【22】本当にそのひとに喧嘩を売ってもいいんです?
緊迫した雰囲気の中、なぜか手を挙げたランドウ。
一体どうしたっていうんだろう。あたしは息を呑んで見守った。
……が、いかんせん、人間界モードのランドウは存在感がない。
「では、我々人間が、けして魔族たちに屈しないという宣言のためにも、そこの魔族をぎったぎったに……」
アライアスはさっさと魔族ネガティブキャンペーンを進めようとする。
あたしは思わず叫んでしまった。
「ちょ、ま!! ここ!! 挙手!! 手、挙げてるから~~!!」
「挙手? というか今の声、誰だ? 聞き覚えがあるような……」
アライアスはあたしの姿を探し、きょろきょろと辺りを見渡した。あたしは慌てて脱ぎ捨てたマントを拾い、頭からかぶり直す。アライアスはあたしのほうを見て目を細めていたけど、ぎりぎりあたしじゃなくてランドウの挙手に気付いてくれた。
「貴殿か。何か意見でもあるのか?」
アライアスは案外素直にランドウへ問いを投げる。周囲の魔法兵団は「うわあ」「質問なんか受けるなよ」って顔をしている気がするけど、アライアスは周囲の空気は読めないし、目下の指図も受けない男だ。
そして、ランドウは――どうするんだろう?
まさか、派手な魔法を使って暴れたりはしないと思うけど……わからない。ここでアライアス皇子を殺して魔界に帰れば、帝国は混乱するだろう。しばらく戦争は避けられるかも。もし、ランドウがそんなふうに考えたら……。
あたしはおそるおそるランドウの顔を見上げた。
ランドウはびん底眼鏡の底からアライアスを見て、そして、言った。
「大天使神聖魔法典第三部五十六章についてご存じでしょうか?」
「はあ? 知らんわ、そんなもの。第三部五十四章とか、完全に図書館の隅で埃かぶってるやつだろ」
ふん、と鼻を鳴らしながら答えるアライアス。
その瞬間、ランドウのびん底眼鏡がきらりと光った。彼は眼鏡をわずかにずらしながら、一気にまくしたてる。
「五十六章です。そこに書かれているのは魔界との戦いを圧倒的有利に収め、和平を実現した勇者たちとその子孫の権利について書かれております。すなわち……彼らが与えられた土地や財産を侵すことは、何人たりとも許されない」
はきはききびきびした、異常な早口。
すなわちオタク喋り。
それを聞いて、あたしはやっと理解した。
ランドウは、アライアスと戦う気なのだ。
魔族としてではなく、人間の、三流魔道士として!
もちろん、ランドウがランドウだとバレないように、最低限の魔法は使っていると思う。でも、彼は人間として勉強して魔道士となり、宮廷に仕えた間に得た知識で戦おうとしている。
そんなことは何もわからないアライアスは、いかにもうっとうしそうな顔をした。
「だからどうした。もちろん勇者一族のことは大事にしてる。途絶えた家の跡は公園にして石碑を建てたりだな……」
「公園利用は勇者の遺言に従ったからこそのギリギリの運用です。が! 酔狂伯の子孫はご健在。と、いうことは?」
「ということは? ってなんだ。酔狂伯への挨拶なら後でする。今は緊急時だぞ、緊急時!!」
イライラとアライアスが言った瞬間。
ホールは、しん……と静まり返った。
「ん? なんだ?」
さすがに異常を察したんだろう。アライアスが、周囲をきょろついた。魔法兵団は「うわあ」って顔でアライアスを見つめ返すか、恥ずかしさやいたたまれなさでうつむいているし、ホールの貴族たちは結構表情が険しい。
「ど、どういうことなんです、ディア様……?」
びくびくしながら聞いてくるマリカに、あたしはこそこそと耳打ちした。
「つまり、ここは皇子でも許可を取らないと入っちゃいけない土地なの。なのにアライアス、自分が不法侵入してるってこと、ゲロっちゃってる」
