【6】魔王って、陽キャの王じゃないんです?
改めて見るランドウは、シンプルに顔がきれいだった。
元々さっぱりした隠れイケメンなのは知っていた。
ただ、眼鏡がびん底で、三級魔道士の服がダサかっただけで、ランドウはずっとイケメンだった。
だけど、魔王バージョンは、違うんだ。
キリッとした目元に重そうなまつげ。その間から、やけに透明度の高い紫色の瞳がちらちら見えてる。スッキリとした鼻筋も大きすぎない口元も、お上品でドールみたいで。背丈は、豪奢な衣装にまったく負けないくらい高い……。
ヒエラルキーてっぺんの美貌、まぶしっ!!
あたしが目をしぱしぱしている間に、ヒビキが超高速でランドウに駆け寄った。
そのまま軽々とジャンプして、ランドウの首根っこにしがみつく。
「魔王様魔王様魔王様魔王様!! おかえりなさい魔王様!!」
「ど、どしたの!? 急にバブ!?」
あたしはびっくりして叫ぶけど、ヒビキは聞いてもくれない。
しがみつかれた側のランドウはどうしているか、というと。
「よしよし……よしよしよしよし……よしよしよしよしよし……よし……」
すっごい丁寧に、よしよししてる。
ほとんど手が削れそうなくらいによしよししてる。
ヒビキの青い髪はあっという間にくちゃくちゃになっていくけど、後ろから見てても幸せオーラ出まくりなのがよーくわかった。
これが、魔族。
ここが、魔界……?
あたしが呆然としていると、ついにランドウがヒビキの襟首をつまみ上げた。
「……このくだり、帰還直後もしなかったか?」
「しましたが、足りませんでしたので」
「そうか、ならば仕方ないか」
「はい、仕方ないですね」
こくりとうなずくヒビキ。頷き返すランドウ。
押しが、弱い。
強く言われたら頷いてしまうのは私も一緒だ。謎のシンパシーを感じてしまう。
「仕方ないが、俺はそろそろ花嫁と話をしたい。部屋の外で待っていてくれるか?」
「部屋の中で待つのではいけませんか? 部屋の中のほうが魔王様を補給しやすいので」
「ダメだ。外」
「……はーい……」
「あとでまた補給させてやるから」
「はいっ! 外でお待ちしておりますっ!! ごゆっくり、組んずほぐれつなさってください!」
ランドウの一言でぱあっと明るい顔になり、ヒビキは真っ黒な扉の外へ出て行った。
バタン、と扉が閉じると、部屋にはランドウとあたしのふたりきり。
急に、緊張してきた……。
「すまなかったな、ディアネット」
カチンコチンになったあたしに、ランドウは軽く会釈した。
「別にいーよ! じゃなくて、いい、です。仲がよくて羨ましいくらいっていうか……」
慌てて言うと、ランドウはじっとあたしを見る。
「宮廷では、君は上下関係にうるさかった」
「あ、ハイ、それは、ハイ」
途端にどっと宮廷の思い出が押し寄せてきて、あたしはたらりと冷や汗を流す。
『上下関係をはっきりさせるのは、ディアネット様の義務ですわ』
セラフィーナに耳元で囁かれ、あたしは必死に偉そうに振る舞っていた。
ちょっとしたミスで使用人たちを減給したり、辞めさせたり、罵倒したり。最終的にはセラフィーナに鞭を渡されたりもしたけれど、あたしはそれをふるえなかった。
『……仕方ありません。ディアネット様が出来ないのなら、他の者にやらせましょう』
セラフィーナは美しい笑顔で言い、あたしの鞭を使用人に渡したのだった。
それからのあたしの周りでは、セラフィーナの命令で使用人が他の使用人を鞭打つようになった。
……あのころのギスギスは、正直思い出すだけで暗くなる。
「少し、後悔してる、というか……」
「後悔」
ランドウは静かに繰り返し、あたしの言葉を待ってくれる。
急かす感じは少しもなかった。
だからあたしは、ゆっくり、次の言葉を選べた。
「痛い思いをさせて上下関係はっきりさせるのは簡単です。普段仲良くしてて、仕事のときはきっちり、っていうほうが難しい。ランドウは……じゃない、魔王様は、それが出来てるっぽくて、マジ……本当に、憧れます」
「んんッ!!」
「ん……?」
変な咳をされて、あたしは驚く。
ランドウを見ると、彼は軍服の上に羽織ったマントのフードをまぶかくかぶっていた。
「ど、どうかしました……?」
「いや、すまない。唐突に褒められたもので」
「褒められたから、どう……?」
「……すまない、しばらくしたら元に戻る」
ランドウはそのまま何度も深呼吸し、天井を仰ぎ、ぐるぐると十回くらいその場で回って、ぱっとフードを取った。まぶしい美貌が、きりっとした表情を浮かべてあたしを見る。
「すまなかったな、立ち直った」
「???」
「なんというか、生きていてあまり褒められることがないので動揺したのだ」
「へえ!? そんなに美形で、魔王なのに?」
あたしはびっくりして聞いてしまう。
ランドウの顔は無表情のまま、うっすら暗くなった。
「生まれが魔王なだけだ。さっき、ヒビキも言っていただろう」
「ヒビキさんは魔王様のこと好き好きばっかりだったような……」
「その前だ。キスだけ!? とか」
「あ」
思い出してしまって、あたしの顔はぱっと赤くなる。
まだ部屋の入り口近くに立っていたランドウは、寝台に座りこむあたしに近づいてきた。軍靴がかつかつと音を立て、長い髪とマントが優美に揺れる。
ど、どうしよう。どどどどどうしよう。
ランドウは真剣にあたしを見つめて歩み寄ってくると、寝台に手をかける。
ぐい、と身を乗り出してくるランドウ。そのつややかな髪がゆるりと敷布の上に渦を巻く。絶世の美貌をあたしのほうへ近づけて、ランドウは囁く。
「ディアネット。ひとつ、聞きたい」
「はい……!」
「キス以上のことを、するべきか?」
「は、はひぃ……!?!?」
頭の中でぱーんと何かが弾けて、あたしはまぬけな声を出す。
キス以上。キス以上ってことは、組んずほぐれつ。
それを、した方がいいかって、聞かれてる?
