運命 5
「――それじゃ、乾杯の前に軽く自己紹介ターイム!」
敦くんが先陣を切って場を盛り上げ、皆が賛同するように両の手を打って一気に賑やかな雰囲気を作り出す。
BARと言ってもここは畏まったムードを感じさせないフランクなお店で、3人居るボーイ達もカウンター席に座る常連客と軽い談笑を交わし合っていた。
「………好きな食べ物はオムライスです。なのでうまいオムライスが作れる女の子が好みだったりします!こんな感じかな?じゃあ次、大樹くんね」
「了解、えっと、じゃあ……」
敦くんへの拍手に続いて大樹くんがすらりと立ち上がり、自己紹介を進めたのだけれど……。
もっぱら今の私の興味は、目の前で素敵な香りを醸し出しているバジルがふんだんに使われたジェノヴェーゼパスタと、スパイスの利いたチキンシュニッツェルに向いていて、
今日は本当に忙しくてろくに昼食を摂る事も出来ず、夕方にチョコを摘んだきりで他に何も口にしていないという事を、ここに来て思い出してしまった。
そうして無意識のうちに悲鳴を上げそうになっているお腹をさすっていると……。
「………お腹、空いたね」
「……………っ!!?」
それは予期せぬ突然の出来事で、
落ち着いた柔い声音に耳元をぞわりと撫ぜられ、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになってしまった。
けれどそんな私の腰にするりと手を回して軽い落下事故を阻止してくれた彼は、私を座り直させて手を放し、背を向けると肩を小刻みに上下させながら……、
「………くっくっくっくっ」
と笑った………。
そしてひとしきり笑い終えるとテーブルに頬杖をつき直し、その整った顔をこちらへ傾け、綺麗なアーモンド型に埋め込まれた黒曜石のような瞳を、わずかに細めた。
夜空の星を吸い込んだかのような眩く光り輝く瞳と、さらり流れ落ちる黒い前髪。
きめ細やかで滑らかな肌に乗るパーツは全てが洗練されていて、筋の通った高い鼻、形の良い眉に厚すぎも薄すぎもしない柔らかく弧を描く唇。
蛇に睨まれた蛙みたいに、こんな人に優しく見つめられたら誰だって身動き出来なくなってしまう。
「………可愛いね」
「はいっ!?」
そんな言葉を息をするかのようにさらっと言えてしまうあたり、相当女慣れしていると思われるのだけれど、私の心と呼ばれる臓器は正直で……。
心臓が早鐘を打つのようにバクバクして痛い。
顔がジリジリと日焼けしたように熱い。
ううん、
きっと心臓がドキドキとうるさいのは危うく椅子から落っこちそうになったからで、
きっと顔がジンジンと熱いのは久しく聞いていなかった甘い言葉を掛けられたからだ。
甘い言葉……か。
浩二から最後に聞いたのは、どのくらい前の事だっただろう。
そもそも、最初からあったのかさえも分からない。
『俺は合格?』
さっきの台詞の意味ってなんだろう。
もし『合格』だと言っていたら、どうなるんだろう。
「じゃあ次は俺で」
ハッとなって動揺と夢想を胸に押し込んで顔を上げると、大樹くんの人柄を表すような笑顔が拍手と共に場を和ませていて、続いて短髪の男性がその場に立ち上がっている所だった。
「広岡 隆之、24歳。趣味はサーフィンやってます。好みのタイプは心が共にあって、一緒に笑ってくれる子」
隆之と名乗った短髪の男性は180cmは軽くあるであろう長身で、引き締まった筋肉を持ち合わせた逞しい人だった。
サーフィンをしているだけあって、肌は陽光に焦がれたように浅黒い。
温厚そうな顔つきで、笑うと眉と目尻が下がりなんとも親しみやすい魅力的なシワが出来る。
「……いやぁ、しっかし可愛い子達ばっかりで緊張するな。少し年上かもだけど、どうぞよろしく!」
一斉に拍手が沸き起こり、隆之さんは朗らかに笑う亜紀の隣へと腰を落ち着かせて視線をこちらに向けた。
「要、最後お前な」
