(15)
その後、昼食となったのだが、本丸の座敷に集まった人々は寡黙だった。
正面に清嗣翁、その左右に向き合う滋と聡兄弟、滋の横には妻の馨子、聡の隣にいすゞ、そして翁の向かいに保憲が座る事となった。
千代をはじめ、女中の面々が祝い膳を運ぶ。だが豪華な料理も、この重々しい空気の中では虚しいだけであった。
保憲もまた、礼儀上料理に箸を付けるものの、とても味わう雰囲気ではないので、相対する人々の様子を観察する事にした。
半滋は、神経質そうに目を泳がせながら、黙々とお膳をつついている。
年齢は五十間近か。平和な時代の殿様を思わせるふくよかさではあるが、頻繁に妻に目を向けるところを見ると、肝は小さいのだろう。シャツに背広を羽織っている姿も、母親に怒られないかビクビクする子供のように頼りない。
その横に座る馨子は、滋の視線に気付いているだろうが、お膳を見据え、箸を持ったまま動かない。
この夫婦を並べてみると、滋の方が一回り以上も年配な上、馨子が若作りであるから、まるで父娘のようだ。しかし精神年齢的には、馨子が母で滋は出来の悪い息子といったところだろう。
彼らの向かいで、半聡は足を崩し、膝で貧乏ゆすりをしながら料理を口に運ぶ。滋と対照的に、肝の据わった険しい目で、何やら考え事をしているようだ。
大正はじめに東京営業本部ができてから、東京、しかも先進の文化の集う銀座に暮らしているので、同じシャツに背広でも、滋よりも数段洗練されている。年齢は四十半ばであるが、引き締まった体躯は若々しく、四十そこそこに見える。どちらかというと、聡の方が馨子と釣り合うのではと、お節介にも思えてしまう。
そんな息子たちの間で、清嗣翁は静かに食事を進める。裃から紬の羽織に着替えているが、これも十三塚の絹だろうか、実に品が良い。しかし、どうも食が細く思える。痩せこけた頬を見ても、荻島弁護士の言う通り、体の具合が悪いのかもしれない。
そうしてしばらく黙々とお膳に向き合っていたが、重苦しい沈黙に耐えかねたようで、いすゞが声を出した。
「営業本部長、ご内儀はお越しでないのですか?」
「普段は男三人だ。君らが来ると言うから対応に来た、そこの馨子が余計なんだよ」
聡の声から苛立ちが滲み出ていて、いすゞは首を竦めた。
すると、馨子が言い返す。
「あら、随分な言い方ですこと。本来、取材を受けるのは営業本部のお仕事でなくて? 静代さん、養蚕にはご興味があられないから、記者さんの質問に困るといけないと気を回して、私がこうして来たのですけれど」
これには、聡も言い返せないようで、不機嫌に手酌をして一杯呷った。
あまりにも険悪な空気に、今すぐ席を辞したい気分ではあるが、それでは「記者の助手」としての務めを果たせない。仕方なく、保憲が話を継ぐ。
「通常は、蚕の種は何色をしているものなのですか?」
すると馨子が答えた。
「生まれたばかりは白です。休眠する際には小豆色になります。孵化が近くなると、それがもう少し青く……」
「あんな赤い種、初めてだ」
震え声でそう言ったのは滋である。
「去年、十三塚が流れてから、村でおかしな事が頻発してるそうじゃないか。村人たちは呪いだの祟りだのと言っている。種が全滅したのも、きっと十三塚の祟りなんだ」
「やめなさい、滋」
ピシャリと清嗣が釘を刺す。だが滋の言葉に、保憲が興味を持たないはずがなかった。
「先程、女工も言っていましたね。十三塚に、何か謂れがあるのでしょうか?」
だがその後、一同が口を開く事はなかった。
◇
取材にならなくなったため、保憲といすゞは十三塚城をお暇し、村へと向かった。
すると、先程とは打って変わって村の中が騒がしい。井戸端や軒先で、村人たちがヒソヒソと話し合っている。そして保憲たちの姿を見ると、コソコソと家の中に隠れてしまうのだ。研究所での異変が、村に知れ渡ったのだろう。
「これからどうしましょ?」
投げやりにいすゞが言った。
「夕方まで迎えは来ないのだな」
「まだ何時間もありますよ」
手持ち無沙汰に歩いていると、二人に声を掛けてきた者があった。
「あんたら、何者だ?」
見ると、少し離れた辻で、頬かむりに尻端折りの日焼けした男が、馬の手綱を手にこちらを見ていた……熊造よりは敵意はなさそうだが、好意的な雰囲気でもない。
