回転木馬 1
ーーーピンポーン。
静まり返った部屋の中、来客を知らせるチャイムが物悲しく鳴り響くも、その音はどこか心を切り裂かれた女の悲鳴にも似ていて、瞬時に絶念としている身体にぎゅっとした緊張を走らせた。
「…………浩……二?」
トクトク耳まで届く血が巡る嫌な音と、思わずぐぐっと握り締めるシーツの弛み。
ーーーピーンポーン。
2度目のチャイムが乾いた喉元をゴクリと鳴らし、重い荷物を引きずるようにして躰をずずりと持ち上げ起こした。
ーーコンコンッ。
「芽衣さん?寝ちゃいましたか?」
「………颯斗、くん?」
呼び鈴の出処に小さく安堵を吐き、涙を手の甲で拭ってよろよろと立ち上がる。
乱された髪と服を手早く整えて玄関を開けると、月の明かりに照らされているかのように青白い顔をした隣人、颯斗くんが立っていた。
「……あ、あの、こんばんは。
夜遅くにすみません。こ、これ、いっぱい採れたからって田舎の母が送って来てくれて。よ、よろしかったらどうぞ!」
颯斗くんは俯いて一気に話し終えると、野菜の乗ったザルを差し出してきた。
「………こんばんは。こんなに沢山、ありがとう」
不安定ながらにその重みあるザルを私がしっかり受け持てた事を確認すると、彼は急いで扉に背を向けて立ち去ろうとする。
「じゃ、じゃあっ」
それは無意識だったのかも知れない。
もしかしたら打算的ななにかがあったのかも知れない。
「上がって行かない?お茶入れるよ」
私は自身ですら説明の出来ない感情を直視することなく、その優しさにすがるようにして声を掛けていた。
浩二の怒号が聴こえていたのかも知れない。
あるいは私の悲鳴めいた心の叫びが漏れ出ていたのかも知れない。
きっと颯斗くんはただならぬ様子に気付いて心配に思い、慌てて"口実"を作って来てくれたのだろう。
だってザルの中には値札のついた袋に入ったままの人参までもが入っていたから。
それに何よりも私は今、
独りで居たくなかったんだーー。
都合よく誰かに甘えるだなんて。
私って、ズルイ女だな……。
「どう?勉強進んでる?」
私は落ち着かなくソファーの横で正座してソワソワしている颯斗くんの前に、アイスティーを置いてあげる。
タバコを放りこまれたグラスはそのままシンクに転がした。
「あっ、はいっ、何とか。あ、ありがとうございます」
「お母さまはお元気?」
何とか彼の緊張を解いてあげようと差し支えない話題を探すのだけど、
「あっ、はい!」
と固く返事を返すだけで、カラコロとグラスの氷をストローでかき回して正座し直している。
「……そんな緊張しなくても」
「あっ、いえ、あの、女の人の部屋に入るのって初めてで……」
モジモジと恥ずかしそうに膝上で指を絡ませながら、無神経にも失礼にもあたらないようにとキョロキョロ部屋中を見回す事なく、視点を変えずに終始うつむき加減で自身の絡んだ指と結露しているグラスとを見比べている。
「そうだ颯斗くん、DVD観ない?」
「……は?え?はぁ、え?」
週末に観ようと一気に借りまくっていたレンタルショップの袋を見せ、手伝ってもらいたい旨を伝える。
「お腹は?空いてない?」
うまく、笑えているだろうか?
涙の痕跡を、隠せているだろうか?
私は必死に狂い出しそうな精神と砕けそうな心を保ち、ズキズキするカラダの傷みに耐えてゆらりと立ち上がった。
ーーそれから、
「いや、今のは酷くない!?」
「そうですよねぇ!」
結局、颯斗くんと朝方までDVD鑑賞をして、うだつの上がらない主人公についてあぁだこうだと文句を言い合った。
「颯斗くんは彼女いないの?」
窓の外が白み、小鳥たちのハミングが聴こえる。
「美味しいです!」
なんて、ソファーに座って私が作った焼きそばを啜っている颯斗くんに、さり気なく質問を投げ掛けてみる。
「ゲホッ、いない、です」
「そうなんだぁ。モテそうなのに」
颯斗くんは冷たい麦茶を咽せながら飲み干し、遠慮がちに私を見やった。
「芽依さんは……」
「ん?」
私は同じく焼きそばを啜りながら顔を上げ、颯斗くんの真剣な眼差しを受け止める。
「芽依さんは、……あの人とどうするんですか?」
「……えっ?」
思わず箸を持つ手が止まり、颯斗くんの持つ空になったグラスの中で、カランと氷が軽やかに転がった。
「あっ、いえ、すみませんっ!僕が言うべき事ではないですよねっ」
「……ううん、ホント、どうするんだろうね」
自嘲気味に笑うも、口角がちゃんと上がっているかは不確かな所で。
「………聞いて、くれる?」
どうした事だろう、気が抜けた?
それとも浩二の事を、私の事をろくに知らない人だからだろうか?
いつの間にか私は、颯斗くんに掻い摘んで事の成り行きを話していた。
「……えっ、それで、また来るって?」
「……うん」
「そんなっ!もともと先に芽依さんを裏切ってたのはあっちじゃないですかっ!……そ、その気になる人に相談してみたらどうですか?」
気になる人……。
私は詳しい事は伏せ、要さんの存在だけを颯斗くんに説明していた。
「……ううん、私の完全な独りよがりだし、あの人には関係のない事だから」
そう言った瞬間、要さんの笑顔が私の胸をきつく、痛く締め付け始める。
――要さんに、逢いたい……。
「大丈夫……ですか?」
「…………え?……あ」
いつからその手が回されたのか、ぎこちなく私のカラダを抱き締める颯斗くんの腕の感触と温もり、首にかかる規則正しい息遣いにハッとなった。
「あっ!すっ、すみません!!
なんか、芽依さん泣きそうだったんでっ!つい……っ」
すぐさま慌てて私を離し、颯斗くんは深々と申し訳なさげに頭を下げる。
「……ううん、ごめん、大丈夫。ありがとう」
私は無理に笑みを繕って、食べ終わった皿を片付け始めた。
いけない、気を緩め過ぎちゃった?
女を武器にしたつもりはないけれど、結果的に甘えてしまったのは自分だ。
「……あの、僕、そろそろ帰ります。ごちそうさまでした。本当にすみません……」
そう告げて彼は玄関へと向かい、ドアノブに手を掛けながら少しトーンを落とした声音で私に声を掛ける。
「……あの、芽依さん、今みたいな事しませんから、あの人が来たら遠慮せずに僕の部屋に逃げて来て下さいね?鍵はポストの中に入れておきますから」
颯斗くんは私の返事を待たず、
「お邪魔しました」
と言い残し、こちらを見る事も私からの返事を待つ事もなく部屋を出て行った。
「……ありがとう、ごめんね」
私はガランとなった部屋でポツリと、感謝と謝罪の言葉を口にした。




