幸せの形は二等辺三角形
『──────ということで、幸せの形は二等辺三角形だということが数学的に証明されるというわけなんです』
テレビの報道番組。名前を聞いたことがある有名な数学者が、数式が書かれた黒板の前でパンパンと両手をはたきながらテレビの画面越しにそう言った。
「そんな!」
テレビを見ていた私は、目の前で証明された事実に思わず声をあげる。
「幸せの形って……人それぞれじゃなかったの!?」
私の声を聞いているかのように、テレビの中で数学者が不敵に微笑んだ。そして、その数学者の近くに座っていたアナウンサーとのやりとりが始まった。
『視聴者の中には、幸せの形が人それぞれだと信じきっている人もいらっしゃるでしょうね。しかし、それは単なる思い込みであり、科学的には誤った知識なのです。幸せの形は二等辺三角形ですし、逆に二等辺三角形でないものはいかなるものであっても幸せでもありません』
『ですが、よく幸せの形は人それぞれみたいなことを言ったりすると思うんですが……』
『二等辺三角形と言っても、形は様々ですからね。潰れた二等辺三角形もあれば、尖った二等辺三角形もある。ある程度バリエーションが存在することは事実です。ですが、想像もつかないくらいに色んな種類がある不幸せと比較すると、幸せっていうのは大体どれもこれも似たり寄ったりじゃないですか? 例えばほら、穏やかで平和な毎日とか、自分らしく生きられることとか』
こうしてはいられない。私はすぐにソファから起き上がり、最寄りの駅前にあるデパートへと急いで向かった。だけど、というよりかは案の定、デパート三階の三角形売り場にはすでに大勢の人がごった返していて、お目当ての二等辺三角形はすでに売り切れてしまっていた。
「申し訳ありません。次の入荷もまだ未定なんです」
店長さんと思しき人が、申し訳なさそうに頭を下げながら謝罪している。
「私も元々は色んな幸せがあるって信じていた人間なんです。だから、幸せの形がわかったからといって、こんなに二等辺三角形が売れるなんて思ってもいなかったんです。結局みんな、他の人と同じような幸せの方が安心できるし、形だけの幸せでもなんだかんだ言って求めちゃうんですかね」
私は肩を落としながら家に戻る。そして、ネットで転売されている二等辺三角形の値段を見ながらブルーな気持ちに浸っていると、家のチャイムが鳴る音が聞こえてきた。
「幸せになれる壺を買いませんか?」
玄関に出ると、幸薄そうな二十代後半くらいの女性が、疲れ切った口調でそう言った。なんと言って断ろうかと私が考えていると、訪問販売の女性は深くため息をつき、わかってるんですとポツリとつぶやいた。
「この壺の形が二等辺三角形ではないって思ってるんですよね? 大丈夫です、言葉にしなくてもわかってますよ。以前も月に一つ、二つ売れるかくらいだったんですが、幸せの形がわかってからというもの全く売れなくなっちゃって……。幸せの形が二等辺三角形だっていうのに、こんな丸い形をしてたら何の説得力もないですもんね」
それから訪問販売の女性はしくしくと泣き始める。その姿に情が湧いた私が、壺の値段を尋ねると、彼女は五万円だと投げやりな口調で答える。
「本当にこの壺を買ったら幸せになれるんですよね?」
私がそう尋ねると、訪問販売の女性はこくりと力なく頷いた。私は悩みに悩んで、買いますと彼女に伝える。どういうわけかクレジットカードでの支払いができたのでカードで支払い、買った壺は私の狭いワンルームの洋服ダンスの上に置いた。
それから壺は私の生活に溶け込んでいった。特に意識するわけではなかったけれど、ふと部屋の隅に目をやるとそこには幸せになれる丸い壺が埃をかぶって置かれていて、じっと私を見守ってくれているような気がした。
で、壺を買ったことで結局私は幸せになれたのかというと、それは正直わからない。別に運命的な出会いがあったわけでもなかったし、宝くじが当たって億万長者になれたわけでもない。それでも、大きな怪我や事故もないし、仕事や人間関係だってちょっとした不満は抱えているけれど、苦痛を感じながら働いているわけでもない。私はいまだに独身だけど、周りを見ると結婚したり、出産したりしている人がいる。そういう人たちを見ても何も感じないとまではいかないけれど、それでも日常の中にささやかな楽しみを見つけながら、毎日をそれなりに過ごしている。
そして、幸せになれる壺を買ってから数年後。私が街をぶらぶらを歩いていると、突然車道側から声をかけられた。びっくりして振り返ると、そこには高級外車が停まっていて、運転席には全身を二等辺三角形の装飾品で着飾った女性が座っていた。
覚えてますか? と彼女が聞き、私が素直に首を横に振ると、自分はあなたに数年前に幸せになれる壺を売った訪問販売員なんだと説明した。
「あれから、あなたが壺を買ってくれたお金を元手に、手作りの二等辺三角形を売る事業を始めたんです。最初はものすごく小さなところから始まったんですが、SNSでバズったことがきっかけで事業が軌道に乗り、今では昔よりも余裕のある生活をできているんです」
そういえばあの壺を買ってから幸せになれましたか? 彼女は私にそう聞いてきた。私がわからないですと答えると、彼女は逆に自分は幸せだと思いますか? とさらに聞いてきた。
「事業にも成功して、お金も持っているようですし、幸せなんじゃないですか?」
「残念ながら違うんです。毎日不幸だって思いながら生きてますし、何なら壺を売っていた時の方がまだ幸せでした」
理由を聞こうとしたが、それを遮るように彼女が言葉を続ける。
「幸せの形が決まってて、その形通りの人がいたとしても、自分が思っているよりも幸せじゃないってことは多いんですよ。結局幸せかどうかは自分が決めることですから」
「自分で決めることですか?」
「いや、決めるというとちょっと違うかもしれませんね。自分で、これが幸せなんだって納得するものって言った方が近いかもしれません」
彼女は車のエンジンをかける。そして、これから離婚調停のために裁判所に行かなくちゃいけないんですと説明し、そのまま車を走らせて去っていった。私は遠くなっていく車の姿をじっと見つめ続ける。すると、いつのまにか街頭インタビューを行っていたテレビの取材が近づいてきていて、お時間よろしいでしょうか? と声をかけてきた。
「数年前に幸せの形が二等辺三角形だと証明されましたが、それ以降、あなたの幸せ観は変わりましたか?」
私は女性のインタビュアーの質問に対して、特に変わってませんと答える。
「変わっていないとはどういうことでしょう?」
「幸せの形は二等辺三角形じゃなくて、人それぞれだってことです」
インタビュアーは、そうですかと少しだけ苦笑しながら相槌を打った。では、幸せの形が二等辺三角形ではないとしたら、あなたにとっての幸せはどんな形をしているんですか? 彼女は私の口元にマイクを近づけ、少しだけ意地悪な質問を投げかけてくる。
私はそこでふと、彼女の左手薬指に嵌められた二等辺三角形の指輪に気が付いた。それから、ふうっと深く息を吐く。そして私は彼女からマイクを奪い、私に向けられたカメラに向かい合って、質問に答えた。
「私にとっての幸せの形は……壺型です」