序.
秋空高くを漂う雲。その遥か下には京都の街が広がっている。それをなんと、
雲の上に胡座をかいて見下ろすおっさんがいる。平安時代の文官束帯で身を固めた、メンコの甲冑武者みたいな髭を生やした中年くらいのおっさん。赤ら顔なのは地ではなく、ご機嫌なことに昼間っから酒が入っている故である。
おっさんは右手で顎髭を摩り、左手に持った笏で首をトントン叩きながら下界を眺める。
「うぅむ、街中にも田があることは承知しておるが、どうにも見落としてしまうと言うか、田園と比べて後回しになってしまうものよ」
おっさんは誰に言うでもなく、おそらくは自分に言い訳をしながら盃を取って口に運ぶ。干して満たしてまた干して、三度繰り返すとやっとこ盃を置いて雲の中に手を突っ込んだ。
「うーい、暦、暦は何処ぞ」
しばらくゴソゴソやった後ずいっと手を引っこ抜くと、豪華な装丁の巻き物が握られている。おっさんはそれを雲の上に転がし中身を展開すると、ある一節を指でなぞる。
「うむ、うむ。『秋の雷』『稲妻』の季節はもう暮れよのぅ。疾く降らせ切ってしまわねば」
おっさんがゆっくり立ち上がり、大きく息を吸い胸を張ると
ゴロゴロゴロゴロ、と、俄に足元の雲が音を立てて黒く澱み出す。
それだけではない。周囲の雲も黒ずみながら集まってくる。おっさんはそれを満足そうに眺めると、
「カァッ!」
眼下に広がる街に笏を振り下ろす。瞬間、
ザアアアッと鳴る土砂降りの大雨とガカッバリバリッと唸る稲光が地上に降り注ぐ。
それらが地上に落ちたドシーンという音と衝撃を全身で受け取りながら、おっさんは仁王立ちで大笑いする。
「ガッハハハハハ! 稲妻ぞ! 実るが良い! 稔るが良いぞ! ブワハハハハハ!」
酒が入っている故か非常にご機嫌そうである。しかし、ご機嫌過ぎてあることに気付かなかったようだ。
彼の足元で広がっている巻き物。無遠慮に転がした所為で端っこが雲から垂れているのだが、それが雨や雷を降らせる度に震える雲の揺れによって段々と横にズレて行き……、
遂にスルスルと落ち始めてしまった。
「あなや!」
おっさんはすんでの所で気付いたらしい。慌てて巻き物を取りに行き、見事巻き物が落ち切る前に掴んだ。が、
「おおおおお!」
酔って足元が覚束無かったか、踏ん張りが利かずそのまま巻き物を握り締めて雲から落ちてしまった。
その日、京都の何処かでドシーンと大きな音がなった。




