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その後、保憲といすゞは、十五の白骨の発見現場を見に行く事にした。
バスの運転手の話による老仏温泉の由来を思い出す。かつてこの地を荒した大蛇を山の神が追い払った際、傷を負ったのを見た弘法大師が「ここで傷を癒しなさい」と杖を振った先から湧き出したのがこの温泉、との事だった。「追い仏」がなまって「老仏」とか。
そんな歴史ある温泉街でも、去年の土石流は前代未聞の惨事だったらしい。
川に下る坂を少し行くと、その惨状が見て取れる。河岸に堆積した土砂が景観をすっかり変え、風光明媚とは程遠い景色となっていた。旅館でもらった、一年前に撮られたという絵葉書と見比べて、保憲はやるさなさを感じずにいられなかった。
「温泉宿が三軒埋まったみたいです。そのうち、一番被害の少なかった一軒は何とか建て直そうとしてるみたいですけど、あとの二件は廃業を決めてしまい、土石流の跡も手付かずとか」
女将に取材をしたのだろう。手帳を見ながらいすゞが説明する。
「過去にも大水や氾濫はあっても、ここまでの被害は初めてだったみたいですね。女将さんも温泉街が受けた打撃を嘆いてました」
川沿いの道に出る。碧くゆらめく片口川の流れを見下ろすと、惨劇の爪痕が信じられないほどに穏やかだ。
その道を少し下流に行く。すると建築中の建物があった。その様子を眺める男に、いすゞが声を掛けた。
「あの、もしかして……」
やはり彼は、土石流の被害を受けた三軒のうち、復興を目指す一軒『清水荘』の主人だった。
清水荘は、紀ノ屋に次いでこの温泉街では老舗らしい。紀ノ屋が豪華さが売りの観光旅館なら、この清水荘は、湯治場としての趣向の強い質素な宿である。
「山の上の、客室のある棟は無事だったんで、何とか営業はできてるんです。でも、自慢の風呂がやられましてね。客足は全くです」
気のいい主人は、二人を清水荘の帳場に案内し、仲居にお茶を運ばせた。
「あなたが白骨を発見したのですか?」
保憲の問いに、主人は渋い顔をした。
「あんなものを見つけちまったから、余計に風呂の再建が遅れてるんですよ」
「申し訳ないんですが、白骨発見当時の事を、詳しくお聞かせ願えませんか?」
いすゞが尋ねると、彼は大きく息を吐いた。
「ええ。ご覧になったように、大きな岩がゴロゴロ流れて来たもので、それらを運び出すのにずいぶんと手間取りましてね。大雑把に取り除くのにひと月もかかりましたよ。それから、さて次は泥を除けてしまおうと作業を始めたら、泥の中から骨がザクザクと」
「それが、去年の十月二十日ですね?」
手帳を見ながらいすゞが確認する。
「その辺りだったかと。もし事件ならいけないと警察に届けたら、現場検証やら新聞記者やらと大騒ぎになってしまって。骨なんて、気持ち悪いじゃないですか。人足も来なくなって。やっと地ならしが終わったのが、今年に入ってからです」
「それまでも、この地域では洪水は度々あったとか」
「ええ。なんで、山鳴りで分かります。こりゃあ川が暴れるぞと。お陰でお客さんを避難させられた事だけは幸いでした」
増岡編集長の話の通りである。保憲は清々しい香りの茶を一口啜り、尋ねた。
「――それまでの洪水で、骨や死体が流れてきた事は?」
保憲の言葉に、主人はブンブンと首を振る。
「やめてください、そんな物騒な事を。骨なんてもうたくさんです」
「奇妙だと思わないかね」
清水荘を出た二人は、再び紀ノ屋のある温泉街への坂を上っていた。
「何がです?」
取材のお礼にと買った、清水荘の名物らしい炭酸饅頭を頬張りながら、いすゞは保憲に目を向けた。
「以前、君はハイヤーの運転手に言われたそうじゃないか。十三塚村へ行った者は戻らないと」
「はい、言われました」
「私はそれを、かの地へ向かう道は交通の難所であり、遭難者が多かったのではと解釈したのだ」
