終幕.あなたと私と陰陽師
「紡さん!」
「ぬ?」
朝。桃子達が眠り姫を起こしてから十日くらいは流れたろうか。
あれ以来紡は変な口癖がついた。しかしそれ以外はなんら後遺症が無いようで、桃子達と大変結構な日常生活へと帰って来ている。
「仕事はもう懲り懲りだよ」なんて嘯いてもいたが、その後すぐにしっかり準備した上で再び坂東へ飛び、改めて将門の怨霊を鎮めた辺りは桃子も舌を巻く神経の太さである。
「将門塚ならこうは行かないな。ラッキー」発言にはつばきも半笑い。
それからすぐに通常の仕事も再開したのだから、半分くらい紡に食わせてもらっている職業の桃子も正直助かる。
「『ぬ』じゃありませんよ。今日は仕事で一日空けるって前から言ってたじゃないですか」
「あぁ、そうだったっけ」
「もう! 恋人のスケジュールも把握してないなんて!」
「よし、解消するか」
「なんと!?」
「まぁ、気を付けて行ってらっしゃい」
「行って来ますのちゅー♡」
「早よ行け」
日日草の浴衣の紡はクロワッサンを齧りながら空いている手で桃子の顔面を押し退ける。
今までは十時を過ぎないと起きない生き物だった紡だが、最近は割と早起きさんである。
理由はどうやらお腹が空いて堪らないらしい。当時から身体は無事で影響も残っていないとは言え、あの食いしん坊が半年弱何も食べなかったのだ。精神的な反動があるのだろう。多分。
「はいはい。じゃあ行って来ますからね」
桃子は押し退けてくる掌にキスをすると、さっさと玄関を出た。珍しく素直に引き下がった桃子だが、別にそれは納得が行って治まったとかそういうことではない。
「まったく! 酷いもんですよ!」
桃子はスマホを取り出し、一連の出来事に対する怒りの長文をつばきへ送る。彼女も学校があるので返事は来ないだろうが、誰かに向けて発散することに意味があるのでそこは問題無い。社会人女の痴話喧嘩を聞かされる十四歳の哀れさよ。実態は百年童女だが。
そんなつばきは特に成仏してしまうことも無く、幽霊ということを隠して家庭に帰り学校にも通っている。
紡が目覚めて桃子達が全てを説明した後、つばきは無茶では済まない、取り返しのつかない行動に出たことをたっぷり叱られた。そして何より、自分を犠牲にするなんていう行為に走ったことを。
しかし後半については一緒に怒られていた桃子が、
「でも紡さんだって私達を置いて自爆攻撃したじゃないですか」
と切り返すと、初めて紡は素直に謝ったのだった。
「うん、そうだね……。ごめん」
と。
それ以来三人の間では、この問題を深刻に考え込むのはやめた。どうしようもないことを『どうしようもないや』で片付けるのは桃子の得意技である。
その内紡もそんな楽天的思考回路を見習ってか、
「もうこのままつばきちゃんを後継者にすれば、私も流派の途絶とか心配しなくていいね」
とか宣うようになった。
「そんなこと気にする神経あったんですね」
「あは! 飢えることも無いので、こんな胡散臭くて明日には食えなくなりそうな仕事継がされても平気です!」
と煽った二人はおやつ抜きにされた。
ちなみにこの世界の紡は流石に生きているつばきの印象が強いのか、いくら本人が「平気ですよ。カモーン!」と宣言してもお酒を飲ませたがらないし隣で煙草を吸わない。
まぁその方が健全だし、何より自分も副流煙に晒されなくて助かる桃子はそれについて特に何か介入することは無かった。
……つばきが紡に隠れてお酒を飲む姿を見てもスルーしておく。何か言ったとしても
「アル中にだけはならないで下さいよ」
「幽霊がアル中で何か困るんですか?」
こんな調子である。昔はもっと素直だったような、元からこれくらい小憎たらしかったような、桃子にはもう分からない。
その図太さを生かしてか、つばきは早々と元の学校生活に馴染んでいる。
そこで不思議なのは、彼女は向こうの世界にいる間学校にも家庭にもいなかったはずなのに、特に失踪とかいう話には発展していなかったことである。
その代わり家族には
