(13)
千代と別れ、馨子の案内で屋敷を進む。
保憲はいすゞのおまけのような扱いだが、その分気兼ねなく、屋敷の中を見物できた。
十三塚城の名の通り、まるで城郭のような造りだ。二の丸、三の丸という風に、広大な敷地に渦を巻くように、建物が複雑に連なっている。
「この屋敷は、明治に入ってから、製糸業に成功した先代が建てたものなのです。お城みたいでございましょ? うちの御先祖は平家ですから、平家の天下を再び、という気持ちがあったようですの。可笑しいですわね」
歩きながら、馨子がいすゞに説明する。
なるほど、千代の言った通り、案内がなければ迷子になるだろう。数々の座敷と座敷を無数の廊下が縦横に繋ぐ。そこから見える庭は美しく手入れされ、その向こうには敷地を囲む土塀が巡っていた。
「このように厳重なのは、あちらの建物――今日、儀式を行う養蚕研究所なんですけど、あそこで育てている蚕が特別なものだからなのです」
廊下の途中で足を止め、馨子が指した先にあるのは、屋根の高い合掌造りの建物である。
「前橋の工場で使っているのは、品種改良を重ねた、より病に強くより大きな繭を作る蚕なんですけど、この研究所では、日本古来の原種を飼っておりますの。糸が細い分、非常にしなやかで繊細な生糸に仕上がるのですけど、加工に熟練の技術が必要ですし、環境の変化に弱い品種ですので、ごく少量しか生産できないのです」
この研究所で作られた生糸は、皇室へ献上されるほどの最高級品らしい。希少価値が高く、当然高価だ。今ではその技法が残されているのは、この研究所だけだという。そのため、その技法は家宝とされ、外部に漏れないよう、厳重な塀で護っている。先代の清輔氏がこの村の出身である事を公言しなかった理由も、この辺りにあるのかもしれない。保憲は思った。
「それでも、昔よりはたくさんできるようにはなりましたのよ。昔は年に一度しか繭が取れませんでしたけど、先代が取り入れたやり方で、蚕の餌である桑の葉の採れる時期なら、安定して生産できるようになりましたので」
同じ時期に卵――この業界では「種」と呼ぶらしい――が孵化し、全ての蚕が同じように成長するのは、自然の摂理である。だが、繭から糸を紡ぐ作業の人手や設備には制限があるため、生糸の生産に限りがあったのだ。
そこで考え出されたのが、種を低温で貯蔵する方法である。蚕は種の状態で冬眠する。つまり、低温で保てば蚕は孵化しないのだ。
そうしておき、作業人員に見合った数だけ順に孵化させれば、一年の多くの時期で作業が可能となり、大量の生糸が生産できる。
「前橋の工場に送る分には人工飼料を使いますから、通年の飼育が可能ですけど、こちらは特別な蚕ですから、桑しか食べさせません。ですので、桑が育ったこの時期に、種を孵化させるため貯蔵庫から出しますの。その一年の養蚕始めの儀式が『開室の儀』ですのよ」
「なるほど」
いすゞは神妙にメモを取る。
再び歩きだし、二の丸を過ぎた辺りの濡れ縁で、馨子は再び足を止めた。
「あちらの山の際に、土蔵が見えますでしょ? あの中にはその昔、沼田藩のお殿様に賜った品ですとか、徳川家への献上の返礼品ですとかが収めらてるようですけどね」
そう言って、馨子は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「私もそれを見た事がございませんの。鍵を失くしただか壊れたとかで、今では開かずの蔵なんですのよ。私なんかからしたら、宝の持ち腐れだと思いますけど、嫁の立場ですし、それ以上は……」
愛想笑いを返しつつ、いすゞは話題を変えた。
「お殿様や将軍様、そして御皇室の皆々さまをも魅了する、十三塚の絹を見てみたいですね」
「あら、それでしたら、こちらにございますわよ」
馨子が廊下の先の襖を開ける。
その座敷の奥には、眩いばかりの輝きを放つ白無垢が掛けられていた。
「うわぁ……素敵……」
いすゞも女性である。溜息と共に羨望の色を目に浮かべる。
「私の花嫁衣裳ですの」
馨子はそう言って、白打掛を手に取る。
「二十五年も前のものですけど」
それを聞いて、いすゞは目を丸くした。
「えっ! 失礼ですけど、お幾つなのですか?」
「あら嫌だ、女性に年齢を聞くのは失礼ですわよ」
馨子は冗談っぽく返しつつ、遠い目をする。
「十五で結婚しましたので。私は当時、住み込みで働くいち女工でした。それを滋さんに目を掛けていただき玉の輿に」
保憲は目を細めた。三十そこそこに見えるこの婦人、実際のところは四十を超えているらしい。とんでもない化け狐だ。
そんな彼の表情に目もくれず、馨子はいすゞの肩に白打掛を掛ける。
「この生地は全て、あの研究所の絹を使っておりますの。艶が違いますでしょ?」
「本当に滑らかで肌触りが素晴らしいわ」
「さすがにお目が高いですわね」
「ですけど……」
と、いすゞは打掛を馨子に返し質問する。
「この村では、白は禁忌の色と聞きましたが」
「花嫁衣裳がなぜ白なのか、ご存知ありません?」
馨子は衣紋掛けに打掛を戻す。
「婚家の色に染まります、という意味ですのよ」
「なるほど……」
つまり、これから「赤」に染まれば問題ない、という意味だろう。
それから二人が案内されたのは、本丸に当たる座敷だった。
淡い浅葱色に染められた障子紙を見て、保憲は目を見張った。「白」の禁忌がここまで徹底されているのかと、さすがの彼も息を呑む心地だ。
「馨子でございます。お義父様、お客様がお越しになりました」
彼女が声を掛けると、障子の向こうから声がした。
「入りなさい」
馨子が膝をつき障子を引く。
その奥に広がる座敷は、十二畳ほどに床の間のついた、城の威容と比べれば拍子抜けするほど質素な部屋だった。床の間の掛け軸以外、装飾品らしいものは何もない。
――その座敷の正面奥に、『御館様』は座していた。
「よくお越しくださいました。半清嗣でございます」
儀式用だろう、純白の裃に、だが深紅の襟を合わせ、老人は背中を丸めて頭を下げた。




