序.
九月になっても残暑どころかまだまだ全盛期の暑さを引きずる日々。
その日寝坊し家で朝食を食い損ねた桃子は、交番でラジオを聴きながらのティファニータイムを過ごしていた。
『昨日は八日だったわけだけど、私ずっと八日っていうのが嫌いでさ』
『そりゃまたどうして』
『八日はちょっと口が楽しくないっていうのは分かるの。でも八日は八日でやっぱり「そうはならんやろ」って』
『なる、ほ、ど……? まぁ、うん』
『しかも二十日っているでしょ!? アイツが最悪! 「は」で始まってるからこっちが八日の別名だと思うじゃん! 混同しちゃっていつも会話とか予定立てたり遊びに行く約束とかしてても頭の中で一瞬「ん? 今のは八と二十どっちだ?」ってなるんだよ!』
『お、おう』
『なんだよあいつしれっとさぁ! 八日の世界に混ざって来やがって! 小麦粉の列の中に「私も小麦粉ですけど何か?」って顔してコカインが混ざってるくらいの害悪だよ!』
『訳分からんし冤罪だよ』
「世の中変な人もいるもんですねぇ」
桃子はおにぎりを包むフィルターをピリリと開ける。安い、とにかく安いことが売りのスーパーで買ったツナマヨツナマヨ和風ツナマヨ和風ツナマヨツナマヨ。
それをあんぐり頬張ったところで、
「おい」
「むぐっ!」
頭上から聞き馴染みのある声が降ってきた。
「むぐっ! むぐぐぐ! んっんっ!」
驚きのあまりツナマヨが喉に詰まった桃子は、慌ててポットから玄米茶を湯呑み(一面に『にゃ〜ん』と書いてある)に注いで一命を取り留め……
「わっちゃっちゃっちゃっ!!」
……た。もちろん火傷はした。
改めて天井を見ると、そこには一匹の金蛇が張り付いている。
「やめて下さいよ紡さん。そんなビックリドッキリしなきゃいけないルールがあるでもなし」
「そんなことはどうでもいいんだよ」
「どうでもよくはないです」
「それより、今日は気を付けなよ」
「どうしてです?」
桃子は再度ツナマヨに取り掛かる。
「なんたって今日は……」
「桃子ちゃんや!」
「んむぅっ!」
驚きのあまりツナマヨが喉に詰まった桃子は、慌ててポットから玄米茶を湯呑み(ポップな字体で『にゃ〜ん』と書いてある)に注いで一命を取り留め
「ほぉぉあっちゃっっっ!!」
た。
「な、何事……」
見るとそこにいたのは近所の藤田の爺さん。非常に緊迫した表情で、その上下する肩は年甲斐無く全力疾走して来たであろうことを示している。
「藤じい! どうしたんですかそんな慌てて。『一番いいのは三十過ぎたら走らないこと』って田村正和も言ってましたよ?」
「それどころじゃないんじゃい! 『六角承亭』で殴り合いの喧嘩じゃあ!」
「なんと!」
『六角承亭』は歴史好きな奥川の爺さんが支配者たる妻と四十数年営む居酒屋である。居酒屋ながら朝から開いており、妻に先立たれて飯が用意出来ない近所のダメ老人達のライフラインでもある。
「私は急ぎますから、藤じいは無理せずゆっくり、というかもうここで休んどいて下さい!」
「ありがとう……。些か疲れたわいの……。これでも戦争で軍艦に乗っとった頃は艦内で一番甲板から艦橋まで上がるのが早かったんじゃが、ある日……」
「じゃ! また後で!」
桃子はギシギシ唸る自転車を駆って『六角承亭』へ急いだ……戻ってきた。
「『六角承亭』って何処ですか?」
桃子が到着すると狭い店内で酔っ払った爺さん同士の大怪獣ファイトが繰り広げられていた。西川の爺さんと武内の爺さん、そして店内で暴れる二人に激怒した奥川の爺さんの三国志!
「やめ! やめ! やめ! やめて下さいよ三人とも!」
桃子の声は全く聞こえている様子が無い。まぁ歳寄りの遠い耳では物理的に聞こえなくなるだろうという騒音を立てて暴れているのだから仕方無い。
しかもカウンターを見れば朝食メニューの焼き魚膳で一杯やった形跡が。ご機嫌なご身分である。これなら物理的に聞こえていても頭が理解しないだろう。
「もう! 朝っぱらから酒飲んでる輩に碌な人はいないんですよ!」
桃子の脳裏に朝っぱらから酒飲んでる陰陽お姉さんが浮かんだが、やっぱり碌でなしなので説立証である。
「三人とも! やーめーて!」
桃子が警棒を突き出しながら割って入ると、三人はようやく彼女の存在に気付いた。が、
「うるせー引っ込んでろ!」
「そうだいチンチクリン!」
「もっと色っぺぇ姉ちゃんになってから出直せ!」
「な……!」
「許さん! 絶っっっ対に許さんぞこの老いぼれ共ーッ!!!」
乱闘は四人制デスマッチと化した。
結局この後駆け付けた応援によって事態は沈静化し、桃子は上司からこってり絞られ、
朝から似たような騒ぎがあと二つ立て続けに起きたのである。




