【34】あなたとしあわせになりたい
「アライアスを殺したって……ほんと……?」
あたしは、祈るようにセラフィーナに声をかける。
どうしても、本人に聞きたくて。
本人から、聞きたくて。
セラフィーナはまだ人形みたいな顔だったけど、不意に笑顔になった。
仮面が割れるみたいに、唐突に口をゆがめて、笑った。
「そのとおりですわ。だって、アライアスは全然頑張ってくれませんでしたから」
「頑張って、くれない……? なに、それ……?」
呆然と問うあたしに、セラフィーナは笑顔のまま告げる。
「私の野望を達成するために、頑張ってくれませんでしたの。もちろんアライアスが無能なのは知っています。でもね、無能なら、有能な人間の百倍頑張ればいいでしょう?」
「待って。待って、そーゆー問題!? そもそもセラフィーナの野望って!?」
「あなたから全てを奪って、私が一番になることですわ」
セラフィーナは優美にあたしを指さし、そんなことを言う。
あたしはそれこそ、頭が真っ白になるのを感じた。
このひとは、変なことを言っている。
「待って……セラフィーナ。セラフィーナって、元からあたしに全勝ちでは!? 顔だって、べんきょーだって、ダンスだって……」
「それはそう。だって私、頑張りましたもの」
セラフィーナは即答し、夢みるように目を細める。
「私は生まれつき自分の身ひとつしか持っていませんでした。あなたが持っているようなものは何ひとつ、持ってはいませんでした。私が持っているように見えるものは、全部私の頑張りで手に入れたものです」
頑張り。
その言葉が、あたしには少し意外だった。
あたしは、セラフィーナこそ恵まれていると思っていたから。
セラフィーナは身を乗り出して続ける。
「頑張るのは素晴らしいことですわ、ディアネット。あなたにはいつもそう言っていたはず」
「……そだね。あたしもセラフィーナを見て、少しは頑張ったよ」
「足りない」
ぶった切るみたいに言われて、あたしの心は縮こまる。
せめて見た目は縮こまらないように頑張ったつもりだけど、どうだろう。
セラフィーナの勢いは止まらない。
「あたしは、もっともっともっと頑張りました。あなたが寝ている間にも、宮殿に味方を増やすために男の寝台を渡り歩いて、ろくに眠る時間もありませんでしたわ。それでも昼間は朗らかに笑って、完璧な振る舞いを続けました」
「そう、だったんだね」
セラフィーナの話は、あたしにとっては初耳だった。
かつての彼女は、いつだって清純派に見えていたから。
だけど今の彼女は、力強くて、野心でギラギラしている。
「ええ、そうです。そういったことは、高度な情報管理をしなくては、あっという間に修羅場になって毒になります。私はそうならないよう、飴をやり、鞭で打ち、耳を塞がせ、口を封じ、あるいは喋らせ……ありとあらゆる方法を採ってきたのです。それでこその、この地位ですわ」
夢中で喋ったのち、セラフィーナは少し不思議そうにあたしを見た。
「なのにあなたは、どうしてそんなところにいるの?」
心臓が、ちょっぴり跳ねる。
怖いな、と、あたしは思った。
でも、あたしの中には、セラフィーナへの返事があった。
だから、そのまま、胸にある言葉を口に出す。
「……恋をしたから、だよ」
ぽん、と投げ出した言葉。
ランドウはちょっとびくりとする。
セラフィーナは……鼻を鳴らした。
「そんなくだらないこと、よく私に言えますね」
「くだらないかもしれない。けど、あたしは、マジだった。死んでもラブを伝えたかった」
あたしはこのうえない真顔だったと思う。
セラフィーナは怖いけど、あたしのランドウへの思いは、もっと強いから。
この思いは、セラフィーナの圧にも負けない。
あたしは目を伏せ、ぎゅっと胸元で拳を作る。
「あたしは恋して。ランドウが受け止めてくれて。お付き合いして、ここにいる。頑張ったかどうかはわかんない。ただ、ラブがあった。それだけ」
「やっぱりくだらない。結局あなたは頑張ってないってことですわね? だったらやっぱり、私のほうが報われるべきですわ」
セラフィーナは笑っている。
ここまで何も聞いてもらえないと、あたしの心もちょびっとうつむく。
そんなあたしの肩を、ランドウがそっと抱いてくれた。ふわり、抱き寄せられて、執事服に頬を寄せる。あたしとマリカが頑張って作った執事服。
思えば、あたしも結構頑張ったのかもしれない。
ランドウと普通のデートをしようとしたり、マリカに天下を取らせたり。
平和な頑張りだったけど、まあまあ、頑張った気がしてきた。
一方の、セラフィーナは?
