【8】魔界に料理はないって、マジですか?
デートをする相手はいるけれど、デートをする場所がない。
そんなことがあるなんて、前世では考えたこともなかった。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
こくり、と唾を呑んだとき、あたしのお腹が、ぐうっと鳴った。
「うっ……」
「空腹か。気が回らずにすまなかった。すぐに食事を」
ランドウがそこまで言ったところで、ばんっ! と背後の扉が開いて、ヒビキが入ってくる。
「お食事ならとっくに用意してあります!! 一応魔王の花嫁も食べてもいいぜ。俺が許す」
「いいの? ヒビキってば、やさ男じゃん」
あたしは笑ってヒビキに手を振ったけれど、ランドウは少し難しい顔になる。
「ヒビキ、その言葉遣い……」
「完璧すぎますか?」
自信満々で目をきらめかせるヒビキ。
ランドウはしばらく考えたのち、静かに諦めたらしい。
「……そのままで行け」
「了解いたしましたっ!」
ヒビキは思いっきり嬉しそうに敬礼をする。この勢いで慕われたら、厳しいことを言えないのはよくわかる。
あたしはちょっと和みながらヒビキに聞いた。
「ちな、魔界の料理ってどんな感じ? デコったりって、できそ?」
あたしが考えているのは、食事のあとのこと。ランドウをデートに誘うときのことだ。カフェもレストランもなさそうな魔界なら、ピクニックって手もある。
せっかくだから魔界の料理をアレンジして、可愛くボックスにつめたりしたらデートっぽいんじゃないだろうか。
そんなあたしの淡い期待を、ヒビキは淡々と打ち砕いた。
「魔界に料理はない」
「へっ!?」
呆気にとられるあたしの前で、ヒビキは小さく肩をすくめて見せる。
「あんなものは、か弱い人間のやる戯れだ。ついてこい、花嫁。真の魔界の食事を見せてやる」
■□■
数分後。
あたしの目の前には、血が滴りそうな新鮮な肉の塊が載ったお皿があった。
「いい肉だぞ、感謝しろ」
肉を取り分けてくれたのは、自信満々のヒビキだ。
ここは魔王城の食堂。
魔王城はどこからどこまで真っ黒な岩をくりぬいて造られているみたいで、食堂ももちろん全部真っ黒だ。黒以外の色があるとしたら、白。しかも、骨の白。天井から下がっているシャンデリアも全部骨、壁にくっついている彫像みたいなのも全部骨、目の前にある巨大な食卓も、あたしが座っている椅子も、全部骨の組み合わせでできていた。
そんなまがまがしい食堂にいるのは、あたしとランドウとヒビキだけ。
あたしとランドウは長い食卓のあっちとこっちにいて、ヒビキはあっちにいったり、こっちにいったりして肉を配ってくれている。
「なるほど……これが、魔界の食事かあ」
「何か文句でもあるなら……」
「めっっっっっちゃ、いい肉では!? ほんとにこれ、全部いーの!?」
あたしが目をきらめかせて叫ぶと、ランドウとヒビキがあたしを見つめた。
あたしは正直食の好みは肉食系だし、目の前のお肉は見るからに美味しそうな赤身だ。
「こんないいお肉があるんなら、焼き肉デートできるじゃん! デコるのは難しいかもだけど、うーん、こう、薄ーく切ってお花みたく飾ってみるとか、どう!?」
にこにこで聞いてみるあたしに、ランドウは黙りこくり、ヒビキは感心した顔で腕を組む。
「お前、人間のくせに肉食なのか? 少しは見所があるじゃないか。飾るっていうのは意味不明だが。ですよね、魔王様?」
「…………」
ランドウは黙ったまま、片手で口元を覆って何か考えているようだ。
あたしは少しそわそわしながら聞いた。
「肉デコはダメそ? だったら普通に焼こうよ。焼き肉デートって結構なかよしな感じだけど、あたしら、多分、ほら、もう、その? ケッコン、してるし……」
言いながら真っ赤になるあたし。ランドウは何か言おうと顔を上げたが、それより早くヒビキが叫んだ。
「肉を焼くだと!? お前、さっき俺が言ったことを忘れたのか!? 魔界に料理はないと言ったろうが!!」
