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彼の部屋 4





ーーーあ、要さんの匂い。



開かれた扉が音もなく風を切り、

その家特有の香りがふわりと漏れ出す。


広い玄関、左手にある白い下駄箱。

要さんはその上に部屋と車の鍵が収まったキーケースを無造作に放り投げ、



「どうぞ」



とスリッパを勧めて部屋の中へと案内してくれた。


廊下の白い壁には額に入った写真が飾られていて、私はそれを1枚ずつ見て歩く。



要さんが撮ったのだろうか、

どれも綺麗な空の写真ばかり。



長い廊下の右手にある3枚のドアは、恐らく位置的にバスルームとお手洗いといった水周り関係だろう。



「……こっちだよ」



廊下の突き当たりにある扉のドアノブに手を掛け、要さんはカチャリと扉を開いた。


その手前、左側にも扉があるのだけど、そちらはたぶんキッチンに繋がっているんだろう。



「あ、はいっ」



慌てて着いて行って踏み入った部屋は広い広いLDKになっていて、左奥にあるキッチンは、パッと見ただけでよく手入れされているという事がすぐに分かった。



スッキリしたカウンター、その手前にある長方形の白いテーブル、それに見合う正方形を基準とした白の椅子が4脚置かれている。



きっと"彼ら"が来た時の為なんだろうな。



右横の壁側には2つのドア、正面には大きなベランダがあって……。



「くすっ、職業病?」



「え、あ、いえっ、すみません、つい」



「いいよ。好きに座ってて」



買って来た物をカウンターに並べたり、キッチンの左端にある黒い冷蔵庫へ放り込んだりしている彼に声を掛けた。



「あ、あの、なにかお手伝い出来る事は……っ」



するとそう申し出た私に要さんは春陽を思わせるような微笑を浮かべる。



「いいよ、疲れたでしょ?ゆっくりしてて」



そう言い残し、彼はリビングを出てバスルームの方へと向かったのだろう、バスタブにお湯を張っているザァーという音が響き聞こえてくる。



「疲れてるのは一緒なのに」



ぽつりこぼした言葉。

不意に隆之さんの台詞を思い出す。



『あいつ、めちゃくちゃ一途でマメだぞ?』



マメな人……か。

今日だけ、最初だけじゃなくて?



正面にある大きなベランダに合わせられた、角のある黒のソファーに私は落ち着かない気持ちで腰を下ろした。



毛足の長い白色のラグ、ガラスの乗った黒脚のテーブル。


観葉植物の緑が所々にあるけれど、見事に白と黒で統一されたシンプルな部屋だ。



私はそろりソファーに膝をつき、

カーテンを少し開けて外の景色を確かめてみる。



「うわぁ、綺麗……」



ようやく陽が沈み始めた空に一番星が煌めいて、遥か遠い地上には太陽の代わりの人工的な光がチラついていた。




「綺麗でしょ?」



「ひやぁっ!!」



突然後ろから音もなく声を掛けられ、驚きのあまり私はその場で小さく飛び上がってしまった。


その様がよほど可笑しかったのか、またしても彼はお腹を抱えて笑い苦しんだのだった……。



そしてしばらく笑い、一息つきながら彼は私の隣に腰掛ける。




「……そう言えば、まだ返事聞いてなかったな」



「えっ?」



要さんは私の方へ向き直り、

片肘をソファーの背もたれに掛けて頬杖を付いた。




「ねぇ、俺に逢いたかった?」



「なっ!?べ、別に……っ!」



眼を合わせられず、慌てて外の景色に視線を向ける。




「……ふーん」



すると要さんは手を伸ばし、あの夜のように私の髪を人差し指でクルクル巻き始めた。


何て事はない振動なのに、髪が要さんの指を滑る毎に私の心は掻き乱される。



「ホントに?」



そう言って彼の指が、私の首筋を撫でた。




「…………んっ」



身体がビクンッとなり吐息混じりの声が思わず漏れ、私は無意識の内に要さんの手を掴んでいた。

 

要さんはそんな私の指に自分の指をゆっくり絡めていく。


その1本1本にまるで電流が流れていくかのように、ぞわりとした痺れが首筋から背中へと伝ってゆく。




「…………ん、はぁ」



たったそれだけなのに……。

ほんの少し触れただけなのに……。


こんな………。

どうして?



