【24】魔界に帰って早々、血なまぐさいのはごめんです……!
「おかえりなさい、魔王様!! って……なんだ、この空気」
魔王城の屋上で落っこちてくるあたしたちを迎えたヒビキは、思い切り変な顔をした。
多分、にっこにこのあたしと、ものすごく深くうつむいたままのランドウと、真っ青でうろたえているマリカがアンバランスだったからだろう。
だけどあたしはそんなことは気にしない。
なぜなら、機嫌がいいので!!
「ヒビキ~~~、ただいまっ」
あたしは笑顔で挨拶すると、ヒビキの少年っぽいほっぺたをつつき、頭を思いっきりなでなでし、回りをぐるぐるしながら話しかけた。
「今日のヒビキってばちょーかわだねえ、ほっぺも頭のまるみもサイコーだねえ、いつも激カワだけど、今日はさらに万倍のカワ~~!!」
「貴様、気軽に魔族を可愛いとか言いやがって……! 今すぐ『かっこいい』に訂正しないと、かるーく一、二回殺害するぞ?」
「そんなこと言っちゃって~~! 見えない尻尾ブンブンじゃん。カワイカッコイイヒビキくん~!」
あたしはそのまま、ヒビキをぎゅっと抱きしめる。ヒビキはさすがに困惑顔で固まり、ランドウに視線で救いを求めた。
「魔王様! 一体どうしたんです、この花嫁は。ヤバい瘴気でも吸いました? って……魔王様……!! すっごい、すっごい猛烈に苛烈でさいこーーーーーの殺気出てるっ!! かっこいいたまらん好き……っ」
「いやいやいやいや……ヒビキさん、喜んでる場合じゃないですって。ここはすぐにディアさまを振り払うべきとこですぅ。ディアさまも、ヒビキさんを放してあげてください……」
マリカが途方に暮れた顔で口を挟んだので、さすがのあたしもちょっと我に返った。
このままじゃ、ランドウが嫉妬パワーでかわいいヒビキを葬ってしまう。
あたしは、こほん、と咳払いをしてヒビキを放し、おどろおどろしい殺気を出しているランドウと腕を組んだ。そして、思い切りギャルなピースをする。
「ごめんごめん。ってことで、あたしたち、結婚しました♥」
「いや、結婚はとっくにしてるだろうがッ!!」
ヒビキの容赦ないツッコミが気持ちいい。
ランドウは相変わらず無言だけど、あたしはランドウにしがみついたまま、うふふと笑う。
「してるんだけど~、人間界デートして、こう、愛を確かめ合った的な?」
「あー! つまり、やっと組んずほぐれつしたってことか?」
「それはまだ♥ その話するとランドウの殺気がマジやばまるになるから、控えよう?」
「そうですよ~~、魔王さま、キスしただけで自分の感情処理しきれなくなってこうなってますから……」
マリカが言うと、ランドウから出てくる瘴気にも似た陰気はさらに増えた。
あたしもさすがにちょっとヤバいな……と感じ、もう少し真面目に人間界であったことを伝えようとする。
「キスのことは、まー、置いとくとして……。ランドウ、あたしの元婚約者から、あたしたちのこと助けてくれたんだ。元婚約者ってば魔界のネガキャンもやってて、鬼ヤバで。あたし、しみじみランドウが好きだなって思って。ランドウもあたしに側に居てほしいって言ってくれたから、こう~~ね? つまり、結婚!! なわけ」
あたしが真顔で両手でハートを作って見せると、ヒビキは意外と難しい顔をした。
「なるほど。二人とも覚悟が決まった、ということか。だとしたら、間が悪かったな」
「間? なんの間?」
不思議に思ってあたしが聞くと、のっそりとランドウが顔を上げる。彼はじっとヒビキを見つめ、喉の奥からうなりが交じった声を出した。
「ヒビキ。それは、誰の血だ」
「血? え? どこ?」
ランドウの言葉に、あたしはきょろきょろしてしまう。魔王城の屋上は真っ黒な石で出来た殺風景な場所で、いくつかの塔屋があるのと、ヒビキとあたしたちが立っている以外はなにもない。
ランドウの見間違いか、何かのたとえ話かな……と思ったとき。
ヒビキが静かに膝を折った。
「……陛下。申し訳ございません。お留守を守ることができませんでした」
「へ? え? なに……」
うろたえるあたしの目の前で、ヒビキの軍服にじわりと血がにじんでいく。血はあっという間に軍服をぐっしょり濡らすと、彼の足下に血の溜まりを作り始める。人間なら即死量の血をこぼしながら、ヒビキは笑う。
「せめて、ご報告をする間は、傷をふさいでおこうと……思った、の、ですが……」
そこまで言ったところで、ヒビキの顔は自分が作った血だまりに叩きこまれた。びしゃっと血が跳ねるのが、妙にゆっくりと見える。
何が、起こったんだろう。
あたしはなぜか、ぼんやりとしている。
ヒビキの後頭部を、ヒールの高いブーツが踏みにじっている。空気からにじみ出るようにして出現した美しい男性が、ヒビキを足蹴にしている。深い赤色の軍服をうるわしく着崩した、銀色の巻き毛の男。
彼は銀色のまつげの下に輝く金の瞳で、ランドウだけを見つめているようだった。
彼は囁く。
「久しぶりだね、可愛くてか弱くて、ちいちゃくて愚かなできそこないの魔族。唯一無二のランドウ」
銀で出来たハープをかき鳴らすような、美しい声だった。
対するランドウは、大きな弦楽器の弓を引き絞るように低い声を出した。
「魔界侯爵にして吸血鬼の長、リエト。俺の部下から足をどけろ」
「いいよ」
リエト、と呼ばれた魔族は、あっさりと答える。そして実際、ヒビキから足をどけた。あたしはほんの少しだけほっとしたけど、すぐにヒビキに駆け寄りたくてたまらなくなる。きっとそんなことをしたら危ない。わかっているけど、じっとしているのがつらい。
あたしは何度も拳を握り、緩めて、自分を抑える。
リエトは、不意にそんなあたしを見つめた。その瞬間、リエトの目が視界いっぱいに広がったような気分になる。あたしはぎょっとして体を硬くした。
何? これ。なんなの。
リエトの目以外、何も見えない。視線をそらそうとしても、できない。どういうことなのか、わからない。こわい。こわいけれど、こわいだけじゃない。目から糖蜜を注がれているみたいな甘さを感じる。
それが、なおさら、こわい――。
「ディアネット……!!」
「っ……!」
ランドウの鋭い声とほとんど同時に、指が痺れるみたいに痛くなった。とっさにその痛みに集中すると、体が少しずつ動くようになってくる。そうなって初めて、今まで金縛りに遭ってたんだ、とわかった。どっと全身から汗が噴き出す。
荒い息を吐くあたしの肩を、ランドウが強く抱いてくれる。
ほっとする間もなく、リエトはあたしを指さして言った。
「わたしが欲しいのは、お前の花嫁だよ。わたしの、小さなランドウよ」




