(18)
遺体発見現場は、室の中だった。
昨日行われた「開室の儀」の片付けも済み、全滅した蚕の種も処分され、ガランとした風穴である。
瓢箪の窪みに鉄扉が取り付けられているのだが、扉の奥はやはり瓢箪の腹のようにドーム状の広間となっている。本来、ここには棚が置かれ、蚕の種を納めた箱を並べてあるのだが、全滅という結果を受け、病気や害虫の発生を考慮し、一旦全て出して清掃消毒をする事となったのだ。
冬の間に詰められた雪の塊だけが、岩壁に張り付くように残されていた。
酷く冷えるその洞窟の、最奥に据えられた神棚の下で、裃姿の老人は切腹していた。
濃い血の匂いに、百々目は思わず口にハンカチを当てる――捜査員の手前、指揮官である彼がこの有り様とは情けないが、生理的な拒否反応はどうしようもないのだ。
「警部補殿、これは殺しではなく自害ではありませんかね」
警官隊の頭である前園巡査長が、懐中電灯で遺体を照らす。洞窟内部で照明もないため、入口扉を全開にしてもかなり暗いのだ。
「確かに、そうも見えるが」
言いながら、できるだけ遺体を見ないように、百々目は被害者の腹部に突き立つ短刀に目を遣る。
「切腹というのは、前のめりに倒れて絶命するのもではないかね?」
と、百々目は細い目で遺体の様子を観察する。
半清嗣老人の遺体は、神棚のある岩壁に凭れるように倒れていた。白い裃に血の汚れは付いておらず、平らに削られた洞窟の床に大きな血溜りができている。
そして、細い両手でガッシリと短刀の柄を握ったまま、被害者は穏やかな表情で目を閉じていた。
百々目の横に並び、前園巡査長は腕組みをした。
「一息に死に切れなかったために、苦悶して身を仰け反った……」
「いや、血溜まりや衣装の様子を見ると、暴れた痕跡はない。それに……」
と、百々目は前園巡査長から懐中電灯を借り、血溜まりの周辺を照らす。
「――足跡らしきものがある」
血溜りから点々と出口に続く、血を判で押したその足跡を懐中電灯で追う。するとそれは、洞窟の中ほどでプツリと途切れていた。恐らく、足跡に気付いた犯人が、途中で靴を脱いだのだろう。
「殺人事件を視野に入れての捜査とする。検死を行う。医師を呼んでくれ」
◇
第一発見者の千代は、泣き腫らした目を呆然と泳がせ、憔悴した様子で座敷に座っていた。
十三塚城の三の丸に当たる部分にある控えの間である。
混乱した彼女を女中仲間が宥め、ようやく落ち着いたところのようだった。
「お話を伺えますか?」
百々目が前に座ると、彼女は目だけを彼に向けた。
「ええ」
「君が被害者を発見した時の……」
「被害者なんて呼ばないでください。旦那様は、私にとっては唯一無二の、大切なお方でしたから……」
彼女は再び、自分を失ったように泣き叫ぶ。それを聞いた女中たちが駆け付けると、
「申し訳ございません。もう少し、そっとしておいてもらえませんか?」
と、百々目は追い出されてしまった。
代わりに話を聞いたのは、女中頭のお里である。
「あの子、特別でしたから」
還暦近い小太りの彼女は、物言いたげに百々目を見上げた。
「旦那様に、特別に可愛がられてまして」
「それで取り乱していると?」
「はい……あの、ここだけの話、妾だって噂もありましたから。老いらくの恋、ってやつ」
「なるほど……」
お里の話によると、十三塚城の裏手にある使用人小屋に彼女の悲鳴が響き渡ったのは、まだ夜も開けきらぬ頃だった。飛び起きて声のした養蚕研究所を見に行くと、取り乱した千代が室から飛び出してきた。そこで下男が室の中を確認し、慌てて警察に連絡をしに行こうと駆け出した。
「で、橋のとこまで来たら、熊造にどうしたのかと呼び止められて、事情を話したら、俺が行ってやると。熊造、あの顔で馬に乗れるから」
