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彼の部屋 1






「あの後、要さんとどうなったんですかぁ?」




月曜のランチタイム、

クロワッサンをかじる美奈子ちゃんが、大きな瞳をキラキラさせて小首を傾げる。


予想はしていたものの、やはりその質問には頬張っていたおにぎりを思わず吹き出しそうになってしまった。



「そうそう! あたしも朝から聞いてるのに、全っ然教えてくれないの!」



沙希ちゃんが人差し指をブンブン振り回しながら抗議してくるけれど、ステンレスボトルに口をつけてわざと視線をそらす。



私たちは会社近くにある公園の木陰に腰を落ち着かせ、いつものようにお昼をとっていた。



夏の陽射しは強いけれど、

冷房がガンガンに効いた社内に1日いると体がおかしくなってしまう。


ここは大きな木陰もあり、風通しも良いので寒い時期や天気の悪い日以外は、私たちは大抵、ここでのんびりとした時間を過ごしていた。


受付業務の亜紀と美奈子ちゃんは交代で休憩を取る為、4人が揃う事は稀であったけれど。




「だぁーかぁーらぁ、なんにもないってば!ただちょっと気分が悪くなっただけで」



"なんにもなかった"訳ではないけれど、正直、あの日あった事を私の心と頭はまだ整理できていなかった。



失意と夢幻。



今、私の心を支配しているのは、


………どっち?




「美奈子ちゃん達の方こそ、どうだったのよ?」




「そんなはずはない!」だの、


「突然2人で消えて怪しい!」



なんてブーブー言うクレーマー達を無視して、私は逆に話を振る。



私と要さんが消えた後、

1時間ほどカラオケを堪能した6人は、隆之さんお薦めのラーメン屋へ行って各自解散したらしく、

そこまでは翌日かかってきた亜紀からの電話で聞いていた。



亜紀はその後、隆之さんのマンションへ行ったらしいけれど、2人で朝まで飲み明かして昼まで抱き合って眠ったそうだ。



『お互い、酒の勢いで……なんて嫌だったから、エッチはしてないよ!』



なんてハニカミながら、亜紀はどこか困ったように、それでもやっぱりくすぐったそうに笑っていた。



「私達は咲希ちゃん達と一緒にファミレスに行って、朝までお話して始発で帰りましたぁ」



「それでなんですが今度、遊園地行くんですけどみんなで行きましょうよ」



と、美奈子ちゃんに続いて口を開いた沙希ちゃんからの提案があり、美奈子ちゃんがうんうんと頷いて私からの返事を伺う。



私は…………。



「………私はいいけど、要さんがどうだか分からないし……って、私と要さんはペアなわけ!?」



「そりゃあ、そうでしょー!だって要さん、芽衣先輩しか眼中になかったですもん!」



「そうですよぉ。部屋に戻って来た時の要さんの慌てっぷりったら、凄かったんですよ?」



「そう……なの?」



ふたりは「ねー」と顔を見合わせるとこちらを見てこくこく頷いて見せ、私からの返答を待つ。



「わ、私ならいいけど……。と言うか、みんなつき合う事になったの!?」



そんな私の疑問にふたりは再度顔を見合わせ、頬をほのかに染めるとこちらへ向き直った。



「そ、それは追い追いって事で」



珍しく歯切れの悪い咲希ちゃんの声。


けれどその声はすぐに冷静さを取り戻し、急速に雲行きを怪しくさせる。



「………でもあたし達には」



美奈子ちゃんの頬からも愛らしい色づきが消えていて。



そう、私達にはそれぞれ………。




「………彼らなら大丈夫。きっと大丈夫だよ」



それは彼女達への心からのエールであり、私の願いでもあった。


ふたりはそっと手を繋ぎ合い、眉を下げて励ましの笑顔を向け合う。



「だよね、今度こそは……」



「……うん、きっと大丈夫」




そんなふたりをどこか遠くに眺めながら、私はそっと唇に指を添えあてた。



あの日のあのキスは一体、

なんだったんだろう?


どう言う意味があって…?


お酒の勢い?

それとも哀れな女への同情心?


ううん、きっと意味なんてない。


彼だって男だ。

ただの男の性ってやつかも知れないし。



でももし……。


でももし、こんな私を救ってくれるのが彼だったなら?


ううん、そんな事は……。



高い空を見上げると生暖かな風が私達の頬をひと撫でし、重なり合った緑をサラサラ揺らして楽しげに舞い昇っていった。





その日の夜、私の心はなぜかそわそわと落ち着かなかった。


自室のソファーに深く沈み、何気なく携帯を開いてカーソルを滑らせる。



伊織 要



ぼんやりその名前を眺めると、あの日の事が鮮明に蘇った。




『芽依ちゃん、携帯貸して』



別れ際のタクシーの中、

手渡した私の携帯と自分の携帯を素早く操作して、



『はい、これ俺の連絡先ね』



また連絡するよ、と笑顔で携帯を返されたのだけど、


連絡はまだない。

あえて私からもしていない。



だって“何か”を期待しているみたいで嫌だったから。



“浅ましい女”になる事も、

“都合の良い女”になる事も、


避けたかったから。


これ以上、惨めな気持ちになりたくなかったから。


そもそも、あんな素敵な人に彼女が居ないはずがない。



それなのに、無意識に指が唇の輪郭をなぞる。



飲み会の流れで……。

なんて事はよくある事なんだろうか。



だって少なくとも浩二とはそうして始まったから……。



でも、要さんと浩二は違う。



ーーううん、


今はそんな事よりも……。




ピ―ンポーン♪




その時、玄関のチャイムが鳴り響いて、私を現実へと無理やり引っ張り戻した。


ふるふると(かぶり)を振ってお気に入りのソファーから立ち起きるも、身体と心がずっしり重くなるのを感じる。



さっき「今から行く」コールがあったから、おそらく浩二だろう。



浩二との事も、答え出さなきゃな……。

 



しかしその日、なぜか浩二は機嫌が良かった。



「うぃっす!お疲れいっ!」



「……お疲れさま。ビーフシチューあるけど食べる?」



「おう、食う♪」



珍しいな。

いつもは箸さえつけないのに。



でもその後はいつもと同じ。

なにも変わらない。


食後にいつもの何の変哲もない、心も躰も感じないただの“行為”を済ませ、うまそうに煙草を吸っている厚い背中。



……これは、ひとつの賭けだった。




「………ねぇ、私の事、好き?」




厚い背に向けて問うた、初めての台詞。


女なら、きっと何度だってその言葉を聞きたいものだと思う。



けれど私は疎まれる事も、面倒くさそうに答えられる事も、そのどちらも心が痛くなりそうで恐かったから、今までその問い掛けを口に出す事はなかったんだ。



いちいち聞かなくても、

一緒に居る事が答え。


好きだから一緒に居るんだ。

と、何度も何度も自分に言い聞かせて。




「んあ?……おー」




ほら、やっぱり……。


聞くんじゃなかった。




「んじゃ、そろそろオレ行くわ。また連絡する」



「……………うん」




部屋に残るタバコの苦いにおい。

シンクに浸けたままのお皿。


エアコンの風が出る音。

時計のチクタク鳴る音。




その日、いつも通りに浩二が帰った後、バスタブに張ったお湯に包まれて、


………私は声を殺して泣いた。





あの女性とどう言う関係なのかは知らない。


信じたい気持ちだってある。



でも、どうしても頭から離れないんだ。


あの女の人と居る浩二の姿が。

あの女の人に向ける浩二の優しそうな笑顔が。




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