【1】あたしは悪役令嬢である。前世はギャルだ。
あたし、ディアネット・ロビンキャッスルは公爵令嬢だ。
そして、前世はギャルだ。
ギャル系JKだった頃のあたしは、金の巻き毛の代わりにピンクメッシュ入りの髪を二つに結び、胸の空いたドレスの代わりに改造制服を身につけて、絹の靴下の代わりにルーズソックスをはいていた。
オシャレとコスメと映えグルメが大好きで、友だちはもっと好き。仲間は絶対裏切らない。楽しいことや可愛いことが九割で、先への不安が一割。
そんな人生が終わったのはいつだっけ?
みんなで夜パフェしたあと、細くて長い階段を眺めて、落ちたら死ぬかも……って思ったのを覚えてる。あのあと本当に落ちたのかな?
よくわからないけど、気付いたらあたしはこの乙女ゲームみたいな世界の公爵令嬢だった。
――という記憶がドッと蘇ってきたので、あたしは正直途方にくれた。
何度か漫画で読んだことがある展開だ。
あたしは転生悪役令嬢なのだ。となれば前世の知識で死亡ルートを免れたり、無双したりするのが普通なんだろうけど……ギャルな前世じゃ無理っぽい。
何せあたしは、もう処刑椅子の上にいる。
「ディアネット・ロビンキャッスル。国益のために尽くすべき公爵令嬢の身でありながら、宮廷での贅沢三昧と傍若無人な振る舞い! 国内諸侯、諸外国との関係を引っかき回したあげく、果ては使用人をいたぶり殺し、その魔手をこちらのご令嬢にまで伸ばしたらしいではないか。到底許せん。処刑だ!!」
青筋を立てて叫んでいるのは、金髪の皇子様。
リュバン帝国の第一皇子、アライアス・クリスタルフォレスト。
あたしの今世の婚約者だったけど、性格も好きなものもよく知らない。
生まれたときから決められた婚約者ってだけで、ろくに話したこともないんだ。
「殿下! どうか、どうかディアネット様にご慈悲を!!」
階段状になった玉座の下から、真っ青なドレスの令嬢がアライアス皇子に声をかける。
銀髪を清楚にまとめた彼女の名前は、セラフィーナ・クリスタルバレイ。
この子のことはよく知ってる。こっちに転生したあとの、あたしの親友。
皇子はあたしがこの子を殺そうとしたって言っているんだろうか。だとしたら勘違いだ。
あたしとセラフィーナは親友同士。あたしは絶対にセラフィーナを裏切らない。
「セラフィーナ……あれだけのことをされても、まだこの女をかばうとは」
「一度は友と呼んだ相手でございます。死刑は免れないとしても、せめて……」
皇子は感動した顔でいい、セラフィーナは綺麗な銀のまつげを伏せる。
セラフィーナはきれいだな。こんなときでも、ほんとうにきれい。
あたしがこっちの世界で転生したとき、悪役令嬢ディアネット・ロビンキャッスルは六歳くらいだったと思う。それ以前のディアネットの記憶はあたしのどこにもないから、きっとそうだ。
五歳までのディアネットがどうなっちゃったのかはよくわからない。わからないけど、六歳からのディアネットは元ギャルで、こういう西洋風の世界の知識はマンガでしか知らなくて、しかもその知識すらおぼろげで……とにかくぼーっとしてたんだろう。
六歳を境にひとが変わったみたいになったあたしを見て、周囲はドン引きだった。親も、親戚も、使用人も、幼女時代のあたしにはひどく冷たかった。
物心ついた頃から、あたしは空気の読めないヘンテコなお嬢さん。
そんなお嬢さんに、セラフィーナだけは、笑いかけてくれたのを覚えてる。
『不安なことはありません。わたくしに全部お任せくださいませ。きっとあなたを、立派な公爵令嬢にしてさしあげます!』
可憐すぎる美幼女がそんなふうに言うから、あたしは大感動だった。
あたしみたいな子の面倒を見てくれるなんて、セラフィーナこそが本当の天使だし、親友だとも思った。
あたしはセラフィーナを絶対に大事にする。
一生言うことを聞くし、絶対に悲しませたりしない。
そうやって誓いを捧げた相手は、今、あたしの目の前で泣いている。
泣きながら、皇子に訴えかける。
「どうか、ディアネット様の処刑の業火の温度を、下げてくださいまし……!!」
「温度を、下げる……?」
あたしは首をかしげた。
あたしは処刑用の椅子に固定されている。
ここは処刑塔。壁には階段状の観客席と玉座が貼り付いていて、真ん中は空洞。塔の底ではじゃんじゃん火が燃えていて、私の椅子は空洞に渡された橋の真ん中にある。
いざ処刑となったら、処刑係が私を椅子ごと業火の中に蹴り落とすのだ。
処刑の炎は人間なんか瞬時に消し炭にする高温のはず。
だから苦しみは一瞬で済む、はずなんだけど……温度を下げたら、レアにもならない生焼けじゃない?
