(19)
紀ノ屋の女将から電話の旨を伝えられ、受話器を取ったのはその日の午後だった。
「保憲、湯治はどうだ?」
兄である。全く、彼の情報の敏さといったら、天から見下ろしているかのようだ。
「兄上こそ、このような湯治場に何のご用ですか?」
苦々しさを何とか隠し、保憲が質問を返すが、忠行は何食わぬ声でこう言った。
「知り合いが十三塚村へ向かったようだ」
「知り合い?」
「おまえの事を宜しく頼んである」
「…………?」
「一言、挨拶に行ってきてくれ」
恐らく、群馬県警の動きを観察していたのだろう。そして十三塚村の異変を察し、保憲に協力せよと言いたいのだ。
だが、その「知り合い」の名を聞いて、保憲も思わず姿勢を正したのだった。
早速、村へ二度目の来訪をする事となった保憲は、いすゞを伴ってハイヤーに乗り込んだ。
「――百々目? 変わった名前ね」
車内で事情を聞かされたいすゞは、率直な感想を述べた。保憲は運転手を意識して声を低くする。
「一歩違えば、『殿下』とお呼びせねばならない立場のお方だ」
「…………え?」
「公にはされていないがな」
「それは、つまり、『やんごとなき』を形容詞として使うご身分、って事?」
保憲も詳しくは知らない。だが「なにがしの宮様のご落胤」が物好きにも警察官をしているという話は、兄から聞いていた。
その彼――百々目潔宣警部補は、端正な顔立ちに口髭の似合う、三十前後の紳士だった。世間擦れしていない気品を持つのは、警察官としては異色だろう。
三つ揃いで包んだ長身をこちらに向け、彼は敬礼をして見せた。
「わざわざ東京からお越しとは」
「彼女――蘆屋いすゞという雑誌記者です、その付き添いで、養蚕の取材に来ていたところですので」
長谷刑事に古びた椅子を示され、保憲は腰を下ろした。椅子は二脚しかないようで、いすゞは醤油樽である。その滑稽さに釣り合わない緊張した面持ちをしているのが、余計におかしい。
「半清嗣氏には、お会いになられたのですかな?」
百々目も椅子に腰を下ろし、ランプが照らす粗末な机越しに保憲に向き合う。
「はい、昨日」
「それはそれは……」
そう言ってから、百々目は表情を改めた。
「早速ですが、半清嗣氏の件はご存知で?」
「今しがた、長谷さんに伺いました。明日の新聞は大騒ぎでしょう」
「ならば話は早い。昨日、何か変わった事はありませんでしたか?」
「いえ、特に……と言いたいところですが」
保憲はきっぱりと言い切った。
「犯人の動機として考えられるのは、遺言の件かと思います」
「遺言?」
「実は、清嗣氏から遺言についての依頼を受けたという顧問弁護士から、人探しを依頼されておりまして」
表沙汰になるのは時間の問題と、保憲はあらましを全て百々目に打ち明けた。彼は腕組みし、眉間に皺を寄せる。
「つまり、その遺言によって不利益を被る者が犯人と」
「或いは、その逆かも知れません」
「遺言が訂正されぬうちに、被害者に死んで欲しかった……」
百々目は腕組みし、机に並んだ書類を眺めた。
「荻島弁護士に連絡は?」
それには長谷刑事が答えた。
「長男の滋氏が、既に連絡を取ったようです。明朝には来られると」
「あの……」
そこに言葉を挟んだのはいすゞだ。
「去年の土石流で老仏温泉に流れ着いた、十五人分の白骨については、群馬県警でどこまでの調査を?」
すると驚いたように百々目はいすゞを見た。
「十三塚村の事件と聞いて、今朝、関連する資料にザッと目を通してきました。老仏温泉の白骨についても、この村にある墓地から流れ出た可能性があるようですね。しかし、古い骨であるため、事件である立証も、仮に事件であるとしても既に時効で立件もできないため、発見後の調査はしていないようです」
