遣う素振りもなく続ける。
「清嗣翁の事件ときよめの婆の事件の繋がりです。ふたつの事件の特性を鑑みるに、どうも同じ犯人とは思えません」
「ほう」
「だからと言って、無関係な別々の事件とも考えにくい。つまり、同じ目的を持った別の人物が、それぞれのやり方で殺人を行った、と考えるのが、最も違和感がないのではと」
「つまりは、共犯という事かね?」
「共犯……もしくは、運命共同体」
炭酸饅頭を食べる手を止め、百々目は眉根を寄せた。
「どういう意味だね?」
「この村は、ひとつの運命共同体と言える気がするのです。千年もの間、掟を忠実に守り、村の秘密を守ってきた人々です。互いに意思を確認し合わなくとも、目指す方向が同じであれば、それぞれがそこへ向かって進む事ができる。そんな関係性なのではないかと考えます」
百々目の表情が徐々に強張っていく。
「なら、その目指す方向とは……」
「そこに『十三塚の祟り』を置いた場合、村人の誰もが犯人となる動機があるという事です」
嫌な空気が流れる。保憲の言わんとしているところの先に、泥沼のような迷宮を見たのだろう、百々目は眉間に深く筋を立てた。
「実は昨日、清嗣氏の通夜におぬいが参席した際、騒動があったという情報を得たのだがね、それがどんなものだったのか、誰からも聞き出せなかったのだ」
「…………」
「君の言う通りかもしれない。この事件には……」
だが最後まで言い終わらないうちに、事務所に前園巡査長が駆け込んできた。
「何事ですか?」
百々目は立ち上がる。前園巡査長は息を切らしながら、だがはっきりと聞こえる声でこう言った。
「また遺体が見付かりました。今度は、養蚕研究所の女工です」
――現場は、村の東側の斜面にある桑畑だった。
室の蚕種が全滅したものの、養蚕研究所では前橋の工場に保管されていた種で養蚕を続ける事となった。そこで今朝、女工たちはいつものように蚕の餌となる桑の葉の収穫に来たのだが、彼女らの一人が桑の隙間にそれを発見した。
「今朝は珍しく遅刻してたから、どうしたのかと思ってたんです。真面目な子なので、そんな事一度もなくて。そうしたら……」
第一発見者は肩を震わせ顔を覆う。
被害者は、川上とし子。
その顔に、保憲も見覚えがあった。開室の儀の後、迎えまでの時間を持て余した彼らが東馬家を訪れた際、十三塚神社まで送ってくれた、あの若い女工である。
この閉鎖的な村では、婚姻もまた閉鎖的である。村人全員、半家、川上家、田中家、東馬家、西家のいずれか、もしくはその全ての親族に当たる。川上家と東馬家が結婚をして新家に出て、そこで生まれた子が、田中家と西家が結婚をした新家の子と結ばれる――といった具合だ。
川上とし子は、そんな風にできた川上家系列の新家の娘だった。
そして、彼女の身に起きた悲劇を更に悲惨なものにしているのは、服装が乱れ、凌辱の跡がある事であった。
「…………」
むしろで覆われていた被害者の様子を確認した百々目は、怒りを隠しもせずに唇を噛んだ。
そんな彼に、先に現場に駆け付けていた長谷刑事が報告する。
「死因は頸部圧迫による絞殺のようです。今、老仏の療養所に医師を呼びに行かせています。詳しい事は検死の後ですが、遺体の様子から、犯行時刻は昨夜でしょう」
「なぜ彼女は、こんなところへ来たのでしょうか?」
少し離れたところから保憲が口を挟むと、第一発見者の周りに集まる仲間の女工が答えた。
「とし子ちゃんの家、すぐそこだから」
「彼女のご家族は?」
「惣八さんというお父さんがひとり。さっき、とし子ちゃんの顔を確認しに来た時、倒れてしまって、お巡りさんが家に運んでいきました」
「小さい頃にお母さんが死んで、男手ひとつでとし子ちゃんを育てた人だから、そりゃあ……」
間もなく医師が到着し、遺体は役場に運ばれ、事情聴取の場所も事務所に移された。
シクシクと涙する女工たちの話を聞くのは、百々目よりもいすゞの方が向いているようだった。同情を交え、時に励まし、実に巧み話を聞き出す。すっかり彼女を信用した女工たちは、やがてボソリと呟いた。
「熊造がやったに決まってる。あいつ、とし子ちゃんに横恋慕してたから」




