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【19】『可愛い』は褒めの最上級だから

 ダンスはひとりじゃ踊れない。

 特にこっちの世界の社交界ダンスは、男女ペアで踊るのが基本だ。ひとりで踊るのは、色っぽいお店のおにーさんおねーさんのみ、って感じ。


 そんな世界に飛びこんだあたしとマリカは、辺りをざわつかせた。

 仮面の後ろに品のいい顔をおしこめた紳士、淑女が、眉間に皺を寄せてあたしたちを見る。


「どういうことですの?」


「誰かが商売女を連れこんだんじゃないのか? きっと余興だよ」


「それにしたって、品のない……」


 いかにもイヤそうな視線が集まってきた。こういうとき一番イヤなのは、批判的な視線よりも下世話な視線だな、とあたしは思う。勝手にあたしがどんな人間か決めつけて、勝手にしょうもないことを期待して、期待を裏切るとめちゃくちゃ怒る。


 空気を読んじゃうあたしは、こういう視線を向けられると一応一度は考えるんだ。


 ご期待通り、お色気振りまかなきゃいけないのかな、とか。

 愛想よくしなきゃならないのかな、とか。


「ど、どどどどどうしたらいいんでしょう、これ!? 何かこう、えっちな踊りとかしたら、私たちのこと、好きになってくれますかね……!?」


 案の定、マリカは周囲の視線に圧倒されていた。

 あたしは慌てる彼女の手をぎゅっと握り、首を横に振る。


「やめとこ。言いなりになったら、便利に使われてポイされるだけだよ」


「ぽ、ポイ……ポイはイヤですぅ……」


 涙目になるマリカが、かわいくてかわいそうだ。あたしはすっかり年下の女の子を相手にしている気分になって、真剣にマリカの手を取った。


「ポイしないし、させないよ。ついてきて」


「どこかへいくんです? ふ? ふええええ……!?」


 慌てるマリカとしっかり両手を握りあい、あたしはステップを踏んだ。なんの? って、もちろん社交ダンスのステップに決まってる。こっちの世界の公爵令嬢として叩きこまれたダンスのステップは、まだこの体にはっきりと残っている。


 進んで、引いて、回転して、軽やかに跳ぶ!


「まさか……女同士で!?」


「ふむふむ、こうやって人目を惹いて、次はお色気が……?」


 男女でやるのが普通のダンスを、女二人で踊る。これだけでホールは騒然だ。こんなのは雑音と思っとかなきゃ何もできない。


「ディアさ……お嬢さま、早すぎますぅ!! 私、ダンスなんか見たことしか……」


 あわあわと言うマリカに、あたしはばちんとウィンクをした。


「ちゃんとついてきてるじゃん! このまんまでいい。雑音、黙らせよ!」


「え、ええええええ!?」


 引きつるマリカを引っ張って、あたしは全力で踊った。


 ――どれだけ重いスカートとハイヒールが動きにくくても、そんなものを感じさせたほうが負けですわ、ディアネット様。


 こういうときに思い出すのは、セラフィーナなんだよね。

 セラフィーナのスパルタ教育のおかげで、今、あたしはこうして踊れる。あなたにも正しいところはたくさんあったんだろうな。踊りはあたしたち社交界の女の、数少ない武器のひとつだよね。武器は磨いて、ぴかぴかにしておかなくちゃ。


「……いや、商売女ではないな。あんな身のこなし、よほど育ちがよくなければ無理だ」


「あんまりにも優美ですわ……ずっとここで見ていたい」


 聞こえてくる雑音は段々と真面目になってきて、次にうっとりし始めた。

 そうそう、いい感じ。そうやってあたしたちを見ていてよ。あたしたちの言うことを、あたしたちのすることを、受け入れたいような気持ちになって。


 そのためなら、あたしは頑張ってあんたたちに夢をみせる。

 あたしたちの着るものに重さはない。

 あたしたちの体に体重はない。

 つらさなんかない。

 喜びしかない。ここが天国!


 そう見せられたなら、あたしたちの勝ち!


 盛り上がりきった管弦楽が、長い一曲を弾き終える。

 あたしはぴたりと動きを止め、マリカもぎりぎりで動きを止めた。

 みんながあたしたちを見ているのがわかる。張り詰めた空気が、わずかに揺らぎかける。このあと、みんなはあたしたちに拍手をくれるだろう。


 でも、今欲しいのはそれじゃないんだよね。


「マリカ、脱ぐよ」


「……!! は、はひ!!」


 マリカの返事を待たずに、あたしは長いフード付きマントを脱ぎ捨てた。


「なっ……!?」


「う、嘘っ……!!」


 拍手しようとしていた紳士淑女が、ぽかんと口を開けて凍りつく。あたしは気にせず、ヒールで床を踏みしめた。


 あたしのドレスは、以前着ていたドレスの裏地部分、華麗なピンクの花柄が織り込まれたところを使ったミニマム丈。デコルテと足はがばっと目一杯見せつつ、それでいて全体ではロマンチックな雰囲気を残すようにマリカと一緒にがんばった。