東馬家で馬を借りた熊造は、馬を駆って老仏温泉の駐在所に危急を知らせたのだ。
「村に駐在所はないからね。おまけに医者もいない。何かあれば、老仏温泉まで走らなきゃならないんだよ」
次に百々目が事情聴取を行ったのは、かくいう熊造である。
役場とは名ばかりの、ガランとした空き家に場所を移す。集会所となっている広間の片隅を仕切っただけの簡素な事務所の椅子に腰を下ろし、だが熊造はおどおどとしていた。
「俺ァ『きよめ』だから、本当は村にゃあ入っちゃやらねえ事になってンだ」
「きよめ?」
「穢多、っつった方が分かりやすいか」
「…………」
熊造の話は、お里に聞いた通りだった。
「もういいか?」
立ち上がった熊造に、百々目は手を差し出した。
「事件の迅速な報告に感謝します」
「お、俺ァの手なんか触ったたら、穢れるぞ」
熊造は手を引っ込めようとするが、その手を百々目は両手で握る。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
「…………」
「ご協力、感謝します」
◇
そのまま、役場の建物に捜査本部が置かれる事となった。
事件当時、屋敷にいた人物全員の取り調べを一通り済ませると、既に夕刻になっていた。
事務所の机に資料を並べ、百々目は固い椅子に背を預けてそれらを眺める。写真は現像に出している最中で、出来次第、資料に貼られる事になるだろう。
現場検証を終えた遺体は、先程この建物で、老仏温泉の医師により検死が行われた。老仏温泉は古くからの湯治場であり、県内有数の療養所がある。そのため、医師は複数常駐しているのだ。
そのうちの一人、最もベテランの医師による診断だが、死亡推定時刻は深夜零時前後、死因は外傷――つまりは切腹の傷による失血死、との事だった。
「躊躇い傷が複数ありますね。それに、傷の内部が綺麗ではない」
医師は傷の様子を見て言った。
「時間をかけてゆっくりと、短刀を刺していったのでしょう」
それが、百々目には引っかかっていた。
確かに、被害者は両手で短刀の柄を握っていた。更には、短刀は祭儀用に扉の上に掲げられていたもので、自害を否定する要素はないように見える。
――だが、人間、いや生物として、ゆっくりと腹に刃物を刺すという行為による苦痛を、耐えられるものだろうか。
しかし、抵抗したり暴れたりした痕跡が一切ないのだ。自害したにしろ何者かに刺されたにせよ、そんな事があり得るのだろうか?
それから、足跡である。
混乱した第一発見者の千代のものかとも思われたのだが、明らかに女のものではなかった。これは血痕に気付いた犯人が、途中で靴を脱いだと考えるべきだろうと、百々目は思った……もちろん、それが自害を完全に否定する根拠とはなり得ない事も理解している。
そして、今朝の雨。犯人が存在するとしても、研究所を出てからの犯人の消息は雨に流され、そこでパタリと消えてしまったのだ。
雨上がりの夕空に虹が掛かっていた。事務所の外の集会所では泊まりの用意がされている。老仏温泉で調達した布団が並べられ、老仏温泉から仕出しが届けられる。事件解決まで、ここが捜査員たちの住まいとなるのだ。
早く解決すれば良いが。
そう思いながら、天井に吊られたランプに火を灯す。そこで事務所の扉がノックされ、長谷刑事が顔を出した。
「あの、来客なんですが」
「来客?」
百々目が席を立つより早く、その人物は事務所に入ってきた。
小柄で貧相な男と、対照的な外国人ばりの大女の二人である。
男は鳥打帽を外し長谷刑事に預ける。世間ずれしていないその所作に、百々目は眉をひそめた。
「どちらさまで?」
「土御門保憲と申します――兄と、ご懇意にしていただいているようで」




