(20)
十三塚村の役場の事務所では、百々目と荻島弁護士が待っていた。
保憲が扉を入った途端、厳重に施錠してから、百々目は荻島弁護士の前に座った。
「あなたなら気を利かせて来てくれるかと思いましたが」
「気が利かずに申し訳ない」
言葉と裏腹な仏頂面で言いながら、保憲は机にハンカチの包みを置く。
「これは?」
「遺言の写真の若者です」
恐る恐るハンカチを開いた荻島弁護士は、骨を見てヒッと声を上げた。
「ど、どういう事ですか?」
保憲は経緯を説明する。
老仏温泉に流れ着いた十五の白骨は、十三塚に埋めらていた可能性が高く、そのうち十三人は旅芸人の大熊一座、残る二人は清一氏と、その息子である傷痍軍人……。
写真と骨を並べて聞いていた荻島弁護士は、首筋の冷や汗を拭って溜息を吐いた。
「まさか、清嗣翁が一切をご存知だったとは……」
「彼の身元に、心当たりはおありではないですか?」
「私の方では、軍服から……襟の形や軍章からですな、所属を探ろうとはしたのですが、日露戦争で旅順に向かった陸軍第三軍だろうというところまでしか分からず。あの地の戦いは凄絶なものだったと聞きます。生存者を当たるだけでも一苦労で」
昨日以来の心労が大きいのだろう、動揺を隠し切れない初老の弁護士は、すっかり精彩を欠いている。
保憲はチラリと百々目に目を向けた。
「警察の力を持ってしたら、簡単ではありませんか?」
だが百々目は渋い顔を見せた。
「後ほど照会を依頼してみますが、君も知っての通り、警察と軍は良好とは言えぬ関係にある。増してやこちらは地方の県警。要望を呑んでくれる可能性は極めて低いかと」
それから、保憲は荻島弁護士に顔を向けた。
「わざわざ私をお呼びになった用件とは何でしょう?」
すると彼は、居心地悪そうに百々目に目を向けた。彼は容赦なく告げる。
「先代、つまり半製糸工業創業者の半清輔氏が亡くなった時の話です。この件に関する依頼を受けている以上、あなたも聞いておいた方が良いと思いご進言しました」
そう言われて諦めたように、荻島弁護士は告げた。
「先代が亡くなったのは、清一氏が消息を絶つのと同時期でした」
「何と……」
「そして、お亡くなりになった場所というのが、清嗣翁が発見された、あの室なのです」
五十年も前の事なので、当時の状況を直接知っている訳ではないとしながらも、荻島弁護士は生前、清嗣翁から聞いたという話をしだした。
「そんな状況ですから、清嗣翁は家業を引き継いだ当時、あらぬ噂を立てられたそうです。先代を亡き者にし、後継者である清一氏に女を宛がって追い出して、身上を奪ったなどと。というのも、先代の亡くなり方も『事故』と呼ぶには不自然な点が多く……」
「当時の県警は、事故として処理したようですがね」
と、百々目は傍らの黒表紙の綴りを開く。
「種の様子を見に、清輔氏が室に入ったところ、何かの拍子に扉の閂が掛かってしまい、極寒の中に閉じ込められた事による凍死、となっています」
「ええ。ですが、体が頑丈な上、現場に慣れた先代としては考えにくいと、そう言われていたようです。とはいえ、清嗣翁の堅実で誠実な手腕が、ここまで会社を大きくしましたから、悪く言う人はいなくなりました」
そこまで言って、荻島弁護士は額の汗を拭った。保憲は口髭を撫でながらその様子を眺める。
「そういう事情を踏まえた上で、清嗣翁の殺害と遺言との関連性は、どのようにお考えですか?」
保憲の言葉に荻島弁護士はハッと顔を上げ、ブルブルと首を横に振った。
「ま、まさか、あなた様は清嗣翁が先代を亡き者にしたから、その罪滅ぼしに、清一氏のご子息を探しているとでも……!」
「自身でそうお考えになった事が一度でもあったから、私にその事情をお話しにならなかったのでは?」
敏腕弁護士も形無しである。荻島弁護士は力なく鼈甲縁の眼鏡を外した。
「確かに、そう考えた事はございました。ご本心を掴み切れないところが、清嗣翁にはおありでしたから。しかし、これだけは言わせてください。清嗣翁は、先代である清輔氏を心から尊敬しておられました。ご自身を貶める噂に反論もされず、先代から引き継いだ会社を身を粉にして守ってこられたのがその証拠です。庶子であるにも拘らず取り立ててもらったという恩だけでなく、企業家としての人間性を、それはもう、神か仏を崇めるかのように」
そこまで言って、荻島弁護士は再び汗を拭う。
「ですので、噂にあるような事は断じてないと、私は考えております。そんな理由から、あなた様にはお伝えするまでもないと考えました」
「なるほど……」
保憲はそう答えて首を傾げる。
「となると、やはりあなたは、清嗣翁が殺された原因は遺言にあるとお考えで」
「考えたくはないですが。正直、清嗣翁が不審な形で亡くなられたと聞き、もしや遺言の内容が漏れたのではと、慌てて帝東銀行に預けてあったこの遺言状を確認しに行ったくらいです」
そう言いながら、荻島弁護士は、鞄から厳重に封をされた封書を取り出した。そこには達筆な墨書きで『遺言状』の文字と、清嗣翁の署名が入っている。
彼はすぐにそれを鞄に戻し、
「ご葬儀が終わり次第、開封する事となります。私はそれが、何よりも恐ろしい」
「遺言には、他に?」
百々目の質問に、だが初老の弁護士はきっぱりと答えた。
「警部補殿とはいえ、今はこれ以上申し上げられません」
「分かりました。あなたと清嗣氏の関係性も、よく分かりました――それを見込んで、もうひとつ質問ですが」
百々目は机に肘を置き指を組んだ。
「清嗣氏に、恋愛関係にある女性はいらしたのですか?」
すると、荻島弁護士はキョトンと顔を上げた。
「いえ、聞いた事がありません。奥様がお亡くなりになってから、浮いた噂のひとつない清廉な方でしたので」
……荻島弁護士はその足で、滋の待つ本家に向かったらしい。
保憲は百々目と向かい合わせの席で、不可解な表情を彼に向けた。
「最後の質問の意図は、何だったのですか?」
「第一発見者の千代という女中に、清嗣氏の愛人であるという噂があったので」
「千代……」
熊造から彼らを守ってくれた頬かむりの娘だと、保憲は思い出した。
「彼女は日露戦争の戦争孤児で、支援事業の一環として半家に引き取られたと聞きました」
「戦争孤児……」
百々目は呟いた。
「遺言の写真の傷痍軍人の子だとしても、矛盾はありませんね」
それには、保憲も身を乗り出した。
「まさか……」
「可能性です。証拠はありません。しかし……」
なぜ彼女は半家に引き取られたのか。それに、清嗣翁の格別の寵愛。それに偶然以外の理由があるとすれば……。
すると、事務所の扉が開き、若い巡査が入ってきた。
彼は敬礼をするとこう言った。
「第一発見者の千代が、気分が落ち着いたから事情聴取を受けても良いと申しております」




