【7】君とはお付き合いから始めたい。
「あたしら、きっと、同類だよ」
そう言い切ったあたしに向かって、ランドウは軽く目を瞠った。
カラコンなんかしなくても完璧なきれいな目に、必死すぎるあたしの姿が映る。
「…………」
「あ、ごめ……ってか、言葉乱れまくりんぐ……。ごめんなさい、魔王陛下。こんな話、面白くないでしょう?」
あたしは必死に自分を貴婦人モードに引き戻す。
ランドウはふっと元の無表情に戻って、小さく首を横にふった。
「いや、いい。できれば、その、乱れたままで喋ってくれ。自由な感じで、いい」
「マ……? って言ってわかる? 本当に? って意味だけど」
「学んだ。今後はわかる」
「頭よしだなあ。じゃ、いみふめーのときは言って?」
「…………」
こくり、と深くうなずかれて、あたしはほっとした。
このひとなら、あたしの恋愛話も笑わずに聞いてくれるかもしれない。
淡い期待にすがって、あたしはおずおずと切り出した。
「……あのね。あたし、レンアイ的なことって、もっとこう、大事にしたいっていうか。お付き合いから始めたい、的なのがあって」
「つまり、どうすればいい?」
ぐい、ときれいな顔が近づいてきて、あたしはびくりと引いた。
「う、うう? なんか、こう、まずはこう、約束して?」
「約束」
「そ。あたしとお付き合いしてる間は、他の子とは仲良くしすぎないよって約束」
「なるほど。で、お付き合いとは、具体的には?」
近すぎる顔に赤くなりながら、あたしは指折り数えて語り始める。
「えっと、メルってか、文通? とかして。次に実際会うじゃん? で、デートするじゃん! そしたら相手の好きなこととか、嫌いなこととか、段々わかってくる。へー、そうなんだぁ、ってなると、ますます好きになるじゃん……?」
小学生みたいなレンアイ話だと思っちゃう。あたしはうつむいて続ける。
「好きになったら、近くに寄りたいなーってなるから、ドキドキしながら手とか握って。それでさ、相手が避けられなかったら、相手もあたしと手を繋ぎたかったってことだから。それって、相手もあたしのこと好きだってことだから。もっと、すごい好きになって。今度はちゅー……キス、したりとか、する感じ……」
最後まで言い切ってから、あたしは深く長いため息を吐いた。
「ごめん、今の、聞かなかったことに……」
あたしはすぐに自分の話を撤回して、ランドウを見る。
彼は、恐ろしく美しい顔で中空を見つめてつぶやいた。
「文化だ」
「へ?」
「相手のことも、自分のことも大事にする……文化の粋だ。人間は、いいッ!!」
ランドウはぐっと拳を握り、力一杯言う。
あたしは呆気にとられてそれを見ていたけれど、ランドウはすぐにこっちを向く。
「ディアネット。こんな形で魔界に連れて来てしまった非礼をわびたい!」
「わびる!? ランドウは命の恩人しょ!?」
迫力美形の顔面圧に、あたしは真っ赤になってのけぞりながら叫ぶ。
ランドウはそれでもひるまなかった。
「だが、人間の文化からしたら誘拐に近かったはずだ。そもそもデートの前にキスをしてしまったのが間違いだった。俺は、もっと君に優しくしたい。君が許してくれるなら、俺は、君と、君が思うようなお付き合いをしてみたいのだ!」
「え……マ……?」
あたしは、ぴたりと止まってランドウを見る。
ランドウもじっと見つめ返してくる。
……沈黙。
しばらくすると、ランドウが物憂げに美しいまつげを伏せた。
「……すまない、キモかったな。魔族なんかが、お付き合いとか……」
「い、いやいやいやいや!! そーじゃなく! び、びっくりして……今まで、こんなふーに言ってくれたひと、初だから……!」
ランドウは真剣な面持ちであたしを見つめ、自分の胸に手を当てる。
「本当か? 正直最初は下手くそだと思う。だが、やらせてもらえるだろうか?」
愛の告白っていうより、試験でも受けに来たひとみたいだ。
でも、今は、その真っ直ぐさがまぶしくて、あたしはこそばゆさに座り直した。
人間が好きで、人間の文化が好きで、あたしの話を聞いて、まっすぐに向かい合ってくれる、このひと。あたし、このひとのこと、好きになれるかもしれない。
そう思うと同時に、体の芯が温まった。湧き上がった熱は、あたしの呼吸と共にぶわっと全身に広がっていく。
嬉しい。転生してから……ううん、転生前も含めて、今が一番嬉しい!
