表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/41

【9】ごはんはおいしくアゲていこ?

「料理だと!? お前は俺の話を聞いていなかったのか!?」


 ヒビキが難しい顔であたしを見る。

 彼が怒るのは仕方がない。あたしは今、魔界の空気を読むどころか、引きちぎってるから。怖いな。怖いよ。こんな魔界のど真ん中で空気を読まないのは、油断すると、涙ぐんでしまいそうに、怖い。


 でも、それでも。

 決死の思いで、あたしは続けた。


「あのね、ヒビキ。あたしってバカだけど、知ってることもいくつかあって。そのひとつがごはんのことなの。ごはんはぜーったい、美味しいほうが、いいっ!!」


「だからなんだ、生肉は美味いだろうが!!」


「美味しいよ、美味しいけど、ランドウは無理してるもん!!」


 あたしはランドウを指さしてまくしたてる。視界の端で、ランドウがフォークを持ったまま固まっているのが見える。ドン引きされてるかもしれないけれど、ここまで来たら全部吐き出すしかない。


 あたしは覚悟を決めて続けた。


「嫌いなものをすっぴんでぶつけても、ふつー好きにはならないよ。ちゃんとお肌作って盛りメイクしたほうがアガるのと同じ。生肉苦手なら、料理しよ? まずは料理したお肉をおいしく食べて、お肉とごはんのイメージアゲてこ? あたし、手伝うから!!」


「……お前は、自分が俺より上だと思っているのか」


 ヒビキの声がうなるように響いて、あたしは、はっとする。


「そんなこと……」


「何が料理だ。花嫁だと思って甘くしていたら、つけあがりおって!!」


 ヒビキの髪がぶわりと広がり、目がぎらぎらと野性じみた光を宿す。喉の奥からぐるる、と獣のうなりが漏れた時点で、あたしは本能的な恐怖に支配された。


「ひっ……!」


 あたしはおびえて、一歩後ろへ下がる。

 同時に、ヒビキが床を蹴った。


 跳躍。

 ヒビキの体が宙に浮く。とんでもない身軽さで、あたしへと飛びかかってくる……!!

 避けられない、と思った、直後。


「落ちろ」


 ランドウが、恐ろしく低い美声で告げる。

 ほとんど同時に、ヒビキの体があり得ない速度で垂直落下した。

 ドンッ、と、鈍い音。


「ぐうぅ!!」


 本来の着地予定点よりかなり手前の床に、ヒビキがたたき付けられる。まるで空中に巨大な手のひらが出現し、ヒビキを叩き落としたみたいな動きだ。

 あたしは驚きのあまり、すっかり固まってしまった。

 

 ヒビキはすぐには起き上がれず、うめきながら倒れ伏している。

 ランドウは優美なくらいの所作で立ち上がった。


「ラン、ドウ……」


 あたしはすがるみたいにランドウを見る。絞り出した声は、かすれていた。

 ランドウは冷えた靴音を立ててヒビキの横を通り過ぎ、あたしの横に立った。ランドウが近くに来てくれると、あたしはやっと呼吸が楽になるのを感じる。というか、今まであたしはガチガチに固まっていたんだ。今、やっとわかった。


 あたしが小さく深呼吸していると、ドレスの袖に軽い力がかかる。

 なんだろう、と見下ろすと、ランドウの指先があたしの袖をつまんでいた。


 ――なんで、袖?

 びっくりして見上げると、ランドウは真顔でヒビキを見つめている。


「ヒビキ」


「っ……はい」


 ヒビキは必死に顔を上げようとするが、まだ体が自由に動かないようだ。さっきの『落ちろ』が魔法だったのだろうか。魔族の魔法を間近に見ることなんて滅多にないから、あたしにはよくわからない。

 

 わかるのは、ランドウが圧倒的強者である、ということだけ。

 這いつくばったままのヒビキを前に、ランドウは王者の声で囁く。


「わきまえろ」


「はっ……申し訳ございませんでした、我が君……っ。そして……花嫁……ディアネット様、も……失礼をお許しください……」


 ヒビキは謝罪してくれるけれど、まだまだ酷く悔しそうだ。

 ランドウはそんなヒビキを横目に、あたしに向き直った。あたしを見下ろす美しい紫色の瞳が、今はひどくつめたく見える。


「我が花嫁。下僕はこのように言っている。罰はどうする?」


「どうする、って……」


 繰り返しながら、あたしはぶるりと震えた。

 人間界の王宮では、あたしが『むち打て!』と叫んだら、すぐに誰かが誰かにむちを振るった。多分――この、魔界の王宮も同じなのだ。


 あたしには、力がある。

 今さらだけど、それってすごく、怖いことだ。一歩踏み外したら、あたしが死ぬくらいに、怖いこと。どうしよう。なんて言おう。

 ここに、セラフィーナはいない。


 いるのは、あたし。

 あたしと、ランドウと、ヒビキ。


 それだけ。

 ――あたしは、どうしたい?


