【23】最弱魔法で人間界脱出
「行け、捕らえろ!!」
皇子の命令に従って、魔法兵たちが杖を構える。あたしたちを制圧するために魔法を使おうと言うのだ。
あたしは反射的に首を縮める。
魔法兵たちは容赦なく杖で空中に圧縮魔法陣を――描けなかった。
「うわっ!」
「げっ!」
「なんだ!?」
短い悲鳴が連続し、魔法兵たちが一斉に、ばたーん!! と倒れる。
「へ、え? なに?」
何があったんだろう? ずらりと並んだ魔法兵たちがばたばたと倒れていく。ぱっと見は無傷そうだし、呪縛がかかっているわけでもない。みんな急いで立ち上がろうとする――けれど、また、ばたーん!! と倒れる。
これは一体……と見上げると、ランドウが杖を前に差し出していた。
その杖の先には、超単純な魔法文字が浮いている。
なんの魔法? と問う前に、ランドウはあたしを抱いたまま走り出した。
「マリカ、ついてこい!」
「は、はひっ!!」
マリカも叫び、スカートをまくりあげてついてくる。
アライアスはあたしたちを見て、慌てて叫んだ。
「おい、不敬罪の奴らが逃げるぞ!! なんで捕まえない!?」
「す、すみませんっ、あの、あいつの魔法が……!」
「なんだ!? あの、いかにも低級そうな奴の魔法に負けてるのか、貴様らは!!」
アライアスの叫びに、魔法兵が青筋を立てて叫び返す。
「負けてはいません!!!! あいつが繰り出しているのは、ただの最弱魔法! 動物を罠にかけるだけの原始的な『スネア』です!!」
「はあ!? ならばなおさら、なんでそんなもんでやられている!?」
「速すぎるし、正確すぎるんです……最弱魔法をここまで極めるバカなんか普通いませんよ!! どうしているんだよ!! 信じられない!!!!」
「お、怒るなよ!! お前も不敬罪だぞ!?」
最終的には魔法兵がキレ、アライアスはたじたじになっている。
その間にも、ランドウは最弱魔法であらゆる敵を排除していく。あたしは大真面目に魔法を繰り出しながら逃げるランドウに抱かれつつ、目をみはっていた。
すごい。すごい。なんだろう、ほんとうに、すごい。
だって、すっごく、ランドウっぽい。
あたしが大好きになった、ランドウっぽい!
ランドウはすごい。ランドウは真面目だ。ランドウは賢い。ランドウは努力ができる。小さなことを馬鹿にしない。そして、そんなランドウの美徳は、派手な魔法だって退けられる。
ランドウの小さな魔法は、飛びかかってこようとする奴の足下をすくい、そいつが転び、転んだ魔法兵の体に他の客がつっかかり、さらに椅子が倒れ、積み重なって……ホールはそんな障害物でいっぱいになり、あたしたちは障害物の間をすり抜けて、酔狂伯の館を飛び出した。
「敷地を出次第、魔界から来たとき使った門を開く!!」
「り、了解ですぅ~~!!」
ランドウが叫び、マリカが応じる。
大きな庭を駆け抜ける間は、誰の邪魔も入らなかった。なんでか、空気にも守られている感じがした。
あたしたちは無傷で門から出る。途端に足下が真っ黒な闇になり、浮遊感に襲われる。処刑塔から落ちた、あのときと、同じ――。
そう思うと、ひやり、とお腹の底が冷たくなる。
ほとんど同時に、ランドウがあたしを強く抱き寄せた。
どきっとしてランドウの顔を見る。びん底眼鏡の向こうに、静かな紫色の瞳がある。どこか心配そうな瞳。
「ランドウ……?」
「乱暴な帰還になって、すまない。処刑塔を思い出させてしまうな」
「え。心配してくれてる?」
びっくりしつつ感動していると、ランドウはあたしの後頭部を押さえて、あたしの顔を自分の胸に押しつけた。ちょっと強引に視界を奪われて、あたしは目を丸くする。
「心配くらいする」
ぼそり、というつぶやき。
かみしめるようなそれが、胸に刺さる。
つんと痛くて、いたたまれなくて、なんだか、不思議とどきどきする。
ランドウは、なおも囁く。
「心配だ。君が苦しむのが。君が、悲しむのも」
「やさし……」
「俺は優しくはない!!」
急に叫ばれて、あたしはびくりとして、硬くなった。