力の抜けてしまった躰がぽふりと彼の胸の中に倒れ込んでしまう。




「………逢いたかった?」




耳元に小声で囁かれる低い声。



私は要さんの胸に顔を埋めて息を吐き、小さくその首を頷かせた。




「………くすっ、いい子だ」




彼は一瞬笑い、私の躰をソファーへ沈めて唇を重ねる。


そのキスは柔らかく、温かくて甘美なものだった。




「…………んんっ」



弓なりに反る私の躰を左腕で支え、私の反応を確認しながら舌を絡めてくる。


長い前髪の隙間から覗く黒い瞳が意地悪く笑んでいて、

とろけるような甘いキスに、心が震えた。



「……………あ」



甘噛みのようなキスが唇から離れていき、せがむように彼の肩に腕をまわす。



「ふふっ、続きは後でね。食事の支度しておくから、ゆっくりお風呂入っておいで」



要さんはそう言って私の髪を愛おしげに撫で、微笑みを向けた。



やだ私、何を期待してるの?

何を求めて何をしようとした?


顔が熱い。

躰が火照る。

心が燃える。





そして熱を冷ます為に入ったお風呂。

お風呂から上がると、ふんわりした白のバスローブが用意されていて……。


私が身に着けていた物は全て、脱衣所内にあるドラム式洗濯機の中で回っていた。



「全部………」



全部と言う事はつまり……。

気恥しさでまた顔が熱くなる。




「………あ、あの、お風呂…頂きました」



「サッパリした?」



リビングに戻ると要さんはそう優しく笑んで椅子を引き、テーブルに着くように促す。



テーブルの上には正方形の白いお皿がいくつも並び、それぞれに違う種類のパスタ料理が品良く盛られていて、


色鮮やかなサラダもテーブルを華やかせ、更に要さんは煮込みハンバーグを皿に盛って運んできてくれた。




「要さん……、凄い」



ぽろりと出た素直な気持ち。



「そう?」



「しかもこれって……私が食べたかった物全部……それをこんな短時間で」



彼は形の良い唇で弧を描き、キュキュキュと品良くワインを開けている。



「どうしたの?食べていいよ?」



「あ、いえ、"いただきます"を一緒にしたくて……」



要さんの手が止まり、こちらをぱちくりしながら凝視してくる。



「どうしたんですか?」



「"いただきます"?」



「はい、そうですよ?」



「どうして?」



それは予想だにしていなかった言葉だった。



「どうしてって……。食べる前にはお礼をしなくちゃ。命をいただくんですもん。それに……」



「それに?」



「作ってくれた人へのお礼です。あと、美味しくなる魔法です」



にこやかな笑みを向け、要さんが手を合わせるのを待つ。



「………よく洋ちゃんに叱られてたのはこういう事か」



「洋ちゃん?」



「隆之の兄貴。………いつか、会わせるよ」



「はい。ではいただきましょう」



ふたりで手を合わせ、とても大切な言葉を一緒に口にする。



『いただきます』



そして2人で目の前の食事を堪能したのだけど、要さんの料理はどれも素晴らしく、私に「美味しい」を連呼させた。




「要さん、お店出せますよ」



「くすっ、そう?」



美味しい食事と会話が進み、早いピッチで2本目のワインのコルクを抜く。



「芽依ちゃんは料理とかするの?」



「一応、自炊はしてますよ?」



要さんの眼が少年みたいにキラキラ輝き出す。


この人、こんな顔もするんだ……。


それは小さな発見で、

小さな喜びとなった。



「じゃあ、肉じゃがとか作れる?」



「作れますよ?自信はないですけど」



「じゃあ、今度作ってよ」



にこにこと愉しげに笑う彼を見て、なんだか心が(くすぐ)ったくなった。



「でもこんな美味しいのを作られたら、ご馳走したくても出来ません!」



彼はくすくすと笑い、まるで自慢話をするかのように、色んな話を聞かせてくれた。



「俺、煮物とか和食って作るの苦手なんだよね。前に隆之に頼まれてみそ汁作ったら、鼻から噴かれた」



「……マ、マジですか」



「……マジ。だから今度作って?」



ふわふわした気分で軽い約束を交わし、私達は温かい食事と甘いワインをゆったりと楽しんだ。




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