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【25】先代魔王と吸血鬼の長の昔の話

 わたしの名前はリエト・エリュトロス。吸血鬼だ。


 吸血鬼の一族は魔族の中でも寿命が長く、そのぶん魔界で権力をほしいままにしてきた。ただしいつでも表向きはナンバー・ツー。魔王にはならない。それが一族通じての暗黙の了解だった。


『なぜだと思う? 魔王よ。どうしてわたしたちって、魔王になれないんだろう?』


 わたしの問いに、ランドウの先代魔王にあたる男、ギョウコウは答えた。


『お前たち吸血鬼が気まぐれで、野放図で、移り気だからであろうよ、リエト』


『それはそうかもしれないなあ。魔王一族は堅い。堅すぎるくらい堅い。だからこそ人間界と魔界の戦争を仕切れるんだろうが、わたしにはアレのよさがぜーーーんぜんわからない! あんなの遠足の引率じゃないか』


 わたしは愚痴を言いつつ、尻に敷いたギョウコウに語りかける。


『なあ、ギョウコウ? お前も実はいやだったんじゃないのか? 戦争』


 ギョウコウは喉の奥でゴロゴロとうなるような声を出した。


 ギョウコウはそびえ立つような巨大な魔族だ。わたしの二倍ほどの背丈があり、頑強な体は岩のよう。魔界と人間界の技術の粋を集めて作った全身鎧をまとった様は、まさに動く要塞といった感じ。


 ギョウコウは強かった。長大な剣を振り回せば人間の城の壁など簡単に粉砕されるし、踏みつけるだけで雑魚敵は死んでいく。その姿を見るだけで人はおののく。戦争の旗印にはぴったりだ。


 なのに、ギョウコウは最近戦争をしない。

 ぴたりと、人間界を攻めなくなった。


『お前が戦争をしなくても、わたしはお前のことが好きだよ。だって、こうしてわたしとは戦ってくれるから』


 わたしは少し優しく言い、血まみれのギョウコウの体をぽんぽんと叩く。

 わたしの奇襲から始まった三日間の決闘の末、ギョウコウは魔界の谷底に血まみれで倒れ伏した。私もまた、血に濡れながら横たわる彼に座っている。


『お互い魔力も体力もほぼ使い果たしたけど、まあ、わたしの勝ちだろうね、これは』


 そう言うと、わたしの唇は勝手に微笑む。

 嬉しかったのだ。わたしがギョウコウに勝利したのは、初めてだったから。


 生まれてからこの方、わたしはギョウコウ以外に負けたことはなかった。人間などは弱すぎて弱すぎて、もはやいじめるのも可哀想な存在だ。痛めつければつけるほどにむなしさが増してくる。だから戦争には参加しない。


 ギョウコウとの戦いは違った。ギョウコウに挑めばわたしはいつでも返り討ちにされ、腹の底から屈辱に塗れた怒りが湧いてくる。マグマのような怒りは、わたしの生きる活力そのものだ。怒りはわたしを生き返らせる。何度も、何度でも。


『嬉しいな……お前に勝った。やっと、お前に勝てた。嬉しい。そうだ、これは嬉しいという感情だ。嬉しい。嬉しいという感情を思い出せて、わたしはとても嬉しいよ、ギョウコウ』


 わたしはうきうきと言い、空を見上げる。ギョウコウがいるから谷から見上げる魔界の空は酷く生々しく赤く見えた。まるでぱっくり開いた致命傷みたいだ。


『俺を殺していけ、リエト』


 地を揺るがす声でギョウコウが言う。わたしは少し驚いて言い返した。


『そんなことはしない。殺したら、もうわたしと戦ってくれないんだろ? そんなの全然つまらない』


『そうか。ならば俺はここで野垂れ死ぬ』


『はあ? 寝ぼけるな。多少時間はかかっても、治癒魔法を使えばいいだろうが』


 わたしはイライラと言い、地面に飛び下りる。そうして兜の奥のギョウコウの顔をのぞきこむ。そして、ぎょっとした。


 なぜなら、ギョウコウの顔は、美しかったから。


 ギョウコウはそもそも美しい魔族ではない。威厳はあるが、何もかもが魔界の岩山のようで険しく猛々しい。美しさでいったら確実にリエトのほうが上だ。なのに、今のギョウコウの顔は美しい。皺は少なく、瞳は澄み、どこか遠くを見つめている。


 あらゆる感情や欲のない、すっきりした顔で、ギョウコウは言う。


『俺にもうその力は無い』


『…………』


 わたしはギョウコウの兜を両手で掴むと、渾身の力でねじった。

 全身に巡らせた魔力の補助もあって、吸血鬼の怪力はギョウコウの首をぶちりとねじ切る。ちぎれた首を目の前に持ち上げ、わたしはまじまじとギョウコウの顔を見つめた。ここまでやっても、普段のギョウコウならば復活が可能なはずだ。


 だからわたしは、祈るように彼を見た。

 見つめて、待った。

 待ったが、彼が再生する気配は少しもなかった。


『なぜ』


 ぽつり、と言う。


 なぜ。なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだ? なぜ?


 ギョウコウは強いはずだ。わたしと互角に戦え、その気になればわたしと同じくらい長く生きられるほどに強いはずだ。だから死ぬのだとしたら、それは、ギョウコウの意思だ。


『お前が死ぬということは、お前が死にたいと思ったってことか? もう死ぬと決めたのか? なぜ? なんで死にたいと思った? もう、わたしとは戦いたくないということなのか?』


 わたしは首に対してまくしたてる。

 ギョウコウの真っ白になったまぶたが、最後の力でうっすらと開かれる。

 そうして彼は囁く。


『俺はもう、次代魔王を作り、力を与えてしまったからな』


『はあ……? 次代を、作った……?』


『人の女と作った子に、俺の魔力を注いで命を繋いでやった。今の俺は絞りかすだ。だが、それでいい』


 わたしは愕然として目を瞠る。それでいいわけがあるか。

 魔族は長命なのだ。次代なんか育てなければ、永遠に近い時を生きられる。わたしはぽかんと口を開けたあと、食らいつくように叫んだ。


『わたしはよくない!! わたしはよくないぞ。全然よくない。なんでそんなものを作った、わたしはお前でいいのに!! しかもどうして人間なんだ? 確かに小さくて可愛いけれど、遊んで捨てればいいだけだろうが! どうしてだ、なぜだ、せめてわたしにわかるように言え、ギョウコウ!!』


『お前にわかるように、か。そうだな……』


 ギョウコウはのろのろと言い、険しい口元を少しばかり緩める。


『恋をすればわかる』


 途方もなく柔らかに言って、ギョウコウの頭は一気に灰に変わった。

 魔界の風が吹き、かつてギョウコウはあっという間に全て散っていってしまう。


 それが、大変哀れな先代魔王ギョウコウの最期。

 そして、もっともっと哀れなわたしの昔話だ。


 あれから約200年。

 わたしは、お前の息子と対峙している。

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