【12】のんきな魔王城の、一歩外
「はぁぁぁぁぁぁぁ……野蛮だったなぁ、ディア様……」
「……お前はうっとりと何を言っているんだ」
魔王である俺は、少し顔をしかめて横を見る。
ディアとの食事を終えて、俺とヒビキは広大な魔王の私室に引っこんだ。
本当はもう少しディアと一緒にいたかったが、ディアに
『ごめんだけど、ドレスをちょいどーにかしたくて』
……と言われてしまっては仕方ない。
俺は骨で飾られた椅子に体を埋めて、酒瓶を抱えて円卓に突っ伏しているヒビキを眺める。
「ディアは人間だ。野蛮は褒め言葉じゃない」
「そりゃあそうかもしれませんが、俺にとっちゃこれ以上ない褒め言葉ですよ。こんな敵地であんなか弱い生き物、びくびくどきどきしてて当然なのに、見ました? あの蛮勇! ドレスでノコギリを振り回す乱暴!! くううううう……野蛮!!」
「…………」
「それにディア様、めちゃめちゃ目を見てくるんですよね」
「ああ」
言われてみれば、そうだ。ディアはまっすぐに俺たちの目を見る。
魔族があんな風に見つめ合ったら、あとは殺し合うだけだ。
でも、ディアはそんなことはしない。
ただただまっすぐに俺たちを見つめて……笑うのだ。
「あんなふうに見つめられて、にこってされると、胸がザワザワーーっとして、背筋がぞぞぞーーっとして、居ても立ってもいられねえんですよ!!」
「……それを、お前が言うな」
「ん? 魔王様も同じです?」
きょとんと見つめられ、俺はさりげなく視線を逸らす。
正直に言えば、同じだ。
何から何まで同じだ。
同じなのだが、なぜか素直に『同じだ』と言いたくない。
ディアは俺の花嫁なんだぞ、と言いたくなるが、この感情は一体なんだ?
そんなことはヒビキも重々わかっている。わざわざ言うまでもないのに、胸の真ん中がもやっとしてしまって、俺は金属のポットに入った酒をグラスに注いだ。
「!! 魔王様が酒を!! 水じゃなくて酒を!! 魔族らしい、嬉しい!!」
ヒビキはまたも大喜びする。
が、実際にはこれは、ディアが作ったゴミ箱コンロを利用して温め、酒精を飛ばしまくった酒なのだ。生肉と同様に、俺は酒が苦手だった。弱くてすぐに酔ってしまうし、ふわふわと魔族らしい気分になるのも嫌だった。
だが、ディアを見ていて気付いたことがある。
嫌なら、工夫すればいい、ということだ。
魔界の食が肉と酒に偏っているのは、ある程度仕方の無いことだ。ならば少しでも、嫌じゃないようにすればいい。今思えば当然の話なのに、俺はどうして、その努力を諦めていたのだろう。
酒精の薄くなった温かな酒は、けして不味くない。
むしろ、好きな味だった。
ほっ、と息を吐いて、俺はつぶやく。
「侍女を、用意しなくてはならない」
「侍女。ディア様の側仕えですか。俺じゃダメです? スカート似合いますけど」
「ダメだ。ディアは人間だ、もう少し繊細な気遣いがいる」
「繊細ねえ……」
ヒビキは難しい顔になって、自分のつるつるの顎を撫でる。
どっぷり魔族のヒビキにはピンとこないかもしれないが、人間の貴族であるディアに侍女をつけないというのは虐待に近い。なにせ、魔界にはまともに縫い物が出来る存在すら滅多にいないのだ。
俺が思い出すのは、ディアが引きちぎったレースのことだった。
――ランドウの胃袋も守りたいから。
ディアは快活に笑って言った。
俺は、もちろん嬉しかった。衝撃的に嬉しかった。
だが、同時に、素直にショックだった。
ちぎれたレースが傷口みたいに見えて、痛々しくてたまらなかった。
彼女は気付いているのだろうか? 他人のことは大事にしたいと言うくせに、自分のことは大して大事にしていない現実に。
まずい食事が俺を傷つけるなら、ボロボロの格好はきっとディアを少しずつ傷つける。
そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。愛おしい相手が、自分の胃袋ごときのためにボロボロの格好でいるのは嫌だ。一刻も早く有能な侍女をつけて、できればお針子もつけて、新しいドレスを作ってやりたい。
「ですが……」
ヒビキが続けようとしたとき、私室全体が、ドンっ、と揺れた。
俺とヒビキは顔を見合わせ、バルコニーのほうへと向かう。はきだし窓を開け放つと、目の前に真っ赤な空が広がった。
そして、まがまがしい景色を遮るように、鱗の生えた巨体が見える。
「いち、に、さん……おー、九つ首か」
ヒビキが指を指しながら目の前の首の数を数えた。
そう、そこに居たのは、最大級サイズの竜族。半端な剣よりも鋭い銀色の鱗を全身に生やした剣竜である。全長は魔王城と同じくらいの大きさになるだろうか。そいつはつやつやと光る真っ赤な目を見開き、バルコニーへ頭のひとつを近づけてくる。
「よぉ、唯一無二のランドウよ。ずいぶんと長い不在だったなあ? どのツラ下げて魔界に帰ってきた?」
