(24)
五月八日は、気持ちよく晴れ上がった初夏の空だった。
この日は友引であるが、神式の葬儀な上、六曜がこの国に入ったのは鎌倉時代。平安からのしきたりを守るこの村に、そういう概念は関係ないのだ。
一応、土御門保憲と蘆屋いすゞも葬儀には参列し、玉串を奉ると他の弔問客に混ざって野辺送りを見送った。
その後、百々目のところへ顔を出し、昨日お梅に聞いた「村の掟」から、村人による犯行の可能性に思い当った次第を彼に伝える。
「何と……」
百々目は驚いた様子を見せたが、すぐに深く頷いた。
「何かに執着した人の心というのは、時に考えられないほど恐ろしい行動を起こし得ます……関東大震災直後の騒動は、この辺りでも聞きました。混乱の最中、あらぬ疑いを掛けられ、無実の人々が凶刃に斃れた事例もあったと」
「……はい」
「方向性として調べる価値はありそうです。その線でも、捜査を進めてみましょう」
と、長谷刑事を呼んだところに、だが駆け込んできたのは熊造だった。
「村のモンは誰も相手になってくれねえ。でもあんたなら、俺の話を聞いてくれるだろ?」
縋るような眼差しに、百々目は答えた。
「何があったのですか? 話してください」
「婆さんがいなくなった。あちこち探したがどこにも居ねえ」
「あなたのお婆様ですか?」
「そうだ。うちの曾祖母さんだ。一緒に住んでる、ただひとりの家族だ」
熊造によると、昨晩、清嗣翁の通夜に行くと家を出たきり、戻っていないようだ。
「あなたは昨夜、どこで何をしていましたか?」
「俺ァ、夜狩りに行っていたンだ。山の獣は目が光るから、夜の方が見やすいんだ」
村じゅうが裳に服している時に狩りとは……と、保憲と百々目はチラリと顔を見合わせたが、彼は村へ入れないとされている身、関係ないのだろう。すぐに熊造に目を戻し、百々目は言った。
「しかし、銃声は聞こえませんでした」
「夜は弓を使う。うるせえと文句を言われるでな」
弓――という言葉で、保憲は思い出した。夏子の元に送られた矢文の件である。獣のように粗暴な彼が、あのような手の込んだ事を考えつくとはどうにも思えないのだが……。
その横で、百々目は熊造に真摯に向き合う。
「あなたが家に戻ったのは?」
「明け方だ」
「なら、お婆様はお通夜から戻っていないのか、一度戻った後で姿を消したのかは分かりませんね」
それから熊造に連れられて、百々目と保憲と三名の警官が、彼の荒屋へ向かった。危険を伴う可能性があるため、いすゞは役場に待機である。
橋の袂の小屋の、傾いた戸の横には、前夜の獲物だろう、鹿が置かれたままになっていた。小屋の内部も外観と同じく粗末な有様で、土間に簀の子が敷かれ、藁の寝具が置かれているような生活感である。馬小屋の方がマシではないかと思えるほどだ。
「ここであなたは、お婆様と二人暮らしをしていたのですか?」
表情には出さないようにしているものの、百々目の言葉に少々の驚きが混じるのは仕方ないだろう。
「お父ォもお母ァも、兄貴も姉貴も全部死んじまった。死に損ないの婆さんの世話をしながら、俺ァもいつ死のうかと考えているところだ」
彼の境遇を考えれば、そのような言葉が出るのも無理はない。保憲は軽く眉を寄せる。
しかし百々目は、彼の肩をポンと叩くと軽く微笑んだ。
「今はその時ではありません。お婆様を探しましょう」
家の裏の竹藪から捜索を始める。警官三名と二手に分かれ、声を掛け合いながら奥へと進む。
保憲は百々目と熊造に付き添って、周囲を見回しながら二人の会話を聞いていた。
「お婆様の事を詳しく教えていただけますか?」
「名前はおぬい。酷い皮膚病でな、村の嫌われ者だ」
「…………」
「うちはこんな身分だで、医者にも掛かれんから病気のモンが多いんだ。婆さんの娘にも病気持ちがいたらしい。だから婆さんはそれが感染ったんだ」
爛れた皮膚を隠すため、顔や手足に布を巻き、普段は人目に出ない生活を送っていたようだ。