「はわぁ……アホなんですか?」
「そだね……思ってたよりだいぶ、アホだったかもね」
あたしは呆れてつぶやいたけど、貴族たちは呆れるだけじゃ済まされない。真っ白な髪をきれいな巻き毛にした仮面の老貴族が、何歩か前に出る。
「……殿下。魔族の襲撃に即応してくださるのは、我々にとっては実に安心できることです。が、酔狂伯の許可もなく、それだけの兵力を連れて押し入ってこられるというのは、控えめに言っても違法行為ではありませんか?」
「違法行為だと……? 実際に魔族の狼藉で被害が出ているのに!? どの口で言っておるのだ、貴様ぁ!!」
アライアスは顔を真っ赤にして叫んだ。この調子だと、相手が誰かもわかってないんだろう。周囲の魔法兵は、もう完全に視線を逸らしている。
ちなみに、あたしにはわかった。社交界で出会う相手の顔を覚えるのは、基本の基本だったから。仮面の老人は伝説の勇者の戦士の家系の傍流、イブニングホーク男爵家の当主様だ。今は戦士の家系はイブニングホーク男爵家しか残ってないから、地位は低くてもみんなが一目置く血筋のはずなのに……。
「どの口かと問われれば、イブニングホーク男爵家当主の口、とお返しするしかありませんが……?」
案の定、男爵は青筋を立てて答える。周囲の空気はすっかりと冷め、ざわつき始めた。イヤな視線が集まるのを感じ取ったのだろう、アライアスが慌て始める。
「あー……イブニングホークか。なるほど……いや、しかしだな、所詮男爵がわたしの邪魔をするとはどういうことだ? 貴様は、魔族が怖くないとでもいうのか!?」
「魔族の怖さでしたら、殿下よりは少々存じておりますなあ」
「うっ……そ、それは、まあ、そうかもしれんが……」
なんでそこで引くんだよ。
あたしはすっきりするような、いたたまれないような、なんともいえない気分になった。
アライアス、ほんとダメ。いきるなら、いっそいきり倒せばいいのに。それもできないくらい、ダメな奴。
冷める空気の中、ランドウが淡々と続ける。
「――そもそも、本当に魔族の被害など出ているでしょうか? 会場内に誰か、怪我をした方はいらっしゃいますか?」
ランドウの声には、人々を落ち着かせる効果がある気がする。彼の言葉を受けて、みんなは自分の姿を見下ろし、隣のひとを確かめはじめた。
「そういえば、別に……?」
「ちょっとした喧嘩レベルの話だったな」
「そのわりには、殿下が来るのが早かった…… 」
「ええい、やめろやめろやめろ!! とにかく、魔族をひっ捕まえて帰ればいいんだろうが!! いいか、今日わたしに文句をつけた奴、全員顔と名前を覚えたからな!!」
アライアスはめちゃめちゃ必死に叫ぶけど……。
「イブニングホーク男爵の顔と名前も覚えられないんじゃ、無理ぽ」
あたしはぽつりとつぶやいた。
そんなあたしの腰を、ランドウが再び抱き寄せる。ふわりと体温が近くなり、あたしはとっさに身を縮めた。
「ど、どどどどうしたの?」
「メンツを潰された皇子は報復に出る。逃げるぞ、ディア」
耳元で囁かれたのは、そんなことで。
あたしがびっくりして目を瞠ったのとほとんど同時に、アライアスが叫ぶ。
「魔族を捕らえよ! それと、そこの! 貴族でもなさそうなのに喧嘩を売ってきた三流魔道士も、不敬罪で逮捕だ、逮捕!」
びしい、と指さされたのは、もちろんランドウだった。
「うわああ……男爵には手を出せないからって、こっち!?」
「どどどどどうしますぅ!?」
「下がれ、二人とも」
おびえるあたしとマリカを背後にかばい、ランドウは懐から魔法の杖を出す。そうして、びん底眼鏡をかけ直した。
「抵抗しながら、逃げる。あくまで、人間として」