「ど、どしたの……ランドウ……」
ランドウを呼んだ声は、少し震えていたかもしれない。
多分あたし、ランドウに怒鳴られたのは初めてなんだ。だから、怖かった。あたしが知っているランドウはとにかく優しくて、紳士で、真面目で、素敵なひとだから。
だから、彼が怒鳴られるあたしはどんな酷いことをしちゃったんだろう? って、思った。
あたしがガチガチに固まっていると、ランドウは喉の奥で少しだけうなる。
「……俺は、優しくない。全然、優しくない。これは、欲だ。自分勝手な、欲だ。君にあらゆる不幸から、無縁でいてほしい。笑っていてほしい。幸せでいてほしい。そういう、欲だ……」
「ランドウ……」
あたしが言おうとした言葉を珍しくさえぎり、ランドウは続けた。
「俺は今、君を二度と人間界に戻したくないと思っている」
「へ…………?」
あたしはヘンテコな声を出し、懸命にランドウの顔を見ようとした。ランドウの腕も少しゆるみ、あたしとランドウの視線が絡む。
ランドウは、苦しそうだった。
本当に苦しそうに、顔をゆがめて言う。
「……俺は、わかった。あんな愚物がいる世界で、見世物になる君を、見たくない」
吐き出された言葉は、そんなもので。
愚物って、きっと、アライアスのことだろう。
見世物っていうのは……あたしとマリカのダンスのことかな。
あたしはしばらく言葉を失った。あたしたちは無言のまま、闇の中を落ちていく。どんどん落ちていく感覚は、確かに処刑塔からの落下を思い出させた。
マリカもおっこちながら、心配そうにこっちを見ているのがわかる。
それに気付いたってことは、あたしも段々落ち着いてきたってことだ。
そう思って、あたしは息を吸い――吐いた。
で。
「いーんだよ」
と、言った。
「……は……?」
ランドウが困ったような、泣きそうな顔で答える。
あたしはそんなランドウをめちゃくちゃ可愛いと思ったし、めちゃくちゃ可哀想だから、めちゃくちゃ笑顔にしてあげたいな、と思った。
あたしはできるかぎりの笑顔を作って、ランドウを見つめる。
「人間界に行きたい! とか、あたしのわがまま、聞いてくれてありがと。でも、いーんだよ。ランドウがほんとにあたしを人間界出禁にしたいなら、それでいーの。あたし、一生ランドウの横にいる」
「……い、いいのか? 本当に? いや、しかし、それは、あんまりにも……」
「だって、その出禁、愛ゆえでしょ?」
あたしが問うと、ランドウはびしっと固まる。
しばらくそのままだったけど、段々と眼鏡の向こうの顔が赤くなるのがわかった。
やっぱりランドウは可愛い。格好いいけど、すっごく可愛い。たまんない。
ランドウは真っ赤なままうつむいて、うめくように言う。
「それは……そう、だが」
「だったらあたし、ちょー嬉しい!! らぶだよ、ランドウ」
あたしは言って、にまにまと笑ってしまった。もっとカッコかわいい顔をしたかったけど、ラブが口からこぼれて顔全体に広がっちゃったみたいだ。
すきだよ。すき、すき。だいすき。
地味なとこも、派手なとこも、真面目なとこも、可愛いとこも、結構獰猛でつよいとこも、かなり愛せる。淡泊に見えて、結構独占欲出してくれるとこも、だいすき!!
あたしは両手を伸ばして、ランドウの眼鏡を取る。魔力が解放されて、ぶわっと髪が伸び、黒い羽根がローブをかきわけて生えてくる。彼はみるみる美しい魔族に変わっていくのに、顔が真っ赤なのは変わらない。
表情を選びかねて困り顔の彼に、あたしは言う。
「あたし、あなたと落っこちるのは怖くない。処刑塔から逃げたことも、トラウマってなんかないよ。てゆーか、ちょい、期待しちゃうかも」
「期待……何をだ?」
困り顔のまま聞かれて、あたしはこそばゆくなってしまった。
あはは、と笑い転げながら、あたしは容赦なく告げる。
「キスして、って言ってるの! あのときみたいに!」
「………………」
ランドウは薄く唇を開き、むっとして唇を閉じて、そして――。
結構急に、あたしたちの唇は、重なった。