そもそもあたし、殺人未遂なんかしてないけど……!? セラフィーナはもちろん、使用人だって殺したりしてないよ!!
戸惑うあたしをよそに、皇子はなんだか感動している。
「なるほど。一瞬で蒸発させては、罪の浄化が間に合わぬ、ということか?」
「ええ……ゆっくり焼けば、膨大なる罪の懺悔が済むかもしれません……」
「なんたる慈悲!! セラフィーナ、君は神の使いだ!」
ひしっと抱き合う、皇子とセラフィーナ。
あたしはひとりで真っ青になる。
「ちょ、ま、じわ焼きは勘弁なんですけど!?」
「ディアネット……なんだ、最後の最後でその下賎な言葉遣いは!! お前にはセラフィーナの慈悲がわからんのか!?」
皇子にぎろりと睨まれて、あたしはうろたえた。
「言葉遣いはそーかもだけど、罪とかゆーのはおかしくない!? あたし、全部心当たりないんだけど!!」
切羽詰まっているせいか、言葉遣いが全然公爵令嬢モードに戻らない。
だって、絶対に人殺しなんかしてないんだ。
確かにあたしは高い布とか宝石とか買いまくったし、めちゃくちゃな豪華盛りファッションも流行らせた。流行に乗らない奴はハブったし、衣装ディスってきた使用人はクビにした。人殺しなんか絶対してないけど、無駄遣いが罪だっていうんなら、あたしは罪人だ。
でも……それもこれも、セラフィーナに勧められてやったこと。
――お金を使うのは上級国民の義務ですわ。古くさいドレスなど、あなたには似合いません。豊満なお姿を際だてるドレスをどんどん作りましょう!
――結い上げた髪に宝石を散らすのはいかがです? 絶対あなたに似合いますわ!
――ごらんになって、あの令嬢。他国の者なのに、あんなに偉そう……。あなたは将来の王妃です。国を守ると思って、あの令嬢をこてんぱんにしてやりましょう!!
セラフィーナはいつもあたしに寄り添ってくれて、盛り上げてくれて。
あたしはセラフィーナがとにかく好きで。だからあたしは、セラフィーナに必死でついていった。
夜通しのパーティーにも、頭が痛くなるくらい重いかつらや宝石にも、ハブった奴らからの白い目にも耐えた。
セラフィーナの言うとおりにしていれば大丈夫。
セラフィーナがいれば大丈夫。
セラフィーナに裏切られたら、全部が終わっちゃう。
そう信じて、全部上手くいってたはずなのに……。
「それでは――神聖王国の名において。処刑を執行する!!」
皇子が叫ぶ声がする。
兵士が、がんっとあたしの座る椅子を蹴り落とす。
「きゃ!!」
お腹がふわっとする感覚。
怖い。気持ち悪い。
――落ちる。
こわい。こわいよ。
私の顔はくしゃりと歪む。
すり鉢状の客席から、みんながあたしを見ている。
びっしりと並ぶ、顔、顔、顔、顔。おぞましそうなおびえ顔。憎しみに満ちた顔。つまらなさそうな顔。興味なさそうなねむい顔。皇子の顔は、緊張に引きつっている。
そしてセラフィーナは……笑っていた。
天使みたいな顔で、優しく笑っていた。
あたしを見て、笑って、いた。
おかしいなあ。そうなの?
わかってたの、セラフィーナ。
これがあなたの願いなの?
あたしを操って、バカなことさせて、処刑して、皇子に取り入りたかったってこと?
くるしいな。
くるしい。……くるしい。
セラフィーナ、あなたは、本当はあたしに優しくなかったんだね。
この世界は、あたしに優しくなかったんだね?
落ちていく。背中が熱い。死ぬのが怖い。
でも、この世界にもいたくない……。
そう思ったとき。
客席の顔がひとつだけ、目についた。
他とは違う、しんとした真顔で、私を見ているひと。
ああ――『あいつ』だ。
あいつだけは、周りと違う。
あたしから目を逸らさない。
笑わない。憎まない。ただひたすらに、見ていてくれる。
ろくに話したことがないけれど、ずっと気になっていた『あいつ』。
『あいつ』を見ながら、私は業火の中に落ちていく。
もしも、もう一度だけやり直せるなら。
あたしは、今度こそ……。
そこで、あたしの意識は途絶えた。