「…………」
「遭難者が土左衛門となり、片口川を流れてきてもおかしくない。清水荘のある辺りは、水の溜まりやすい地域だから尚更だ」
饅頭を食べる手を止め、いすゞはクリっとした目を保憲に向ける。彼は言った。
「遭難したのではないとするならば、消えた者たちはどこに行ったのか?」
◇
――翌、五月五日。
保憲といすゞは、前橋から呼び寄せたハイヤーで十三塚村へと向かった。先日、いすゞを乗せた運転手である。彼は嫌々といった表情を隠しもしなかった。
「物好きなお嬢さんだ」
「余計なお世話よ」
そこに、保憲が口を挟む。
「君、この先は特に道が険しいという事はあるのかね?」
「いいや、穏やかなモンです。上越へ抜ける街道から外れてるんで、あまり人は来ませんがね」
そうは言うものの、川沿いの崖を行く際は肝が冷える。運転手は腕に自信があるらしく、かなりの速度で進んでいくから尚更だ。
老仏温泉から十三塚村まで、車で三十分ほど。ハイヤーは川添いの原っぱで車を停めた――先客がいるようで、既に一台、小型の乗用車が停まっていた。
「この先が十三塚村です。前にも言った通り、入口の橋が車じゃ渡れないんで、ここでお願いします……それと、今日も待ちますか?」
「いいや、今日は時間がかかりそうだからいいわ。用件が済んだら電話で呼ぶから」
「あの、お嬢さん。この村、電話どころか、電気もありませんぜ」
「…………」
夕方迎えに来るように頼み、二人はハイヤーを降りた。
「失礼な運転手ね」
いすゞが憤慨する。
「お嬢さんなんて呼び方、レディに向かってするものじゃないわ」
「レディ、か……」
冷笑を向けた保憲が先に立って歩き出すと、いすゞも渋々従った。
原っぱの脇にある沼の縁を少し行くと、川の向こうにポツポツと藁葺き屋根が見えた。その手前には、真新しいものの素朴な造りの橋と……。
橋の横に建つお粗末な小屋の前で、保憲は足を止めた。
時折氾濫を繰り返す片口川と、その手前にある沼との間にひっそりと佇む小屋。彼も陰陽師の家系である。好む好まざるに関わらず、最低限の知識くらいは持っていた。
――村の入口であるこの橋の位置は、南西の裏鬼門に当たる。そんな場所に置かれたこの小屋の意味を考えると、恐らく……。
「何をジロジロ見とるんじゃ!」
その時、荒々しい声を投げられて、保憲といすゞは後ろを振り返った。
そこにいたのは、腰に鹿の毛皮を巻いた、野獣のように毛むくじゃらの男だった。小柄ではあるが体格が逞しく、野人のように日焼けしている。襤褸を纏った肩に猟銃を背負い、左手に生血を垂らしたウリ坊をぶら下げているから、保憲も思わず後ずさった。
「あ、あなたは、この家の人ですか?」
「そうじゃ。なんか、文句あるのか!」
とことん喧嘩腰である。その様子から保憲は察した。猟師であり、自分から人を遠ざける事が身に染みついた態度、そしてこのお粗末な小屋――。
『きよめ』の熊造であろう。
彼は尚も攻撃的に喚く。
「おめえらどこのモンだ! 下手に動くと撃ち殺すぞ」
と、猟銃を構えようとするからたまらない。
「ま、待て、私たちは……」
すると、そこへやって来たのは、頬かむりに前掛け姿の若い娘だった。
「熊造、いけません!」
と、彼女は橋を駆け渡り、二人の前に手を広げて立ち塞がると熊造を睨んだ。
「この方たちは、旦那様へのお客様です。失礼はおよしなさい!」
凛とした声に気勢を削がれ、熊造は早足に小屋へと消えた。
「大変なご無礼をいたしました」
娘は二人を振り向き、深々と頭を下げる。
「余所から人が来る事のない田舎ですので、どうか勘弁してくださいまし」
「いやいや、こちらこそ……」
そう言いつつも、保憲は額の冷や汗を拭わずにはいられなかった。
「旦那様がお待ちでございますので、お屋敷にご案内いたします」
橋に導く娘に従い、こうして二人は、十三塚村へと足を踏み入れたのである。