「マ!?!? 料理しないって、そのレベル!?」
あたしは驚いて叫び返す。ヒビキは深くうなずき、あたしを指さした。
「このヒビキ、嘘は吐かん!! 肉は生が一番だっ!! お前が魔王の花嫁だというのなら、生で食って見せろ!!」
「な、生……。ちな、寄生虫とかって……」
おそるおそる聞くと、ヒビキは鼻を鳴らす。
「ハッ!! 人間は虫なんぞに負けるのか? か弱い。か弱すぎるぞ、花嫁。そこまでか弱くて、よくも俺と魔王の間に割って入ろうと思ったな!!」
ツッコミどころだらけのセリフだったけれど、あたしは唇を噛んで、目の前の肉と向き合った。正直、変な匂いはしないし、変色もしていないし、食べられないことはないと思う。肉寿司の画像とか眺めて、うっとりしてたこともあるし……。
これが魔界の空気だっていうなら、読んでいきたい。ただ、人間の宮廷ではしっかり調理されたものしか食べてこなかった。食べ方のコツとかあるのかな? とランドウを見ると、彼は、直径十センチくらいの肉を無限に切り刻んでいた。
「ってか、ランドウ、全然生肉食べれてなくない……?」
あたしが言うと、ランドウは真顔のまま静かに青ざめる。
「気付いたか。実は、生肉が苦手で」
「魔王なのにッ!?」
思わず叫んでから、あたしははっとして自分の口をふさいだ。
食べ物の好き嫌いと身分は関係ない。全然、まったく関係ない。
すると、今度はヒビキが叫ぶ。
「魔王様が肉が苦手なんて気のせいですきっと完全に気のせいです、魔王様はお肉が好きお肉が好きお肉が好き生肉が好き!!」
「肉が……好き……肉……生肉……なま……」
「ダメだよぉ、ランドウ、肉ミンチ量産するだけで食べれてないし! 目は死んでるし、かわいそうだよ!!」
あたしは必死に叫ぶものの、ヒビキは小さな拳を作ってあたしとランドウにたたみかけた。
「ダメだ!! 魔族は肉そのもののエネルギーよりも、獲物が持っている生命エネルギーを吸い上げる。生肉を避ければ体力も魔力も回復しない。こんな食事風景を他の魔族に見られたら魔王様の威光は失墜し、二度と戻らん!! だからせめて、ひとかけらでも……」
ヒビキの語る理由は、切実だった。これはあたしが口を出していい話じゃない。
あたしはとっさに黙ってランドウを見る。
ランドウはまつげを伏せて、かすかに笑ったみたいだった。
「他の魔族など、とっくに出て行った。俺の威光は人間界に家出した時点で失墜している」
「俺は!!」
ヒビキが叫び、どん、と食卓を殴る。
あたしはびくりとしてヒビキを見た。
ヒビキはまっすぐにランドウを見つめている。激しい目だったけれど、そこにあるのは寂しさとか悔しさとか、そういった感情のようにも思う。
ヒビキは一度ぐっと歯を食いしばってから、あらためて言う。
「俺は、あなたが魔王じゃない魔界なんか耐えられない。だからせめて、最初の食事くらいは、魔族らしくして欲しい。何せ……十年ぶりですので」
がらんとした食堂には、ヒビキの声の残響がしばらく残った。
なんでだろう。あたしは少しだけ、涙ぐんでいた。ヒビキの声にはヒビキの思いが全部乗っかっていた。ランドウを好きなヒビキ。尊敬しているヒビキ。好きで尊敬しているからこそ、今の状態は悔しいし、悲しいんだろう。
ヒビキとランドウ、ふたりだけじゃ、この食堂は広すぎる。
ランドウは静かにヒビキを見つめたのち、フォークを取り直した。
「すまなかった、ヒビキ」
聞こえるか聞こえないかの声で囁き、ランドウはフォークに盛った生肉を口に運ぶ。
青ざめた顔で、ただ、淡々と――。
「ま……待ってっっ!!」
「……?」
あたしの叫びが高い天井に響き渡り、ランドウは手を止めてあたしを見た。
ヒビキも、きっ、とあたしをにらみつけてくる。
「なんだ、花嫁。せっかく魔王様が食べる気になったというのに」
邪魔をするんじゃない、と言っているであろうヒビキの目を、どうにかこうにか見つめ返す。そうして、必死に訴えた。
「あたしに、料理を、させてください!!」