あたしの目の前はぐるぐる渦を巻き始めた。
こういう状況になったとき、漫画の主人公はどうしてたっけ? 前世の経験でどうにかするの? だとしたらあたしは空っぽだ。前世も空っぽ、今世も空っぽ。
「こ、ここは、陽キャ魔族の王であるランドウに、お任せしよっかな、なんて……」
思わず、ふるえながら前世の口調で言う私。
目の前のランドウの眉間には、軽く皺が寄る。
「陽キャとは?」
「あっ、ご、ごめん! こう、明るくて、行動力があって、野性的って感じ」
「なるほど。ならば俺は陽キャではない」
「へ」
びっくりして顔を上げるあたし。
ランドウは、あたしをじっと見ている。見つめたまま、静かに語る。
「人間界にいたのは、人間界の文化が好きだからだ。ほとんど図書館の隅にこもっていた。人間界の性愛というものがさっぱりわからん」
「え……? 本当に、まったく、恋愛的なことはなかった……?」
「気持ちが悪いとは思うが、本当だ」
きっぱりと言うランドウ。
普通に考えたらダサいセリフだった。
けど……この人って、逃げないんだな。真っ直ぐ、きっぱり言ってくれるんだ。
あたしはしばし呆然とランドウと見つめ合っていたけれど、じわじわと胸にあったかいものがせり上がってくるのを感じた。
……なんか、いいぞ。
やっぱり、あたしの告白したランドウは、すごいやつかも。
「だ、だいじょぶ。ぜんぜんキモくないって」
「キモ? 気持ち悪くないということか。それはないだろう。俺は魔界的にはクズでゴミで後ろ指さされる類いの最底辺だ。気持ち悪くて当たり前、目の前で吐かないだけ君はえらい。というか強靱だ。ありがとうディアネット」
「や、いやいやいやいや、いきなり悪く言い過ぎ! 気持ち悪くないよ、むしろ、ずーっと図書館にいられるとか、めっちゃ頭よ! って感じだし、好きなこと貫いててすごいと思う!」
一生懸命主張すると、ランドウはこんどは胸を押さえてうつむいた。
「……死ぬかもしれない」
「なんで!? ごめんなさい!?」
叫ぶあたしに、無表情のランドウが片手を突き出してなだめる。
「いや、いい。すぐに治る。君に、そんなふうに言ってもらえるとは……。君は、俺の、憧れだったんだ」
「あ、あたしが? なんで!?」
あたしは心底びっくりして聞き返す。
ランドウは深くうなずいて顔を上げた。紫色の目が、きらりと光った気がした。
「君はあの堅苦しい宮殿で、堂々と遊び回っていた。まるで自由な蝶のように。目の前をよぎるたびに、俺は夢からさめるような心地だった」
きれいなランドウの瞳の中に、ぽかんとしたあたしの顔が映っていた。
頭の中で、セラフィーナが囁く。
『ほら、あなたはみんなの憧れですわ。胸を張って、堂々としていらして。あなたが最高。あなたがもっとも美しい。あなた以外は、みんな虫けら』
「君は蝶であり、底辺の俺は地を這う虫けら……」
ランドウのセリフであたしは我に返り、必死にまくしたてた。
「そんなことない!! あたしも、臆病で、遊んでるふりしてただけだから!」
「そうだったのか……?」
驚いたように言われる。失望されたな、と思ったけど、嘘を吐くよりはいい。
だってランドウは、正直だもの。あたしも、できるかぎり正直でいたい。
あたしは、勢い込んで言う。
「うん。あたしら、きっと、同類だよ」