表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三塚ノ村  作者: 山岸マロニィ
【参】開室ノ儀
12/70

(10)

 列車が沼田駅に到着したのは、すっかり日の暮れた頃だった。

 真新しい、だが閑散とした駅舎の前には、この日最後の乗合バスが待ち構えていた。

「私、バスに乗るのは初め……」

「いいから黙ってくれたまえ」

 この当時のバスというのは、現在のように大型のものではなく、せいぜい十人も乗れればよい程度の小型のものである。

 土御門保憲と蘆屋いすゞは、それぞれ荷物を抱えて前方の座席に腰を落ち着ける。乗客は彼ら二人だけのようだった。その気安さからか、それとも夜の運転の眠気覚ましか、運転手がやたらと話し掛けてきた。

「ご夫婦ですか? それとも婚前旅行ですか?」

「赤の他人です」

 いすゞが即答する。運転手は苦笑いをしながら、山道にハンドルを切る。

「この時期に老仏温泉というのは珍しいので、つい」

「なぜですか?」

 保憲が問うと、運転手は室内鏡(ルームミラー)越しにこちらを見た。

「あの震災に土石流でしょう。すっかり寂れちまいまして。生糸目当てのお客さんがちょくちょくみえるくらいですが、まだ今年の養蚕は始まってもないですから」

「なるほど」

「運転手さんは、どちらの方ですか?」

「老仏のモンです。人力車の車夫をしてたんですがね、今からは自動車の時代だと、免許を取った次第です」

 相当に地元愛の強い人物らしい。運転手は老仏温泉の由来がどうの、効能がこうのと解説を始めた。

「同じ源泉でも、片口川沿いの宿の方が風情があっていいんですが、土石流で埋まっちまいましたから。山側は『紀ノ屋』がいいですよ。湯元の老舗(しにせ)です」

「あら、私たち、そこを予約してるの」

「そうですか、そうですか」

 どうやらこの運転手、紀ノ屋という旅館の身内らしい。宿の自慢を散々喋った後、こんな事を言い出した。

「震災からはすっかり駄目ですが、それまでは旅の一座なんかを大広間に呼んで、毎晩のように演芸をしとりました」

「演芸を?」

「はい。酒の席の余興ですね。舞台のある大広間があるのは、温泉街で紀ノ屋だけなもんで、余所の宿からも見物客が来たくらいです。大衆演劇や手品や軽業……」

「軽業?」

 その一言に、保憲はつい身を乗り出した。

「ご存知ないですか? 支那の方じゃ雑技と呼ばれるみたいですね。何人もの人間が肩車で重なったり、一人で十枚も皿回しをしたり、蛇みたいに体の柔らかい踊り子がいたり」

 保憲といすゞは顔を見合わせた。大熊一座の芸風に重なるところがある。


 紀ノ屋は、温泉街の入口にあるバス停車場からすぐだった。

「いらっしゃいまし」

 女将と数人の仲居が、三つ指をついて二人を出迎える。

「お疲れさまでございました。お部屋にお食事の支度をしてございます。どうぞこちらに」

 通りすがりに帳場の柱時計を見ると、八時を過ぎていた。客室へと案内される廊下は静かで、なるほど、あまり景気は良くないらしい。

 白髪をこぢんまりと結った七十過ぎの女将は、見た目からは信じ慣れないほどに矍鑠(かくしゃく)としていた。手慣れた所作で挨拶をし、「どうぞごゆっくり」と部屋を辞す。

 八畳ほどの和室である。向かい合わせに置かれた座布団の前に、既にお膳が用意してあった。

 それぞれ荷物を置いてから、疲れた体を座布団に落ち着ける。

 会席膳ではあるが、時間が時間だけに、全て料理が並べられているのは仕方あるまい。早速前菜をつつきながら、いすゞは言った。

「気になりますね、この旅館で行われていたっていう演芸というのが」

 保憲も頷く。

「当時の資料なりが残っていれば良いのだが」


 ――ところが、それに巡り合うのはすぐだった。

 食後、風呂を貰いに出かけた際。保憲は浴場へ向かう廊下に、写真が何枚も飾られているのを見付けたのだ。

 そこは大広間の脇であるらしい。写真の向かいに並ぶ襖を背景に、様々な衣装の芸人たちが、若かりし頃の女将を囲んで写っていた。この大広間で芸を披露した者たちなのだろう。

 それらを眺めながら歩いていると、唐突に見覚えのある顔が目に入り、保憲は足を止めた。

 ――間違いない。上毛日報の記事にあった通りの大熊一座である。新聞記事にはなっていなかったものの、老仏温泉へ興行に来ていたのだ。

 風呂を済ませ、その一件をいすゞに話すと、彼女は興味深そうに目を輝かせた。

「明日、女将さんに確認してみましょう」

 そう言って立ち上がると、「おやすみなさい」と部屋を出て行こうとするものだから、保憲は不可解に思った。

「君はどこに泊まるのかね?」

「特別室ですよ。奥の離れが素敵だって聞いて……先生は二等室でいいって言われましたよね?」

 いすゞを送ってから、保憲はポツンと敷かれた布団に伸びた。

 全く、お嬢様の従者である。


 ◇


 翌、五月四日。

 保憲は、女将を捕まえて廊下の写真を確認する。すると女将は考え込むように首を傾げた。

「ずいぶん古い写真ですし、軽業をやる一座はその方たちだけじゃありませんでしたから」

「印象に残っておられないと?」

「何でもいいんです。例えば、他のお客と言い争いがあったとか」

 いすゞも手帳片手に質問を挟む。だがやはり、女将は苦笑を浮かべただけだった。

「さぁ、もう五十年も前の事ですからねぇ……」

 その写真が明治七年だとして、女将はまだ二十歳そこそこ。記憶が曖昧なのも無理はない。だが、気のいい女将は何とか二人の期待に応えようと、

「ちょっと待ってくださいね」

 と帳場に向かう。歴史を刻まれた小引き出しを片っ端から調べていたが、やがてその中から一冊の帳簿を取り出した。

「ここで興行したのなら、うちに泊まっておられるはずですから……ああ、やっぱり」

 と、女将は帳簿を二人に見せた。

 ――確かにそこには「大熊一座十三名」と記されていた。そして、「そう言えば」と何かを思い出したように、女将は顔を上げた。

「その頃、十三塚村の生糸屋の若旦那が演芸にご執心で、よく来られていました」

「十三塚村の……?」

 保憲は眉を寄せた。

「はい、今は前橋で盛んにやっておられる半製糸の若旦那です」

 そして、「もう時効ですし、ここだけの話にしてくださいまし」と付け加え、声をひそめた。

「その方、娘役者に手を出す困ったお方でしてね。かくいう私も、当時は若かったですから、何度か声を掛けられました。私はうまいこと逃げましたが。それが、いつの間にか来られなくなりましたねぇ。何せ昔の話ですけど」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