「………ん」
ーーーかなめ。
そう呼ばれた問題の白シャツの男性が、椅子枠の丸いステップに片脚を乗せたまま物腰柔らかく立ち上がると、その動きに合わせるようにして黒い前髪が静やかにさらり流れ、無造作にかき上げられる。
「伊織 要、歳は隆之と同じ24で、趣味はドライブと料理。職種はそいつらと同じだから勝手に聞いて」
多少ぶっきらぼうではあるけれど、低くも高くもない聞き取りやすいよく通るその声色は、女心を悪戯に擽るだろう。
隆之さんと同じ位に背が高く、無駄な贅肉も余分な筋肉もついていない、程よく引き締まった美しい体つきをしていた。
テーブルに添えられた手もしなやかで、長い指がとても芸術的だ。
女性陣が思わず息を呑み恍惚の溜め息を漏らすも、沙希ちゃんだけが毅然とした態度で敦くんに向き直っていて、その様子を見ていた敦くんがくすりと小さく笑ったような気がした。
「……どうぞ、よろしく」
伊織 要はそれだけを言うと静かに腰を戻し、長い脚を邪魔くさそうに組み替える。
彼の脚に纏わりつく黒のスキニーが引き締まった太ももを簡単に想像させ、またしてもさっき同様、瞬時に心音と顔の熱が上がってしまった。
………やだ、私ったら何を考えてるのよっ。
「きゃあぁ〜〜〜!」
と歓声を上げながら美奈子ちゃんと亜紀が盛大に拍手をし、咲希ちゃんと私も控え目な拍手でそこに加わっていた。
やがて自己紹介は私たちの番へと移り、聞き慣れた亜紀の澄んだ声がこちらまで通ってくる。
「早瀬 亜紀です!」
確かに亜紀たちが騒ぐように、みんな選りすぐりのイケメン達だ。
ほんと、どうしてこんな人たちにこういった飲み会が必要なのかが私には理解できない。
「西崎 美奈子です。趣味は…………」
ーーー特に、
この伊織 要には絶対的に不必要だと断言できる。
隣で涼しく微笑んでいるこのひとは、間違いなく他の人たちとは別格で危険な男だ。
どうしてだろう、
私の本能が、そう直感させる。
「………じゃあ次はあたしが。長谷川 咲希、21歳」
でも、
別格ってなんだろう?
他の男の人と何が違うの?
危険ってなに?
この人に近付くと命の危機があるとでも?
ううん、違う。
でもひとつ言える確かな事は、浩二と再会した時に感じたあの絡みつくような直感とはまったくの別ものだ。
そんな事にぐるぐると頭を巡らせていると、斜め隣に居る咲希ちゃんからコツンと肘を小突かれた。
「もうー、芽衣先輩!しっかりして下さい!先輩で最後ですよっ!」
どうやら全員がそれぞれ自己紹介を終え、残すところは私だけのようだった。
「……え、あ、ごめっ、もう?」
自分のアピールなんてなにも考えていなくって、慌てて高いスツールの足掛けにパンプスを乗せるも、みんなのようにはうまく降りられなくて……。
「大丈夫?」
「す、すみません……」
結局は隣の伊織さんに助けて貰う結果になってしまい、またしても顔に熱が集まってしまった。
「え、えっと、伊吹 芽依22歳です。趣味は、仕事と料理? どうぞよろしくです」
と、なんとも色気も素っ気もない自己紹介を終える私に、
「芽衣ぃ〜、もっとさぁー、なんか得意な事とか好みとかぁー」
亜紀が咄嗟に突っ込みを入れ、そこに咲希ちゃんと美奈子ちゃんまでもが加勢に加わる。
「芽依先輩はあたしと同じ部署なんですが、すっごく仕事が出来るんですよ~。かなりのドジッ子ですけど、あたしの憧れの先輩です!」
「芽衣ちゃん先輩は本当にお料理が上手で、時々みんなの分のお弁当を作って来てくれたりするんですよ。それがとっても美味しくって」
亜紀の長い黒髪が愉しげに揺れ、
咲希ちゃんのバングルがシャランと鳴り、美奈子ちゃんの大きな瞳に店の照明が映り込む。
そんな中、私はと言うと伊織さんに手を取られながら、高いバースツールによじ登っていたのだった……。
「た、度々すみません……」
「いや……くっくっくっくっ」