「それなのに、お通夜には行かれたのですね」
「嫌がらせだろうな」
熊造は答える。
「穢れた身分の嫌われ者が、小綺麗にしてお高く留まってる奴らのとこへ顔を出せば、嫌がるだろ」
この一族の積年の恨みは、とんでもなく根深いようだ。保憲は暗澹たる気持ちになった。百々目も同じようで、しばらく黙々と竹藪を進んだ。周囲に視線を走らせるが、人影はどこにもない。
やがて三人は竹藪を抜け、片口川の川べりに出た。清流は穏やかで、空の青さを映して美しい。
……と、そこに赤く漂うものが見えた。金魚の鰭のように流れにたなびくそれを見て、熊造が声を上げた。
「婆さんだ!」
――赤い布を全身に巻いた老女は、清流に突っ伏していた。
息がないのは、一目瞭然だった。
「婆さん! 婆さん!」
熊造が腰まで水に浸かりながら小さな体を引き上げる。
その時、顔を覆った布が外れ、素顔が露わとなったのだが、それは心構えをしていたはずの百々目と保憲の喉の奥から、小さく悲鳴が漏れるほどのものだった。
目鼻立ちは無数の瘤ですっかり覆われ、瞼を失った片目の奥に、濁った眼球が覗いているのが見えた。その上、長時間水に浸かっていた浮腫で灰色になり、到底直視できる様相ではなかった。
思わず後ずさった二人に、熊造は冷めた目を向けた。
「やっぱりあんたらも、他の奴らと変わらねえな」
◇
おぬいの遺体は役場に運ばれ、再び老仏温泉から呼ばれた医師により検死が行われる事となった。
事務所では、百々目が熊造から話を聞こうとしているのだが、すっかり心を閉ざしてしまった彼は、一言も発しようとしなかった。
一方、保憲はいすゞに呼ばれ、役場の奥、集会所に隣接する調理場で困惑していた。
「また家出をしたのですか?」
聡の娘の半夏子である。彼女は喪服のまま、泣き出しそうな表情で鼻をすする。
「酷いのよ。お通夜の晩、まるで初夜みたいに、私と太輔さんの部屋を一緒にするのよ」
「…………」
「その上、太輔さん、やれ酒を注げだの着物の畳み方が悪いだの、口うるさい姑みたいで。嫌になって部屋を飛び出したの。そうしたら、父も母もものすごく怒るのよ。お爺さまのお見送りだけはと我慢してたけど、もう無理。私、あの家にはいられないわ」
「で、私が役場にいるのを見掛けて逃げ込んで来た、って訳」
「なるほどな……」
夏子の話が本当なら、さすがにやり方が強引すぎる。保憲でさえも、同情を禁じ得ないと思った。
「とはいえ、すぐに見つかるだろう」
「だから、いすゞお姉さまにお願いなのよ。どうか、私を匿ってくださらない?」
夏子の目は怯えを孕んでいる。困り果てた表情でいすゞは保憲を見た。
「彼女をこのままご両親の元へ送り届けるのは忍びないわ。何とかうまく話をつけられないかしら」
「ふむ……」
保憲は腕組みをする。
「もうすぐ検死が終わるだろう。君は医師と一緒に、老仏温泉の療養所へ行ったらどうかね?」
「どんな言い訳で?」
「祖父の死による心労、でいいだろう。恐らく明日、遺言が開封される。君の両親はその件が片付くまで、村を離れられない。一件落着するまで、君はそこでゆっくりしなさい」
遺言が表に出れば、夏子の婚姻など吹き飛ぶ大騒動となる。保憲はそう確信していた。
「ありがとうございます」
夏子は深々と頭を下げ、警察車両で療養所へ送られる医師と共に村を出て行った。いすゞもそれに付き添い、先に紀ノ屋へ戻るそうだ。
――そして保憲は、おぬいの検死の結果を百々目から聞く事となった。
外はすっかり暗くなっている。ランプの明かりで書きかけの調書を見れば、熊造は結局、何も語らずに自宅へ戻った事が推察できた。
事務所の粗末な机を挟んで百々目と向き合う保憲に、彼は疲れ切った声で言った。
「死因は紐状のもので頸部を圧迫されての絞殺、死亡推定時刻は深夜二時頃――つまりは、殺人だ」