「またちょっと性格変わった?」
と不審がられ、
「ねぇもう入部してよねぇ私達あなた無しじゃもうダメになっちゃったのよ?」
と空手部から謂れの無い勧誘を受けるようになったらしい。その所為か最近のつばきの口癖は
「向こうの紡さん何をした」
『お酒のアテと言えばさ、最近「イワシタフーズ」って会社の燻製鰹にハマっててさ』
『字面が女子感無さ過ぎるんだけど』
『これウメーなとか思いながらふと、「どうしてタタキは鰹ばっかりなんだ?」って思ったんで調べたの」
『あぁ、確か鰹ってすぐに傷むから江戸時代だかに食中毒が流行って、それで時の藩主が生食を禁止したからって聞いたんだけど』
『そうそう! それでも鰹の刺身食べたい連中が表面だけ炙って「これは生食じゃない」って言い張ったのが始まりだとか』
『諸説あるんだけど』
『それ聞いてさ、「いや、そんなの通るわけねーだろ!」って思ったんだよ。でも通っちゃってるから今に続いてるんだよねぇ。通るはず無い無茶苦茶な理論も、案外「そういうもの」って言い張れば「そういうもの」なんだね』
『単に取り締まってたらキリが無いから放置しただけだと思うんだけど』
桃子が電車に揺られながらスマホでラジオを聞いていると、画面にメッセージアプリの通知が出た。つばきからの返信が来たのかと思ったが違う。
映っている名前は中田日和。桃子贔屓のカメラスタッフである。そんな彼女からの連絡は
『ごめん! 今日の撮影は熱があって行けません……。代わりにめちゃ腕の良い人が行ってくれるから、そういうことでよろしく! 駅で待ち合わせは変わらないから!』
とのこと。桃子はすかさず
『気にしなくていいですよ』
と返しておく。そういう連絡はもっと早くしろ、とは言わないのがオトナ。
桃子が自分のオトナ感に酔い痴れている内に、電車は目的の帝都駅に着いた。
ここからの移動はカメラサイドが車を出してくれる予定だったので、桃子はロータリーでぼんやり空を見ながら代打カメラマンを待っている。
空と言えば、この頃髭面のサムズアップを幻視することの多かった桃子だが、最近ようやくその症状も緩和されてきた。
雷神もそうだが、桃子は半年弱過ごした向こうの世界の人々のことを懐かしく思うことはもちろんある。また青木のおばあちゃんや藤じいと話をしたいし、実家に顔を出す頻度も増えた。大五郎ともたくさん遊んでいる。
為すべきことは全て終わった後でも、遥か交わること無き遠い世界の人々でも、この世界にいる両親と仲良くしてもそれは代替に過ぎないとしても、そういうセンチメンタルや郷愁を抱いてしまうのは仕方無いことなのだろう。
しかし桃子は唯一、紡の向こうにあの世界の紡を見ることは無かった。
それが理由の無い素直な心の整理なのか、そうしないことが向こうの紡に対する礼儀だと無意識に頑張っているのかは分からないが、これはそうなっているとしか言えないものだ。
ただ、だからこそ、ふと頭に代替すら出来ないその存在が過ぎる時、
あぁ、堪らなく、あなたに会いたい。
今いる紡とは別の、大切な一人の人間として、堪らなく彼女が愛おしい。
そんな、この世界の紡にすらその姿を重ねない求めない桃子が向こうの世界の紡を思い出すのは、決まって……
「あのー、沖田桃子さん?」
桃子が時空を越えて思いを馳せていると唐突に話し掛けられた。桃子は慌ててそちらを向いて、
「あっはい、ぎょえっ!?」
「ぎょえって、傷付くじゃないの」
「あっ、やっ、すいません。なんでもありません」
「そう。じゃあ改めまして、私、中田の代わりに来たカメラマンの……」
「……近藤さんだったりします?」
「近藤だったりするよ?」
「嫌あああああ! 撮影が終わった後にホテルに連れ込まれて卑猥な第二ラウンドを始められるぅ〜!!」
「えぇ……」
お前に会いたいと思った覚えは無い! 桃子はむしろ忘れたくても忘れられない覇気皆無な中年の顔面を叩いてやりたくなった。
桃子は心の中で吠える。
いいか! 私が会いたいのはなぁ!
