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十三塚ノ村  作者: 山岸マロニィ
【壱】十五ノ白骨
3/70

(1)

 ――大正十三年、四月十六日。

 東京・滝乃川。


「白骨が十五人分、ですか」

 お気に入りの庭園で優雅に午後のティータイムと洒落(しゃれ)こんでいた土御門(つちみがど)保憲(やすのり)は、雰囲気をぶち壊す物騒な言葉に眉をひそめた。

 ティーカップに伸ばした手を止め、テーブルを挟んだ向かいの男に目を向ける。

 桜は散り、若葉の眩しく萌え出す時期とはいえ、この日は肌寒かった。なのに、彼は広すぎる額に浮かぶ汗をおしぼりで拭い、ダミ声を張り上げた。

「そうなんですよ。いやね、私も実物を見た訳じゃないんですが、土石流を片付けようと泥を掘っていたら、出てくるわ出てくるわ、というじゃありませんか」

「その土石流というのが、去年の大地震で緩んだ地盤に台風の直撃を受けたという」

「ですです。老仏(おいふつ)温泉に大きな被害が出て、川べりの温泉宿が何軒か埋まりましてね。これでは商売にならないと、復興を急いでいたところにこの事件ですよ。そりゃあ大騒ぎになりましてね――」


 大正十三年といえば、関東大震災のあった翌年である。

 広大な敷地があるため、東京市内と言えど、滝野川の土御門邸は火災を免れた。とはいえ無傷とは言い切れず、揺れで傷んだ屋敷の修繕が、半年以上経った今でも続いている……というより、東京中が人手不足であり、危急の作業でなかった彼の住まいの修繕は後回しとなっていたのだ。

 更に言うなら、彼はこの屋敷で寝起きしてはいるが、彼のものではない。兄である土御門忠行(ただゆき)子爵の持ち物である。帝国議員として各地を飛び回る兄に代わり、次男坊の彼が留守番を預かっているに過ぎないのだ。

 無職同然の不肖(ふしょう)の弟の居場所を、そう言い訳して(あて)がってくれている兄に、彼は決して頭が上らない。そのため、兄から面倒事を押し付けられる事もしばしばあるのだが、この客人は兄の紹介ではない。

 もう一人、彼が逆らえない人物――。

 彼女は庭園テーブルの横で、澄まし顔でティーカップの香りを楽しんでいた。

 ――蘆屋(あしや)いすゞ。

 日本有数の大財閥のご令嬢が、気まぐれに文芸誌の記者をしている因果で、土御門保憲は彼女の上司である増岡編集長の、せっかくの紅茶が不味くなるような話を聞かねばならないのだ。


「その新聞記事は私も読みました。上州――群馬県の話ですね。確か、死亡時期も分からないような古いお(こつ)であるから、警察も捜査をせずに、そのまま地元のお寺で供養されたとか」

「さすが先生、情報に(さと)くていらっしゃる」

「先生はやめてください……で、そんな事件を、文芸誌の編集長であるあなたが、なぜ調べているのですか?」

「実はですね……」

 増岡編集長は、汗で温くなったおしぼりをもみくちゃにしながら、テーブルに身を乗り出す。

「業界内で、これからはミステリィの時代だという話がありましてね。去年デビューした新人で凄いのが出まして、大評判なんですよ。こりゃあミステリィが流行るだろうから、うちもそういう方向のネタをひとつ立ち上げてみようと、そういう訳で」

「江戸川乱歩ですか」

「さすが先生……」

「だから先生はやめてください。『二銭銅貨』は私も読みました。この国にもとうとう、こういう才覚が現れたかと思いましたよ」

「そうでしょう。ですけどね、同じ事をやっても面白くありませんから、うちでは実際の事件を題材にした話でやろうとなりまして。で、何か題材がないかと探していたところ、十五の白骨発見事件に行き当たった訳です」

 そこで保憲は少し姿勢を正した。「歌人」と名乗ってはいるが、一応文筆家の端くれである。もしかしたら、その事件にまつわる物語の書き手として選ばれたのでは……と、期待したのも無理はない。