「そうなると、おかしな事が……」
いすゞは、三月に十三塚神社を訪れた時の西宮司の話をした。
「警察の方が来ていないとすると、警察を名乗って白骨について調べに来た人は、一体誰なんでしょう?」
「つまり君は、この事件と十五の白骨とに繋がりがあると言いたいのですか?」
「少なくとも、遺言には関わっていると思います」
保憲が説明する――清一氏の息子と思われる人物についてである。
「その十五の白骨に、清嗣氏の指名した遺産相続人が含まれていると」
「あくまで可能性ですが……そのお骨は、どこのお寺に?」
百々目がチラリと長谷刑事に目を向ける。すると彼は壁際の棚に置かれた書類を開いた。
「……老仏温泉の萬永寺と書いてあります」
◇
翌、五月七日。
百々目は荻島弁護士を来訪を受けていた。
「こんな事になっていたとは……」
滋からの一報で東京の事務所を飛び出し、夕刊で事件の速報を見て青ざめたという。
「ご自害されたと聞いて列車に乗ったら、まさか殺人とは、驚きました」
「滋氏はご自害と?」
「はい……先代も不可解な亡くなり方をされたので、二代続けてとは、何の因果かと……」
冷静沈着な荻島弁護士も相当動揺していると見える。つい口を滑らせたという風に、彼はハッと口を押さえた。百々目は言った。
「詳しくお聞かせ願えませんか?」
◇
一方、老仏温泉の土御門保憲と蘆屋いすゞは、萬永寺の住職と問答をしていた。
「警察の方でもないのに、ご遺骨をお見せするのは、ちょっと……」
「駄目ですか」
「無縁仏とはいえ仏様です。赤の他人にお見せするなど、罰当たりも甚だしい」
「でしたら……」
いすゞは袱紗をそっと差し出す。
「今からそのご遺骨の、ご法要をお願いします」
「はあ?」
「お願いします」
押し付けられた袱紗を開き目を見開いた住職は、そそくさと法座の準備を始めた。
保憲もそれには呆気に取られ、いすゞに囁く。
「幾ら包んだのだね?」
「野暮な事は言わないでください」
この寺での無縁仏の扱いは、預かってから一年は本堂で供養をし、その後、他のお骨と一緒くたに納骨塔に納められるという。だから、半年ほど前に収められた十五の白木の骨箱は、まだ本堂の奥に並んでいた。
それを、高座の後ろの台に並べてから、帽子と七条袈裟に着替えて現れた住職は、朗々と読経を始めた。
細い目をしてその後ろ姿を眺めてから、保憲は目の前にズラリと並んだ骨箱を見渡した……今のうちに見ろ、という事だ。いすゞと目配せしてから、保憲は右端から。いすゞは左端から、骨箱を確認していく。
白木の蓋にはそれぞれ、「大人(男)」「大人(女か)」「子供」というように、骨の特徴が書かれた紙が貼られていた。念の為、全ての中身を見てみるが、たくさんの量が入った箱もあれば、ほんの数本が納められただけの箱もあった。
そして、真ん中の箱には「大人(傷痍軍人か)」と書かれていた。
いすゞと顔を見合わせてから、保憲は蓋を外す。そして中身を見て息を呑んだ。
一番上に、三分(約九ミリメートル)ほどの穴の穿たれた、平らな骨が乗せられていたのだ。
確かに銃創に見える。これが清一の息子なのだろうか。
保憲はその骨をそっと抜き取ると、ハンカチで包んで内ポケットに収めた。
と、その時……。
「すみませーん、土御門様はこちらでございましょうかー」
住職は振り向きもしない。仕方なく、呼ばれた保憲が本堂から顔を出すと、紀ノ屋の番頭がこう言った。
「お客様、十三塚村からお迎えが来ております。警察の方がお呼びだとか」
チラリと振り返ると、いすゞがあんぐりと口を開けていた。
「え、そんな……」
「後は頼んだ」
保憲は番頭と一緒に紀ノ屋に向かった。