その時、ぶわっと強い風が辺りに舞い込んだ。
「うわっ!?」
「おー、寒」
あまりの風の強さに目を開けていられない桃子の耳に、寒がり方すら覇気の無い近藤の声がする。
しかし今はそんなことどうでもいい。
決まって桃子が向こうの世界のあの人を思い出すのは、桃子が時空を越えてもまた会いたいのは……
桃子はいつかと同じような目も開けられない程の突風の中に、太陽のように輝く紡の満面の笑みを見た気がして、
ほんの数滴だけ、涙がほろりと零れ出た。
『絶対大丈夫だよ! 君達の行く道に幸多からんことを!』
紡さん、あなたの行く道は今、どうなっていますか……?
またいつか会えたら、たっぷりゆっくり聞かせてほしいです。
また、あの意味不明な『呪』の話も交えて、ご飯でも食べながら……
桃子の涙は風に飛ばされて、キラキラ輝きながらすぐに消えて行った。
さて、ここは京都府京都市上京区堀川一条、晴明神社の程近く。
細く背が高い路地の先、周囲を建物に包囲されて目立たないポッカリ空間の、隠れ家カフェみたいな立地。
そこには大型トラックがギリギリ擦れ違えるくらいの幅の道がアメリカンフットボールのコートを二つ敷けるくらいの長さで伸びており、その向こうに白黒二色の隠れ家カフェ風洋風邸宅に無理矢理日本家屋をドッキングしたような謎の建物が鎮座している。
その建物の不用心にも開け放たれた門を潜って敷地に入り、玄関へ続く道を無視して左に折れると庭の物干しスペースに至る。
そこから邸宅の方を見れば真っ先に縁側があるのだが、今そこで煙草を吸っている女性がいる。
身長はギリギリ一六〇無いくらだが手足はすらりと長い。白人とのダブル特有の、オリエンタルな柔和さと白人的な目鼻立ちの融合した顔。茶髪でぎりぎりボサボサにならないくらいのエアリーボブに白い肌と、エメラルドの瞳孔による色のコントラスト。同性でも赤面するほどの美人。
そんな日日草の浴衣に身を包んでお寛ぎあそばされている彼女はまだ二十代の中頃に見えるが、
実は彼女、人呼んで『陰陽師』というそれはそれは胡散臭く、しかれども怪奇にして素晴らしい生業をしている当代一の霊能力者なのである。
ついこの前も、枕返しによって並行世界から飛ばされて来た男を元の世界に帰してやったところだ。
そんな彼女がのんびり空を見上げていると、物干しスペースに立ち入る影が現れた。どうやら客人のようである。
「ただいま帰りましたよ」
「あはぁ、疲れました……」
「やぁ、お帰り」
客は二人連れ、勝手知ったる感じで縁側へと歩いて来る。
「ありがとうね。全部片付いたのにしばらく向こうに滞在してもらって」
「あは、大丈夫ですよ。予後観察は大事ですから」
「この子はそのまま残留してたから楽ですけど、私は中身が入れ替わってたのが戻ったと思ったら今度は身体ごと即向こうに送り返されて大変でしたよ!? 零能力だからいてもしょうがないのに!」
「こらこら。子供相手に苦労マウント取らないの、みっともない」
「あっ、そうだ! 苦労と言えば聞いて下さいよ紡さん! 私向こうの世界で影武者やってる時、本当に大変だったんですよ!? なんですか仕事がプロのコスプレイヤーって! プロとかあるんですか!? 一お巡りにそんな仕事出来るとでも!?」
「私も聞いて下さい! 向こうの私も大変だったんですよ!? 偏差値馬鹿みたいに高い学校通ってるし! なんですか中学で偏差値って! しかも私立中学のくせに空手部めちゃくちゃ弱いし! ねぇ紡さん!」
「紡さん!!」
「紡さん!!」
「あー、分かった分かった。一旦落ち着いて」
紡と呼ばれた陰陽師は、話がしたくて堪らない来客の女性と少女を手で制する。
「私もたくさん聞きたいし話したいことがあるの。でもこんなところでワーワー言ってもね? 取り敢えず中に入って、そこでゆっくり話そうよ」
彼女は煙草を一旦灰皿に置くと、太々しくて天下無敵の微笑みを浮かべた。
「食事でもしながら、さ?」
──食と怪奇と陰陽師 完──