気づけば、あたしは必死に頷いていた。
「あたしも、したいっ。ランドウとお付き合い、したい!! ……お願いします!!」
「ディアネット……いや、ディア。まずは約束だな」
ランドウは天才が作った彫刻みたいな顔いっぱいに、やわらかな笑みを浮かべた。彼がぱちんと指を鳴らすと、ランドウの手には羊皮紙っぽい巻物とペンとナイフが降ってくる。
「ひゃ!? え、文通用?」
「契約書用だ。血で書くから、少し待て」
「待って、激重っ!! あたしは口約束で大丈夫だよ、ってか、口約束のほうがいいなぁ~……っ!!」
「…………君は、魔族の口約束を信用してくれるのか?」
ランドウはなぜか、少し目を瞠って言う。あたしはとにかく必死にうなずいた。
「するするする、するから、痛いのはなしで!!」
「痛い? サイン用の血液などちょっとした傷で……」
怪訝な顔で言った魔王は、はたと口元に手を当てた。
「……ひょっとして……人間は、インク壺一杯分の出血で、死ぬ……?」
「ない。ないけど、とにかくあたし、魔族じゃなくてランドウのこと、信じてる! だから、おけまるっ!!」
あたしは叫び、なるべく元気に笑って両手を挙げ、頭の上で大きな「まる」を作った。ランドウはしばらくそれを見つめたあと、ふ、と息を吐く。
今のは笑った……のかな。ふふ。ランドウが笑うと、嬉しいな。
自然と笑顔が自然になったあたしを見ると、ランドウは寝台から降りた。そうして丁寧に、お姫様にするみたいに片手を伸ばしてくれる。
「では、ここから我々のお付き合いを始めよう。デートはまだだが、少しだけ手を繋いでも?」
「う、うん」
ドキドキしながら手を伸ばすと、ランドウの手がふわりとあたしの手を包んだ。ランドウの手は指が長くて繊細そうで、いかにも優雅に見えるのだけれど、こうしてふれあうとずいぶん大きい。
力の強い、男の人の手だ。そして彼の手つなぎは、本当に、触れるか触れないかくらいの優しさだった。ちょっとでも強く掴んだら壊れる、繊細なお菓子みたいな扱いだ。
ひょっとしたらランドウは、本当にあたしがちょっとの力で壊れると思っているのかもしれない。あたしと同じくらい、ドキドキしながらあたしの手を握っているのかもしれない。そう思うと、あたしの胸はますますドキドキした。
気付かれたら恥ずかしいから、あたしは息を潜めてランドウに手を引かれる。ランドウはあたしを、寝台から大きな窓のところへと連れて行った。
「魔界は荒々しい場所だ。君が、デートで行きたいようなところはないかもしれない」
「ぜんぜんだいじょぶ! 河原でサンドイッチ食べるとかでもいいんだし! よければあたし、プラン出す?」
あたしの申し出に、ランドウの顔はすうっと明るくなった。
「いいのか……? 本当に助かる」
ランドウは言い、天井すれすれまである大きな両開きの窓を開く。曇りガラスで見えなかった窓の向こうは、四畳半くらいありそうな大理石のバルコニーだ。
そしてその向こうは――。
どこまでも、どこまでも真っ黒な、石で出来た平原だった。
途中にボコボコ突き出している石の柱。その向こうには同じく、真っ黒な石が連なったトゲトゲの山脈。頭上を見上げると、かすむくらい遠くに石の天井が見える。
人間界の地下にある魔界は、石、石、石。何もかもが石で出来ている。
ところどろころに見えるい赤い光は、溶岩だろうか。この明かりが石の山脈から噴き出す霧を染め抜いて、血のような赤い霧を生み出していた。
石。霧。以上。
……待って。
魔界、カフェとか映画館以前に木すら生えていないし、魔王城以外の建物も見えない。完全に荒野に近いんですけど。
ぼうっとするあたしの横で、魔王ランドウは穏やかに言った。
「何せ魔界には魔王城以外まともな建築物すらない。正直途方に暮れていた」
「いや、ちょ、これは……」
「頼りにしている、ディア」
そう言ってあたしを見る、ランドウ。
きらきらのきれいな目。
……あたしはこれに、逆らう自信がない。