 ところが、増岡編集長はつらつらと続けた。

「ちょうど今、蘆屋君が作家見習いを世話してましてね。女流作家なんですが、彼女に書かせてみようかと」

 保憲はすぐさま安楽椅子に背を戻した。

「先生には、その十五の白骨の正体を推理して欲しいのですよ」

「私は探偵ではない。推理などしない」

「そう(おっしゃ)らず。先生の御高名は、我々の編集部でも有名なんですよ」

「だから、先生と呼ぶのは()したまえ」


 不機嫌にふんぞり返る保憲の前に、スッと何かが差し出された。蘆屋いすゞである。彼女はニッコリとしてこう言った。

「先生なら、これ、ご存知ですよね?」

 言われた土御門保憲の目は、薄緑に白の唐草模様を施された小さな缶に釘付けになった。

「……フォートリアンズのロイヤルブレンド」

「さすが先生。英国王室御用達の百貨店が、エドワード七世のご即位を記念してブレンドした紅茶の最高級品な事くらい、当然ご存知ですね」

「…………」

「きっと、この上なく上質な味わいなんでしょうねー」

 保憲は忌々しいという感情を隠しもしない目で蘆屋いすゞを睨み、それから大きく溜息を吐き空を仰いだ。

「君の釣り人としての腕は一流であると認めよう」

「それは先生、私に釣られていただけた、という解釈で(よろ)しいんですね」

 蘆屋いすゞは保憲の前に紅茶缶をそっと置き、クロコダイルのバックから手帳を取り出した。

「では、白骨発見のあらましを説明しますね。……ええと、まず大地震が起きたのが、去年の九月一日」

「それは誰でも知っている」

「で、九月十二日から十五日に掛けての台風による大雨で、群馬県の奥地を流れる片口(かたくち)川の上流で、崖崩れが起きて川が()き止められ、それが土石流となって下流の老仏温泉に被害を出したのが、十六日です」

 いすゞの説明を受け、増岡編集長が解説を付け加える。

「老仏温泉とは、前橋から北の山の中に入ったところにある温泉街です。近年、前橋は養蚕(ようさん)で栄えてますからな、老仏温泉もそれなりに景気は盛んなようです。特に、かの『(なか)製糸工業』が本社を置いてからの発展といったら、目を見張るものがありまして。上質な絹を求めて全国から商売人が集まりますので、近くの温泉街は、接待やら商談の客やらで賑わっていたようですよ」

 保憲は余計なお世話とばかりに殊更(ことさら)大きく(うなず)いた。

「それで、九月十六日の晩、土石流が温泉街を襲う訳です。しかし、過去にも何度か大水はあったようで、宿の人は慣れたものでしてな、気配を察して客を全員避難させたから、怪我人はなかったそうです。ですが、大きな岩や瓦礫がゴロゴロ流れてきたんで、復興に手間取りましてな、白骨が見つかったというのは、ひと月経った十月二十日です。一応、警察に連絡はしたんですが、相当古いものだろうから、事件性があったところで時効を過ぎていると、詳しい捜査はしなかったようなのですな」

「しかし……」

 と、保憲はティーカップを揺らす。

「土砂と一緒に流れてきたのであれば、よくその骨が十五人分と分かったものですね」

 すると、増岡編集長はニヤニヤと身を乗り出した。

「実は私の知り合いに、帝東(ていとう)大学の大学病院にいる医学博士ってのがおりまして。いや、たまたま同郷なだけの顔見知りです。彼がその時、念の為にと警察に呼ばれたそうでしてね。その彼に、面白い話があるからと後で聞いて、私もこの十五の白骨事件に興味を持った次第なのです。……それは置いておいて、その博士、さすがですな。バラバラになった骨の欠片を、これは大人の大腿骨(だいたいこつ)だ、これは子供のあばら骨だと、まるでパズルのように組み立てていく訳です。それで、あちこち欠けてはいるものの、だいたい形になったところで数えてみたら、どうも十五人分あるぞと、そんな具合で」

「なるほど……」

「それでも、もっと広範囲に白骨が散らばっていたら、さすがの博士でも人数までは分からなかっただろうと言ってましてね。そこから、どうもひとつ場所に埋葬されていたものが、崖崩れでひとまとめに流れ出たんじゃないかと」

 嬉々として語る増岡編集長に、保憲は苦々しい目を向けた。まともな人間なら、こんなに楽しそうに語る内容ではない。

 だが彼は更に声を弾ませ、話を続ける。

「土に埋もれていたのなら、風化具合から五十年以上は経っているだろうと、教授は言っていました。ところが……」

 含みを持たせる増岡編集長の言い方に、保憲は(わず)かに眉を上げた。

「何か変わった事があったのかね?」

 増岡編集長は勿体(もったい)ぶって大袈裟に腕を組み、ギトギトと脂ぎった視線を上目遣いに保憲を見た。

「――ひとつだけ、他とは違う、奇妙な骨があったというんですよ」

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