【33】招かれざる客、セラフィーナ
セラフィーナ。
最後に彼女と会ったのは、処刑のときだった。
いつも優しくて芯の強い彼女が、あたしを指さして泣きわめいた。あたしの悪事を言い立てて、処刑の炎でじわ焼きするように叫んでいた。
今、セラフィーナは、昔みたいな穏やかで清楚な笑顔でそこにいる。
「……おひさ、セラフィーナ」
あたしはぎこちなく笑い、小首をかしげた。
そんなあたしを見ると、セラフィーナは扇子の下で少々眉をひそめた。
「下品ね」
吐き捨てられた言葉には、怒りがにじんでいる。
あたしは次に何を言ったらいいのか、わからなくなった。
セラフィーナは続ける。
「きちんとした挨拶も出来ないなんて、まるで出会った頃のあなたみたい。あの頃のあなたはお人形さんみたいにかわいらしくて、虫よりもバカでしたわね」
セラフィーナが喋ると、あたしも昔のことを思い出す。
幼かったころ。
転生して間もないあたしの耳に、セラフィーナは囁きかけた。
『ディアネット、あなた、虫よりバカね』
あたしはびっくりしてセラフィーナを見た。
セラフィーナは天使みたいに笑ってあたしを見ていた。
他のひとが見たら、絶対に彼女が悪口を言っているなんて思わないだろう。
対するあたしは、変な子、で通っていた。
何を言ったとしたって、信じられるのはセラフィーナのほう。
はっきりわかる。
だからあたしは、笑った。
媚びたように笑って、言った。
『うん……そうなの。あたし、バカで、なんにもわからない』
『あら、思ったより素直じゃない』
セラフィーナは笑みを深めたかと思うと、急にあたしを抱きしめた。
彼女の腕は細くて、でも、力はとっても強かった。
痛いくらいの力であたしを拘束し、セラフィーナは言う。
『わたし、あなたのことが好きよ。あなたに生き方を教えてあげる!』
バカにされて、好きと言われて。
あたしの頭はぐるぐる混乱した。
とにかくこのひとには逆らえない。それだけがわかった。
だから、あたしは諦める。
前世で慣れたやり方をする。
全部あきらめて、人に預ける。
わかったわ、セラフィーナ。
全部教えて。
生き方を。
この異世界での、呼吸の仕方を。
あなただけが、あたしの道しるべ。
――あのときは、そう思ってた。
あたしは息を吸いこむ。
そして、口を開こうとした、そのとき。
「――そこにあられるのは、皇太子妃セラフィーナさまではありませんか」
深い美声がしっとりと響いて、あたしは驚いて隣を見た。
ランドウだ。今のは、間違いなくランドウ。
彼は一歩、二歩と前に出ると、それこそ完璧な執事みたいにセラフィーナに一礼する。
その所作は、優美、優雅、とにかく完璧。
さすがのセラフィーナも、ランドウの紳士っぷりに驚いたのだろう。
彼の動作ひとつひとつから目を放せずに、ぼうっとしているようだった。
「ええ……そう。そうです。ちょうどアライアスさまと共に、あちらの山の別邸に来ておりましたから……祭りがあると聞いて、戯れに訪れたのですわ」
ぎこちなく答えながら、扇子の影でちょっと顔を赤らめている。
あたしは地味にむっとした。アライアスをあたしから取っておきながら、ランドウにまでぽっとするのは、どうなんだろう。
あたしはそわそわとランドウを見守る。
ランドウは礼儀正しく胸に手を当ててセラフィーナを見つめていた。
そして、言う。
「……いや、違うな」
「あら……? 何がかしら?」
セラフィーナは優雅に問い返そうとしたが、なんとなく態度にうろたえが出てしまっている。ランドウはそんなセラフィーナをまっすぐに見つめつつ、もう一歩前に出た。
「皇宮でのあなたを知っている。あなたは常にほどよい香水しかつけていなかった。だが、今日は明らかにつけすぎている」
「言われてみれば……あと、いつもと匂いも違う?」
あたしは首をかしげ、セラフィーナは軽く目を瞠る。
ランドウは続けた。
「匂いが違うのは、他の臭いが混じっているせいだ。こちらの臭いを消すために、普段の香水を多めにつけたのか」
「……不躾ですわね。そんなことをわざわざ口に出すなんて。従僕としては完璧な振る舞いかと思いましたけれど、逆ですわね。さすがは魔族ですわ」
セラフィーナは清らかな笑みを浮かべて、ランドウに流し目を送りながら言う。
「さ、い、て、い」
勝ち誇ったような顔。
あたしは、ついに、カッときた。
あたしになら、何を言ってもいい。
実際あたしは最低だった。こんな子に従ったんだもの、最低だ。
でも、ランドウは違う!
「……っ!」
ほとんど意識せず、あたしはセラフィーナに駆け寄り手を振りかざす。
けれど、その手を振り下ろす前に、ぱっとランドウが手を掴んだ。
「ランドウ……放して!」
あたしは必死に訴えたけど、ランドウはそのまま動かない。
「やめておけ。こんな女に触れるな」
「こんな女ですって? 言うに事欠いて、罵詈雑言でも口に出されるのかしら。いいですわよ、下賎の者の口の悪さは存じ上げております。あなたたち、お似合いですわよ」
くすくすと笑うセラフィーナに、ランドウは静かに告げた。
「お前からは、腐ったアライアスの臭いがする」
「…………」
セラフィーナが、黙る。
あたしは、思わずぽかんと口を開けてしまった。
「く、くさった……って、え、あ、それって……」
「ついに第一皇子を殺したか。おそらくは酔狂伯邸での一件から、第一皇子を支持する貴族が激減したのだろう。お前は利用価値がなくなったものを長く生かしてはおかないだろうと思っていた」
ランドウの言葉に、セラフィーナは反応しない。
人形に変わってしまったかのように、静かだ。
もしもランドウの言葉が的外れなら……こんな反応には、ならない。
「え……ほ、ほんとに……? マジで、死んじゃったの? アライアス……」
あたしは、自分でも意外なほど動揺していた。
アライアスなんか、好きじゃなかった。
好きじゃなかったけど、キライっていうほどでもなかった。
ほとんどの人間が、そうだ。
好きっていうほどじゃないけど、キライっていうほどでもない。
そういう大勢の人間に、死んでほしいなんて思わない。
大勢の人間には、なんとなく生きていてほしい。
なんとなく幸せで、なんとなく頑張っていて。
そういうひとが一杯いればいるほど、あたしも頑張れる、気がする。
なのに……アライアスは、もう、いないのだ。
セラフィーナに、殺されて。




