(12)
橋を渡ると、いすゞに聞いていた通り、まるで時代錯誤を起こしたような山里であった。
藁葺きの農家と、少し立派な板葺の家。その周辺には水を張った田んぼが広がるが、まだ田植えはされていない。苗代が鮮やかな緑を靡かせているだけだ。
村の西側と北側は小高い山、北から東側の斜面には桑が植えられている。そして南側の湿地では花菖蒲が見頃を迎えていた。
保憲から見れば、四神相応を思わせるような土地である。先祖が後の千年の繁栄を願いこの地を選んだとすれば、陰陽師でもいたのではないかと勘繰るほどだ。
そして、今日は端午の節句。庭先に鯉のぼりが立つ家もある……しかし、人っ子一人、子供の歓声すら聞こえないのはあまりにも奇異である。
不気味なまでに静まり返った村道を、北に聳える山に向かって娘は進んでいく。保憲といすゞの二人は、その後を無言で歩いていたのだが、やがて気まずく思ったのだろう、娘が愛想笑いを浮かべて振り返った。
「皆さん人見知りですので、ご堪忍ください。悪い人たちじゃないんですけど」
その言い方に引っかかりを覚え、保憲は尋ねてみた。
「あなたは村の外から来られたのですか?」
「はい。東京生まれです。身寄りのないところを、旦那様に拾っていただきました」
「東京からこの田舎……あ、ごめんなさい、でも、私も東京生まれだから……、環境が変わって大変だったでしょう」
いすゞが言うと、娘は笑った。
「幼い頃の事ですので、東京の事はあまり覚えていません。それに、旦那様に良くしていただいているので」
娘は千代と名乗った。年齢は夏子とそう変わらない、二十歳そこそこだろう。こんな田舎に似つかわしくない垢抜けた顔立ちをしている。荒いざらしの絣に藍の前掛けという出で立ちでも、内に秘めたしなやかさを感じられるほどだ。
物心もつかぬ頃、日露戦争で戦争孤児となった彼女を、孤児の支援事業をしていた半清嗣翁が目に止め、屋敷に引き取ったという。今は、半家の屋敷で女中として住み込みで働いているらしい。
「ご苦労なさったわね」
「とんでもない……父の顔も母の顔も、覚えてないんです。旦那様がお祖父さまみたいで、慕わせていただいています」
明るくそう言う彼女が、だが排他的な環境の中どれだけ苦労をしてきたか、保憲には伝わった。
田んぼ道を進むと、村の中央付近にふたつの三つ辻がある。
手前の辻は、色褪せた錆色のペンキ塗りの小屋の手前で左に向かう。その奥に吊り橋が見えた。前回いすゞが来た時に、十三塚神社に向かった道だろう。吊り橋の先に石段があり、村の西側を守る山の上へと続いている。
農家にしては立派な屋敷の角で分岐する、右へ向かう辻の先には、突き当たりに馬小屋のある家があった。桑畑に接する立地であり、ここの馬は飼葉に桑を喰んでいるのかもしれないと保憲は思った。
そこを真っ直ぐ進むと徐々に田んぼがなくなり、道は森に囲まれる。その途中に一軒、他とは違う立派な家があったのだが、半家はそこではなかった。
「この先が、『御館様』のお屋敷です」
背の高い森の木立の隙間から千代が示した道の先。山の中腹には、大名屋敷どころか、城と見紛うばかりの威容が見下ろしていた。
「これは立派な……」
保憲も思わず感嘆したほどだ。
「お屋敷の中も、迷子になるほど広いですので、どうか私について来てくださいませ」
千代がクスリと笑った。
◇
――『十三塚城』。
外部から来た者にそう呼ばれているらしい。真正面から見上げた保憲といすゞも、その呼び名は相応しいと思った。
白を禁じる村の掟に忠実に建てられているためだろう、黒漆喰の重々しさに圧迫感を覚える――いや、外壁の黒さだけではない。白を取り囲む土塀が、これまた戦国の城を思わせる堅牢さで、見る者を見下ろしているのだ。
高い塀に設えられた櫓門を潜り、斜面を彩る庭園を縫う石段を上がった先が、ようやく玄関である。
ところが、そこから先の案内役は、別の人物に引き継がれる事となった。
「若奥様!」
御影石のたたきを入り、上がり框に佇むその姿を見て、千代は膝をつき畏まった。
「あら嫌だ、千代ったら。まるで私が偉そうにしてるみたいじゃない」
そう鼻で笑ったこの人物こそ、「尼将軍」と持て囃される、前橋本社社長である半滋の妻・馨子である。
「申し訳ございません。こちらにお越しと存じ上げなかったもので」
細い声で答える千代に、馨子は高笑いを浴びせた。
「嫌ね、東京の聡さんから聞いたのよ……『開室の儀』を取材なさるとか。失礼があってはいけませんのでね、私からご説明させていただこうと思いまして、今朝方来ましたの」
「尼将軍」と大層な名で呼ばれる割に、半馨子は驚くほど若く見える。三十歳を回ったばかりの印象だ。
蠱惑的な笑みを浮かべるその美貌は、魔性を感じさせるほどである。静代のような気品には欠けるものの、目立つ柄の洋装と相まって、歓楽街で女王と君臨できそうな強かさを纏っている。濃い化粧と耳隠しに整えた髪は先進的ではあるが、どこか媚びた視線は、いすゞや夏子のような開放的な女性像とは一線を画す影を帯びていた。
千代の横に進み出て、挨拶をしたのはいすゞだ。
「ご挨拶が遅れました。神田書房の蘆屋と申します。この度は取材をお受け頂き、ありがとうございます」
と言って名刺を差し出すと、馨子は吊り目を細めた。
「姪の夏子から聞きましたわ。蘆屋財閥のお嬢様が記者をなさっていると聞いて、どんな方なのかしらと思っておりましたけど、こんなにお美しい方でいらしたとは」
お世辞を軽くあしらい、いすゞが保憲を「助手」と紹介する。すると彼女は軽く一瞥しただけで、
「どうぞ、お入りになって」
と、いすゞを屋敷に導いたのである。




