揺れる想い 2
休日の昼下がり、公園内は家族連れやカップルで賑わいを見せていて、要さんは生垣の奥、人気のない大きな太い樹を選ぶと、小脇に挟んでいたレジャーシートを広げた。
ほんと、この人ってマメだな……。
なんて感心しながらも、それを手伝う。
少し先には小さな川が流れているようで、子供達が涼しげに水遊びをしていて、腰を降ろすと周りの植え込みが手伝ってか、そこに人が居るという事を難なく隠した。
「美味しい?」
"幸せ"と言う名のサンドイッチを頬張っている私に、穏やかに笑む瞳が静かに尋ねる。
「はいっ、すっごく!」
要さんがお薦めするだけあって、そのサンドイッチは絶品であった。
一緒に買って来てくれたカフェオレも甘過ぎず、滑らかに喉を潤してくれる。
………そう言えば。
私の中に不安の重しを落としていた事。
聞いても、良いのかな?
聞いたら、悪い気をさせるかな?
でも…………。
「あの、要さん?」
「……ん?」
スカートの布をキュッと握って勇気を振り絞る。
「さっきのパン屋さんの女の子と、なにを話していたんですか?」
胸内がトクトクして、要さんの方を直視出来ない。
でもひと言発すればそれは芋づる式に出てくるもので、
「……その、随分と親しそうだったけど、あの子の事、好きだったり……とかします?」
「………………」
要さんは少し黙って、スカートを握る私の手をそっと解くと、指先にキスを落とす。
「早苗ちゃんの事?」
早苗ちゃん。
あの子の事、そう呼んでるんだ。
キシキシ鳴く心情の音が漏れ聴こえてきそう……。
「あの子とは小学生からの顔見知りだけど、そういう風に見た事は1度もないな。これからも見る事はない」
「そう、なんですか?」
ふっと心の重みが軽くなるのを感じる。
「顔を合わせる度に聞かれる事があってさ」
「聞かれる事?」
「"好きな人"は出来たか、"彼女"は出来たか」
キスを与えていた手をスカートの上に下ろし、彼は沈みかけていた私の顎先をくいりと持ち上げた。
「……なんて、答えたんですか?」
「好きな子なら出来たよって」
次はその言葉に、軽くなっていたものが喉奥に詰まってしまって……。
近づく伏し目がちな瞳から、私はすいっと顔をそらした。
「ダ、ダメじゃないですか!そんな人がいるなら私なんかとこんな事しちゃあ!」
「"なんか"?」
要さんはその言葉をオウム返しして、ほんのわずかにピクリと片眉を上げる。
「芽衣ちゃん、それを決めるのは周りであって、君自身じゃないんだ。少なくとも俺は、君の事が好きだよ」
そう言い放つと、要さんは再び逸らされた顎先を自分の方へと向き直させ、その甘い甘い唇を私の唇へと重ね合わせた。
「………ん、んんっ」
するりするりと私の輪郭を確かめるかのように、下りていこうとする彼の優しい手の感触。
「……あっ、こんな所でダメです!」
パシリッと下りていく手を叩き止め、顔と身体が一気に熱くなり始めた私は、急いでその場に立ち上がった。
「か、要さんっ、川で遊んで来ても良いですか!?」
よたつきながらパンプスに足を突っ込む私に、彼はいかにも面白そうに軽く吹き出す。
「……ぷっ、いいけど、それ履いて行くつもり?」
そう言うと、私の履いているストッキングを指差していた。
「………あっ」
※
※
※
俺は樹にもたれつつ、生け垣の隙間から覗む彼女の姿を見守っていた。
川で子供達に混ざり、無邪気に水しぶきと戯れている。
今朝のアレは何だったのか?
どう言う意味があって?
どんなつもりで?
寝呆けてたのか?
恐い夢でも見たのか?
つまづいた?
いや、それはないか。
躓いただけなら直ぐに離れただろう。
明らかに彼女は俺に抱き付いていた。
彼女の「好意」とも取れる行動に、戸惑いと言う動揺が走る。
さっき車を降りる際も、何の躊躇いもなく俺の手を取った。
また軽く払い退けられる事を、想像していたのに……。
彼女には泣いてしまうほどに好きな男がいる。
こんな俺を、好きになどなるまい。
瞳を潤ませ、嬉しそうに自分の頬を撫でてきた昨夜の彼女。
「要さあーーーん!」
不意に昨夜の彼女を想い出し、身体が熱を帯び始める。
熱くなりかけた身体を冷ます為、
自分の名を呼んで手を振る彼女の元へと俺は立ち上がった。
彼女の行動はいつも予想以上で
予想外………。
「……告白、したんだけどなあ」
「要さぁ-ん!気持ち良いですよぉ~!」
彼女は夢中で手を振っているのだけれど……。
あんなにハシャいで……。
その内、滑って…………あっ
「きゃっ!」
バッシャーン!!
「………期待通りかよ」
俺は死ぬほど我慢して手で口を塞ぎ、濡れネズミのようになった彼女の方を見ないよう努め、手を差し出した。
「………大……丈夫?ほんと、気持ち良さそ……だね」
その手を取りながら、
「要さん、肩震えてますよ」
彼女は恨めしげに俺を見上げて愚痴を零した。
膨らんだ頬が、俺の心を擽る。
※
※
※
「………ご、ごめんなさい」
私は要さんが着ていた黒のTシャツを着ている。
全身ずぶ濡れになってしまった私に、要さんが着せたのだ。
彼は上に羽織っていた白の半袖シャツだけを着、魅惑的な胸元をはだけさせている。
私の着ていた服はと言うと、
要さんによって樹の枝に干され、ハタハタと風に吹かれていた。
「寒くない?」
要さんはリラックスした様子で樹にもたれかかり、片膝を立ててその上に置いた手に持つ煙草の煙を、のんびりと眺めている。
「あ、はい、大丈夫です」
ギラギラと照りつける陽射しはまだ強いものの、時折、木陰に吹き込む風は肌から熱を奪ってゆく。
「あの……、要さんは寒くないですか?」
「……ん、少し、寒いかな。暖めてよ」
煙草を携帯灰皿で揉み消し、少し離れて座る私に手を差し伸べて彼はふんわりと微笑んだ。
「……おいで」
言われるがままに近付き、彼は私の手を引いて引き締まった膝の上へとまたがらせた。
煌めく黒曜石のように黒い瞳と眼が合い、しなやかな手が腰の括れを撫でる。
私は形の良い要さんの唇を指でなぞり、そっと唇を重ねた。
それは自分からする、初めてのキスだった……。
大好きだった先輩にも、
もちろん浩二にだって、
自分からした事のない、初めて口づけ。
そしてゆっくり離した唇を彼の耳元へ近付け、そっと囁く……。
「………要さんが、欲しい……です」
彼はその声に小さく息を吸い、私の胸元に顔を埋めた。
私ったら、
なにを言ってるんだろう。
なにをしているんだろう。
すべてが初めてで。
すべてが欲深くて。
彼の熱を感じ、苦しそうに喘ぐ唇に何度もキスを落とす。
切なそうに私を見上げる瞳が、私の本能を刺激した。
でも彼には想いを寄せる人がいて。
所詮、私なんてその場凌ぎでしかないのに。
………これは、所謂ヤキモチ?
自分の下で身震いをして脱力している彼の柔らかな髪を撫で、敏感になった首筋に唇をなぞらせながら、くすりと囁く。
「いつものお返し」
要さんの眼は面白い位に丸くなり、悪戯な風によってなぶられた髪がサラリと揺れた。