だが、そこはいすゞである。記者魂でにこやかに答えた。
「東京の出版社の者です。養蚕始めの儀式の取材に伺ったのですが、トラブルがあったようで、お話が聞けなくなって困っていたところです。もしよろしければ、ご都合が良い範囲で結構ですので、取材させていただけませんでしょうか?」
場所を移し、村の東端にある農家である。大きな馬小屋があり、村で使う農耕馬を一手に世話している『厩番』と呼ばれる家らしい。
男は東馬雄二。三十後半の素朴な田舎者である。だが人望はあるらしく、騒ぎを聞きつけた村人たちが次々に囲炉裏端に集まってきた。
後で知った事だが、この家は農民の代表のような立ち位置で、彼の祖父が長老らしい。
「皆様にお土産です」
いすゞが手提げ鞄から取り出したのは、清水荘の炭酸饅頭だ。こんな事もあろうかと用意してきたものが役に立った。村ではこのように甘い物は手に入らないようで、村人たちはご満悦だ。
東馬雄二は、庭先で遊んでいる子供を呼んだ。
「佳衣、饅頭だぞ、こっちに来い」
彼の一人娘だ。他に家族は、祖父の仁兵衛のみ。三人で暮らしている。
「爺さんはボケて奥の部屋で寝とる。お父お母も死んだし、嫁もスペイン風邪で死んだ」
それだけに、娘の佳衣は目に入れても痛くないほど可愛いらしい。七、八歳の娘を膝に乗せ、東馬雄二は嬉々と語った。
ここで、彼が話した村の構成を説明しておこうと思う。
何度も書いているが、この村は源平合戦で敗れた平家の落人とその従属の十三の家から成り立っている。だが長い年月で七つの家は途絶え、現在は六つの家を中心に、その家々から独立した新家で構成される。
――その六つの家のうち、頂点に立つのが『御館様』の半家である。
――次が、家臣筆頭に当たる『お頭』の川上家。
――武門を重んじる『太刀持ち』の田中家。
――当時から馬の世話を預かってきた『厩番』の東馬家。
――『陰陽師』であった事から神社を任された西家。
――そして、『きよめ』の下沼家。
本来は別の名だったであろうが、半家が名を変えたのと同じく、身分を偽る必要があった。川沿いに屋敷を構える川上家や、村の東にある東馬家のように、それぞれの家が住まいとする場所に因んだ苗字を名乗っている。
そんな古くからの風習の根強い彼らでも、明治以降の行政的なものを避ける事はできない。名目上、『お頭』の川上家が村長となり、『太刀持ち』の田中家は在郷軍人としてお国に奉仕しているという。
その他の新家は、基本的に夫の姓を名乗り、男は田畑を耕し、女は養蚕場へ奉公に出る。長い年月、閉鎖的な婚姻を繰り返してきたために、村人たち全員がどこか似た容貌をしているのが特徴的であった。
甘味というのは言葉の潤滑油となる。気を許した村人たちは、誰からともなく噂話に興じだした。
「しっかし、驚いたね。お蚕さんの種が真っ赤なんて、見た事ないよ」
儀式に同席した女工が既に、村じゅうに話を広めたのだろう。
「室が全滅というじゃないか。今年の繭はどうするんだい」
「前橋の工場のものを運べば、何とかなるだろうさ」
「でも、あの室のお蚕は特別だったんだろ? 品質は落ちるだろうね」
すると、東馬雄二が眉間に皺を寄せた。
「――やっぱり、十三塚の祟りに違いない」
その言葉に、村人たちも賛同する。
「十三塚が流れてから、どうもおかしいと思ってんだ」
「あれは村の守り神だからな。それが流れちまったんだ、良くない事は起きるさ」
「それなんですけど……」
そこに口を挟んだのはいすゞだ。
「十三塚が流れてから、村で立て続けにおかしな事が起こっているとか。何があったんですか?」
すると、村人たちはそれぞれ顔を見合わせてから、口々に喋りだした。
「川上の新家のヨッちゃんが流産した」
「田中の新家のケイちゃんとこの犬が死んだ」
「うちの種籾がみんな狸に食われちまった」
「うちのお父ォの出来モンが治らねえ」
余りに他愛のないものばかりで、保憲は苦笑せざるを得なかった。しかし、村人たちは真剣だ。
「きっと、十三塚の祟りに違ェねえだ」
「いや――」
そこに声を上げたのは東馬雄二だ。
「祟りは、もう何年も前から始まっとるんだ。俺のお父もお母も、嫁が死んだのも、きっと祟りのせいだ。十三塚が流れたのだって、祟りが原因なんだ……村の掟を破ったから、神様がお怒りなんだ」