確かに頑張ってはいたけれど……。
「でもさ、セラフィーナ。頑張って悪いことしたら、それってやっぱ、悪人なんだよ」
あたしは、言った。
言ってしまった。
ランドウの手に励まされたのかもしれない。
最後まで言って、セラフィーナの顔を見る。
セラフィーナは驚いた様子だったけど、すぐにうふふと笑った。
「だから? 私は、私のしあわせのために、何人不幸になっても構わない。悪人で構わないわ。特にあなたは、絶対に不幸にしてあげる」
その顔は例の変な笑顔のままで、あたしは悲しくなってしまった。
わかりあえない。セラフィーナと、通じ合えない。
いくら話しても、彼女は歩み寄ってくれない。
あたしは必死に叫ぶ。
「セラフィーナ……! ね、もう、やめよ? 悪を頑張っても、幸せになるのめちゃムズだって!! だって、みんな不幸はヤなんだよ。ヤだから恨みとか妬みとか復讐とか、めんどーなのが残っちゃう!!」
本当にたったひとりで幸せになれるなら、それもいいかもしれない。
でも、そんなのは無理だ。
あたしは続ける。
「あたしとセラフィーナ、どっちが勝ちとかないじゃん。人間と魔族だって、そう。どっちかをぶちのめしてゲットしたしあわせなんか、ぜったい長持ちしない。だったら、いっせーの、せ!! で、みんながまあまあのしあわせ状態になるしかないじゃん!!」
叫んでいるうちに、あたしの目には涙がにじんできた。
あたしは不幸になりたくない。
でも、セラフィーナも不幸にしたくない。
あの宮廷で、あたしたち、それなりに幸せだった。
お互い色々思うことはあったとしても、一緒にドレスを選んで、パーティーを牛耳って、その後くたくたになって、ぐったりしながらお菓子を食べて、グロッキーな顔で笑い合った。
思い出せば出すほど涙がこぼれる。
あたしは告げた。
「あたしは……セラフィーナと、しあわせになりたいよぉ……」
「あらあら、腹が立つほど可愛いわね」
セラフィーナは可哀想なものを見る目であたしを見て、にっこり笑った。
「私は、あなたのそういうところがキライなの」
「セラフィーナ……」
「あなたが『頑張って』用意したこのお祭りも、そろそろおしまい。見てご覧なさい」
セラフィーナは宿屋の玄関のほうを扇子で指す。
あたしはぼろぼろ涙をこぼしたままで、指されたほうへ歩いて行こうとした。
多分、外にはとんでもないものがある。そうわかっていたから、泣きじゃくって座りこむわけにはいかなかった。
よろよろと歩み出す前に、すっとランドウがあたしの手を握って、体を寄せてくれる。
「離れるなよ」
「う、うん……」
耳元で囁いたランドウの声は、どこか殺気立っていた。
セラフィーナが連れてきたであろう、きらびやかな従僕が両開きの扉を大きく開ける。
あたしとランドウ、二人並んで、宿屋の玄関先から見た光景は――。
賑やかな文化祭に入りこんだ、リュバン帝国の魔法兵団が、魔物たちと対峙している光景だった。