剣竜が喋ると、ビリビリと大気が震え、熱い吐息が熱風となってバルコニーを襲う。人間ならば一瞬で全身火傷を負って死んでしまうところだ。が、花嫁の力を得た俺には大したことではない。
軍服の袖で顔を覆って熱風をやり過ごし、ヒビキに声をかける。
「今日はなかなかの大物が来たな」
「来ましたね。魔王様が帰ってきて以来、魔王様の首を取って次代魔王になろうって魔族が行列を作っております。大体は俺が露払いできますが……」
「半端な侍女など雇った日には、三日も生き残れなさそうだな」
「侍女? なんの話だ、ランドウよ」
剣竜は不満そうに声をかけてくるが、正直俺は魔族との内輪もめよりも、ディアのドレスのことのほうが気になっていた。
「……ヒビキ。こういうのに負けない侍女候補に心当たりはないか?」
「こういうのかあ……」
「いやいや、こういうの、て。俺様、竜族の中ではかなりの実力者で暴れん坊なわけだが? もうちょっと別の反応はないのか?」
戸惑う剣竜を眺めて、ヒビキは難しい顔になる。
「人狼でよきゃ紹介しますが……月が出たらディア様のことを食っちゃいますね」
「それはダメだな」
「ダメなんですよねえ、理性が足りなくて。俺も先代魔王との契約があってこそ、ですし」
うーん、と悩む俺たち。
その背後で、必死に怒鳴り続ける剣竜。
「おい……お前ら!! 俺様の話を聞け!!」
「魔族一理性があり、男女ともに強大な力を持つ種族といえば……」
俺はつぶやく。そういう種族に、心当たりがないわけではない。
ないわけではないが……。
「話を聞けと言っているだろうが!!」
ついにしびれを切らしたのか、剣竜の怒声が地面を揺らした。
俺はとっさに人差し指をひとふりし、魔法障壁で魔王城を包みこむ。これで魔王城はこの世の法則から解き放たれ、攻撃どころか揺れも音も届かなくなる。
直後、剣竜の鱗が総毛立った。次の瞬間、射出された鱗が一斉に俺に向かってくる。相手を蜂の巣……どころか、砂粒になるまで切り刻む攻撃だ。
以前ならひるんだところだが、何せ今は魔力が桁違いに上がっている。
俺が上の空のまま軽く指を回すと、鱗はすべて空中で止まった。
「な、なんだ……? 寝ぼけてんのかな、俺」
剣竜は何が起こっているのか、気付かないらしい。
とうに俺の魔力増大に気付いているヒビキは、俺の一歩後ろでにやにやと剣竜を眺めて言う。
「おい、雑魚。まだ気付かんのか。魔王様はかつての魔王様ではない。――人間の花嫁を……」
ヒビキがそこまで言ったところで、俺は軽く指を鳴らした。
同時に、空中で止まっていた鱗が剣竜に向かって降り注ぐ。
「なっ……!?」
剣竜は必死になって熱風を吐き、自分の鱗を跳ね返した。
それでも跳ね返しきれなかったぶんが、剣竜の体にさくさくと刺さっていく。
「ぐううう……っ!?」
うめく剣竜を横目に、俺は素早くヒビキの口を塞ぐ。
そしてそのまま、剣竜に向き直った。
「――偉大なるいにしえの竜、剣竜よ」
「う、ぅう……多少は使えるようになったではないか……しかし、この魔力は一体どこから……?」
あちこちの傷から透明な体液をたれ流しつつ、剣竜は低い声でしゃべり出す。
俺はそれを遮るように、声を大きくした。
「お前は寝ぼけている」
「ね、寝ぼけ……? ばかもん、寝ぼけてこんな大けがができるか!!」
「寝ぼけているから大けがをしたのだ。大けがをしたことで目を覚まし、気まぐれな魔族らしく魔王襲撃を諦めた。そういうことで頼む。……帰ってくれ」
俺は渾身の力をこめて言う。
正直、人間界に行く前の俺は弱かった。それが唐突に強くなったりしたら、魔族たちはおそらく祭り状態になってしまう。すり寄ってくる者、勘ぐる者が続出するだろう。何せ奴らは戦いが大好きなのだ。
そんなものはめんどくさい。考えるだけで、猛烈にめんどくさい。
そんな面倒に対応するより、俺はディアとディアのドレスのことで悩みたいのだ。
というわけで、頼む、帰れ。
懇願をこめて俺が見つめると、剣竜はおののいた。
が、すぐに退こうとはしない。
「ば……バカを言え!! 史上最弱魔王を前に、尻尾を巻いて帰れるか! せめて貴様が強くなった理由を持って帰る!! さっき、人狼はなんと言った? 花嫁だったか? しかも、にんげ……」
「……お前は、何も聞かなかった」
思ったより、ものすごく低い声が出た。
なぜなら、恥ずかしかったから。
ヒビキは身内だからともかく、他人に結婚のことを言われるの、思ったのの一億倍恥ずかしいな? ダメだな、こんなの聞いてたら死んじゃうな? いつかは公表しなきゃならないだろうが、今は無理だ。全然ダメだ。ダメ。どうしても、絶対に、ダメ。俺の心が死んじゃうからダメ。
軍服の背中をたらりと汗が伝った気がして、俺は必死になって剣竜に釘を刺す。
「これが最後だ。黙って帰ってくれ。……いいか?」
俺の懇願を聞いた剣竜は、なぜかきゅっと全身を堅くして、妙に間抜けな声を出した。
「――は……はひっ……仰せの、通りに!!」