【5】キスだけで結婚するのはナシですか?
ちょうどそのころ、魔界では。
「ご、ごめんなさいッ!!」
あたし、ディアネットは派手に謝りながら目を覚ました。
「あれ……夢?」
何度か瞬きしながら、あたしは自分の胸を押さえる。
なんだろう。夢の中でものすごく悪口を言われたような気がした。
その感情は強烈で、まだ心臓がバクバクしている。
あたしはとにかく人に嫌われるのが耐えられない。セラフィーナが横に居てくれたときは、言われるままに胸をはることができた。でも、ひとりだったら絶対に耐えられない。あたしは、誰にも嫌われたくない……。
それはそうと、ここは一体どこだろう?
立派な寝台で寝ていたことだけは、わかる。
着ているのは初めて見るドレスっぽい寝間着で、以前と同じなのはロビンキャッスル家に伝わる指輪だけみたい。
「起きたか、雑魚!!」
勢いよく扉が開き、誰かが部屋に入ってきた。
あたしは敷布をはねのけ、寝台の上に正座する。
「ひゃっ、ご、ごごごごめんなさい雑魚です!!」
勢いが怖くて、あたしは叫びながら布団に額をすりつけた。
入ってきた人物は、寝台の側で足を止める。
「なんだ、貴様。素直だな。すまない、今のは冗談だ」
「じょ、冗談……? 冗談で雑魚っていうのは、あんまり……」
「あんまり、なんだ?」
「なんでもございませんっ!!」
あたしは顔を上げないまま、冷や汗を掻いて相手の出方を待った。
そもそもこの人、何者だろう。声がやたらと渋いから、結構なおじさまなんじゃないだろうか。ビシッとした感じからして、軍人な気もする。
ちらっと視線を投げてみると、つややかな軍靴が目に入った。
やっぱり軍人さんだ。でも、小さな足だな。
女の子くらいっていうか、むしろ、子どもくらいのサイズ……?
おそるおそる顔を上げると、目の前に立っていたのは青い髪のひとだった。人間界にはない色の髪の下には、きらりと光る銀色の瞳。片目を眼帯で覆いつつも、白い肌が目立つ整った顔立ち。すらりとした体を金モールで飾られた軍服に包んだ――少年。
「あれ、子ども?」
あたしが拍子抜けしていると、少年の目がぎらりと光る。
「ばかもん!! 誰が子どもだ!!」
「ひええええ、ごめんなさいいいい!!」
再び這いつくばるあたし。
少年はそんなあたしを見て、こほん、と咳払いをした。
「と、言いたいところだが。俺は二百歳弱なんで、魔族的にはかなり子どもだ」
「ま、魔族? に、二百歳弱は、子ども……?」
信じられない言葉を繰り返しているあたしに、少年はきびきびと敬礼をした。
「俺の名はヒビキ。種族は人狼。魔界での役職は魔王の護衛だ。ついでにあんたを守ることもあるかもしれないし、ないかもしれない。魔族は個人主義で気まぐれだからな。ま、気楽に頼むぜ、花嫁」
魔界。魔王。そして、花嫁。
ぽんぽんぽん、と並んだ単語が、あたしの記憶を呼び覚ます。
そうか、そうだった。あたしは、処刑される寸前にランドウに告白して、そうしたらそのランドウが実は魔王で、結婚しようって言われて、き、きききききききキスを、して。魔王の花嫁になって、魔界に来てしまったのだった。
……さすがにちょっと、ジェットコースター過ぎない?
「は、はい……よろしくお願いします。ディアネットです……」
とりあえず、頭を深く下げて挨拶してみる。
直近の記憶はキスで途切れているけれど、そのあと丁寧に魔界に運んでもらったのだろう。体はどこも痛くないし、きれいな寝間着を着せてもらっている。
「ここって、魔界……なん?」
あたしはおそるおそる辺りを見渡しながら聞いた。そして、早々にやばいものを見つける。
「ひっ、あ、あれ!!」
ぎょっとして壁を指さすと、ヒビキが首をひねる。
「ここは魔界の中心地、魔王城の中だが。ただの壁がどうかしたか?」
「か、かかかか壁だけじゃなくない? 壁に、なんかのホネがMAXかかってない!?」
あたしの声はひっくり返る寸前だ。あたしに与えられた部屋は、骨、骨、骨! 壁も天井も、ぎっしり何かの骨で埋め尽くされてる……!
真っ青になって固まってると、ヒビキは不思議そうに続けた。
「牛の頭蓋骨は嫌いだったか? 人間の部屋だから、人骨は避けたんだが」
「そ、そっかー。それはそう、それはそうなんだけど、牛も、かーなーり、こわ……うわっ、寝台も骨ぇ!?」
「魔王と組んずほぐれつするとき、盛り上がるだろう?」
「く、くくく組んずほぐれつぅ!?!?」
骨の寝台におびえていた気持ちが、「組んずほぐれつ」でぶっとんでしまった。
待って欲しい。本当に待って欲しい。
組んずほぐれつってそっちじゃよね? あっちだよね?
あたし、まだ全然心構えができてない!!
「するだろう、花嫁なんだから」
ヒビキは当然、みたいな顔をしてるけど、あたしは前世も今世も、男性経験どころか、恋愛経験自体がゼロに等しい。ランドウへの告白だって、一回死んでなかったらできなかった自信がある。
そんなあたしに「組んずほぐれつ」なんて、千年早い!!
ひとり悶々とするあたしに、ヒビキは変な顔をした。
「念のため言っておくが、魔族の世界に人間世界の倫理観を持ちこんでぎゃーぎゃー言うなよ。ここでは奥ゆかしいだのなんだのは美点にならないぜ。あんたと魔王も、何もしてないってわけじゃないんだろう?」
「そ、それは、まあ……き……キス、とかは……」
「ふむ。キスと、あとは?」
「うっ。き、キスだけ……ですけど……」
うつむいてぼそぼそと続けると、ヒビキがぎょっとしたような声を出した。
「はあ!? あんたら、キスだけで結婚したのか!?」
「だ、ダメぇ!?」
「ダメってわけじゃねえが、キスだけ!?」
めちゃくちゃ大きな声で叫ばれて、あたしは思わず涙目になってしまった。
この調子だと、魔族ってバリバリ野獣系で陽キャなのかもしれない。
きっとあたしみたいな半端者は、腰抜け扱いなんだ。
ここで空気を読むためには、人間界にいたときと同じように胸の開いたドレスを着て、いかにも慣れてますって空気を出していかなきゃいけないのかもしれない。
……仕方ない。空気を読んで、笑って言おう。
「ご、ごめんて。今のはかるーいジョークで……」
そのとき、扉の開く音がした。
「キスだけで悪かったな」
腰に響くみたいな美声で囁きながら入ってきたのは、彼。
長い黒髪を揺らし、豪奢な軍服をまとった魔道士、ランドウ。
いや……魔王ランドウだった。