 あたしは一度強く目を閉じてから、開く。そして、笑った。


「全然気にしないでヨシでしょ~。ね、ランドウ?」


 なるべく明るく言って見上げると、ランドウはどこかまぶしそうに目を細める。


「本当にいいのか? 甘くしているとヒビキはつけあがるぞ。まだ分別のない子犬なのだ」


「人間的に二百歳は分別つきまくりだよ。きっと、罰なんてなしでなかよくできる。それにあたし、ヒビキには恩ありまくりだから、罰するなんて言えないんだ」


「恩?」


 ランドウが不思議そうに首をかしげた。ヒビキも、視界の端で意外そうな顔をしている。

 あたしはくるりとランドウに背を向けると、しゃがみこんでヒビキに声をかけた。


「十年間、ランドウを待っててくれたこと。ありがとね、ヒビキ」


 ヒビキは這いつくばったまま、驚いた顔であたしを見上げる。

 あたしはしみじみと目を細めて続ける。


「あたしも、十年以上前に家出っぽいことしたんだ~。けどね、多分誰もあたしのことは待ってない。さみしいけど、しょーがないと思ってる。ちゃんと友だち作れなかった、あたしがいけない。……多分ランドウも、ちょい似てると思ってて」


 あたしが思い出すのは、前世のことだ。人間世界で誰かあたしを待っているビジョンはまったく見えない。親くらいは待っててくれるかもしれないけど、十年以上経ったら忘れ去られている気もする。あたしは大していい子じゃなかったから。

 だから多分、ランドウの気持ちは、ちょっとだけわかる。


「魔界でバイブス下がることあって、人間界で好きなことやって。それなりに楽しくて。なのにあたしの命を助けるために、魔界に戻って来ちゃって。魔王城はこんなにがらんとしてて。あたしのせいだな、って。あたしがギリギリで告ったりしたから……」


 あたしはうっすらと笑って、うつむいた。

 あたしの指にはまった指輪が見える。ロビンキャッスル家に代々伝わるという指輪にはまった石が、じっとあたしを見つめている気がした。


 最後の最後で、大好きな人に重荷を押しつけたかもしれない、あたしを。


「ば、バカ、なんでそこで暗くなる!? 自分の命が助かったなら、素直に喜べ!! か弱き人間なんだから!!」


 ヒビキは跳ね起き、慌てふためいた様子だ。

 優しいなあ、ヒビキ。あたしは涙目になって、ヒビキを見つめる。


「あり、がとぉ……。でもさぁ。でも、さぁ。ヒビキがいて、よかったよぉ……ランドウにヒビキがいてくれて、あたし、よかった……」


 言い終えたら、ぼろぼろっと涙がこぼれる。

 あたしは魔界で、怪しい部屋の骨の寝台で目覚めた。おびえすぎずに済んだのは、ヒビキが元気に迎えてくれたからだ。あたしのお腹が減ったことに、一番に気付いてくれたのもヒビキだった。生肉とは言え、食事を出してくれたのも、ヒビキだった。


 ヒビキがいたから、がらんどうの魔王城も怖くなかった。

 きっと、ランドウもそうだと思う。


「ありがとね。ありがとねぇ……」


 しくしくと泣きながら繰り返していると、ヒビキはギリギリと歯ぎしりの音を立てて後ろへ下がる。


「ば、バーかバーカ!! こんなことで魔族なんかに胸襟を開きおって、人間というのは本当に愚かだな!」


「だってぇ、ヒビキ絶対いい子だしぃ……」


「だーからぁ!! どこにそんな証拠がある!? いいかげんにしろっ! あーー、頭がおかしくなりそうだ!! どうしたら泣き止む? 料理か? 料理したければ、すればいいだろう!!」


「えっ、いいの!?」


 あたしはがばっと顔を上げた。そんなあたしに、ヒビキは釘を刺してくる。


「ただ、台所はないぞ」


「へ?」


 目を丸くしたあたしに、ヒビキは告げる。


「解体室はあるが、台所はない。……とりあえず、解体室を見るか?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