(16)
東馬家を後にした二人は、十三塚神社へと向かった。用のついでと、川上家の新家のとし子という若い女工が案内してくれる。
吊り橋への辻にあるペンキ塗りの建物に来ると、玄関先で煙草を吸っている男に彼女は軽く頭を下げた。
「村長さん、こんにちは」
だがでっぷりとした腹を持て余すように紫煙を吐き出しただけで、男は挨拶しなかった。
少し過ぎてから、いすゞが呟く。
「感じ悪いわね」
「ええ、昔からああいうお人です」
とし子は苦笑した。
――川上琢敬。川上家の当主であり、村長だ。
彼が立っていたあの建物は、かつては繭の加工場として使われていたが、今は半家の研究所にその場を移したため、名目上は「役場」となっているらしい。とはいえ、役人が詰めている訳ではない。名こそは「村」となっているが、病院も駐在所もない僻地だ。実質、老仏温泉の飛び地の扱いのため、役場の建物はほとんど空っぽであり、たまに集会所として使われる程度だという。
「それでも、村長だってところを見せたいんでしょうね、暇があると役場に来て、ふんぞり返ってるんです。でも、御館様ご一家にはペコペコして、まるで提灯持ちなんですよ」
一応身内ではあるのだが、とし子は辛辣だ。
いすゞに聞いた通りのスリル満点の吊り橋を渡り、石段を上ると鳥居が見える。開室の儀でもそうだったが、やはり、赤い紙垂の下がった注連縄というのには、どうにも慣れない。
午前中の務めを終えた西宮司は既に普段着に着替え、境内を掃き清めていた。そこにとし子が声を掛ける。
「こんにちは。喜子ちゃんにこれを。お饅頭を頂いたものですから」
と、先程の炭酸饅頭を幾つか包んだものを、彼女は西宮司に差し出した。
「それは有難い。神前にお供えしてから、家内に食べさせよう」
「元気なお子さんが生まれるといいですね」
いすゞから「御新造さんがいる」とは聞いていたが、身重だったとは。栄養を付けようという心遣いなのだろう。二人の仲の良さが伺えると、保憲は思った。
「では、これで」
とし子が会釈をして去ると、西宮司は残った二人を見て顔を曇らせた。
「まだ、何かご用で?」
そこで保憲は前に踏み出し、内ポケットから名刺を取り出した。
「土御門と申します」
西宮司は目を見開いた。
――いすゞにとっては、再びの社務所の座敷。身重の御新造さんに茶を呈され、保憲は湯呑みに口を付けた。
「土御門と申されますと、やはり陰陽頭の」
陰陽頭とは、平安の頃より暦を取り仕切ってきた陰陽寮の長官である。安倍晴明を祖とする土御門家は、代々陰陽寮にて重職に就いてきた。
現在の暦とは、ただ日付を確認するためのものに過ぎないが、昔は吉凶を鑑み全ての行事を定める重要なものであったのだ。そのため、戦に陰陽師が従軍した例もあったらしい。
西家がそのような立場であったのではと、保憲は推測していた。そして先程の東馬雄二の話で確かなものとなった。
案の定、土御門の名を聞いた途端、西宮司は反応を見せた。
「私どももかつては『陰陽師』を名乗っておりました。もちろん、末席ではございますが」
西宮司は額の汗に手拭いを当てる。
「まさか、宗家の方にお越しいただくとは」
「いえ、ただの居候です」
のらりくらりと返答をする保憲に、西宮司は訝しい目を向けた。
「そのようなお方が、何のご用で?」
「『十三塚』には、どのような呪いを込めていたのですか?」
仏頂面の保憲の言葉に、西宮司は固まった。噴き出した汗が血の気の引いた頬を伝う。まるで溺れた魚のようにアワアワと口を開閉してから、彼は乾いた声を絞り出した。
「な、なぜ、それを……」
「十三という数です。十三塚は、真ん中にひとつと、残り十二を周囲に配していたそうですね」
「え、ええ、まあ……」
「その形は、六芒星を模してはいませんでしたか?」
保憲が指で宙に描く形を見て、中宮司はギクッと身を震わせた。
「あなたも陰陽師ならご存知でしょう。通常、陰陽道では五芒星を使います。五行の調和を示す安定の形です。一方、六芒星の用途は違う。悪しきものを封じる、或いは力の伝播に使う……違いますかな?」
いすゞは唖然と保憲を眺めた。彼が家柄に似つかわしい事を言い出したので驚いたのだろう。
「この村の成り立ちからして、だいたいの想像はつく。十三塚の起源は、源氏の目を欺くためというのは方便で、実は、源氏を呪うものだったのではありませんか?」
静寂が座敷を包む。やがて西宮司は大きく息を吐くとガクリと肩を落とした。
「仰る通りです」
「お認めになりましたね。では……」
保憲の声色は淡々としている。しかし有無を言わさぬ冷酷さがあった。
「何を、呪いの核にしたのですか?」
空気が張り詰めた。重苦しい緊張が、いすゞの呼吸をも止めた。
保憲は追い詰める。
「その呪いが強ければ強いほど、代償としてのモノも大きくなる。千年もの間、白い色を禁じるほどの怨みを募らせてきたくらいですから、形だけという事はないでしょう――十三塚の中身は、空ではなかった」
針が刺すような緊張は、諦めた西宮司の薄笑いで解かれた。
「……敵いませんな、さすが陰陽頭だけはある」
「私は陰陽師などではありません。それに、明治以降、陰陽師というものは存在しません」
西宮司は茶を一口飲み、乱暴に盆に戻した。
「確かに、人柱が埋まっていました」
「旅芸人の一座ですか?」
「あぁ、そんなのもいたかもしれません」
そう言ってから、西宮司は血走った目を保憲に向けた。
「この村の成り立ちをご存知なら、この村がどのようにしてこの地で生きてきたのかも、想像できるでしょう。源氏の目から逃れるため、ひっそりと、息を潜めるようにして生きてきた。けれども時折、迷い人が訪れる。それをそのまま送り出しては、村の存在が他に知れてしまう」
西宮司の口がニッと吊り上がる。
「そういう人たちを、十三塚に埋めたんですよ」
いすゞは息を呑む。ハイヤー運転手が言っていた「十三塚村に行った者は戻らない」という噂話は、本当だったのだ。
「それがたかが十五や十六だとお思いですか? この千年、三桁は下らない数を埋めたという話ですよ。そのうちのたった十五が、下流に流れ着いたというだけの事です……あなた方も、気を付けた方がいい」