 さらにその上には、魔界の蜘蛛の糸を織って作った透け透けオーバースカートを重ねている。オーバースカートには端切れで作った小花が、ぶわっ! と縫い付けられていて、朝靄のかかった春の田舎の川って感じだ。桜が軒並み花を落として、ぞろぞろっと川を流れてくる、ああいう、可愛くて、ちょっと切ないような雰囲気が出てるといいな。


「あ、足……足が……見えてる!! 破廉恥なっ……!!」


「破廉恥は破廉恥だが、美しい……お友達になりたい……」


「そうですね……何せダンスもすごかったし……ひょっとしたら、ものすごく身分のある方のお忍びかも……」


「それに、足が見えるか、見えないか、というこの塩梅、芸術的と言えないこともないような……?」


 ダンスで感心したあとだから、みんな結構ちゃんとあたしのドレスを見てくれてる。あたしのドレスはこの世界の常識外れだ。


 だけど、やっぱりかわいいでしょ?

 かわいいものは、かわいいんだ。それでいいんだよ、多分。


「わ、わた、私も……!!」


 辺りの空気が暖まったのを感じ取ったのか、マリカもたどたどしくマントを取る。

 その下から現れたのは、あたしと双子コーデに近いブラックドレスだ。ミニスカートの長さはあたしと同じくらいだけど、ブラック一色なぶん、あたしのドレスよりロマンチックなフレアスカートにした。デコルテは空いてるものの、首には黒いチョーカーを巻いて清楚さと首の細さを強調。


 そしてオーバースカートは、透け透けの黒い布を、猛烈な根性でもってこまかーーーーーく絞り、いちいちフリルをつけたマリカの力作!


 おお……と、どよめく人々。

 保守的なおばちゃんたちは引いてるけど、目を輝かせてる女子達もひとりやふたりじゃない。いいぞ、これは流行る。確実にいける。


 なのにマリカはおびえて硬くなったまま、下を見ている。

 それじゃ何にも見えないよ、と、あたしは苦笑してしまった。


「顔あげよーよ。だいじょうぶだよ、マリカ」


「で、でででででも、でもですね……」


「怖いんなら、手、つなご」


 あたしはマリカと手を繋ぎ、ついでに軽く踊り出した。さっきほど本気じゃないけど、周囲の人々はあたしたちに目を奪われている。ゆるいステップを踏むたびに、半透明のオーバースカートが複雑に揺れるのだ。こういうドレスは、動いたほうがさらにきれい。


 ほう……というため息の中で、あたしたちは踊った。

 マリカは信じられないような顔で辺りを見ている。


「みんな、私のこと、見てます……」


「うん。マリカかわいーからね」


「私が、かわいい……」


「そ。顔も可愛いし、ドレスは『美』! だし、器用だし、根性あるし、とにかく真面目。今思うと、ストーカーとか、真面目じゃないと無理みだもんね。今回はその真面目さがドレスになって、さらにサイコーかわいい!」


 あたしがニコニコと言うと、マリカは困ったようにちょっと笑った。


「それ、全部可愛い、なんですね……」


「あたしにとっては、そーだよ。いや?」


 さすがに語彙力ゼロだろうか。だけどあたしにとっては『可愛い』は褒めの最上級なんだ。カッコイイは強がった結果って感じがしなくもないけど、可愛いはもっと、本人も周りも幸せにできる……って感じがする。


 マリカにこの気持ち、通じたかなあ。

 あたしは、じーっとマリカの顔を見つめた。

 マリカもあたしを見つめ返して、なんだか、照れたように笑う。


「イヤ、じゃないです。あー……」


 マリカは踊る。さっきより軽やかにあたしのステップに追いすがりながら、周囲の人間達を眺める。マリカが大好きな人間たち。今までマリカを嫌ってきた人間たち。きれいに着飾っていて、高慢で、かわいいドレスが大好きな人間たち。


「あーーーー……やっぱり人間、さいこーーーーーーだなぁ…………」


 マリカの声は、なんだか、いい温泉に浸かったときみたいな感じだった。

 あたしもつられて笑顔になり、辺りを見渡す。踊りながら、ホールの隅のほうを見る。


 ランドウは今、どうしているだろう。あたしたちを見ててくれただろうか。

 このドレス、少しでもかわいいって思ってくれただろうか。

 このドレスであなたの横に立って、大丈夫だろうか。


 と、そこまで考えたとき。

 ふうっ……と、ホール内の明かりが、全部消えた。

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