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食と怪奇と陰陽師  作者: 辺理可付加
第二話 冷や飯喰らい
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急.

 果たして三日が過ぎた夜。桃子は紡邸の縁側にいた。蚊取り線香と煙草の煙がゆらゆら夜風に溶けていく。


「夏の夜の早風呂上がりはビールが美味しいねぇ」


湯上がりの紡と桃子はそれぞれ、若冲の紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)と向日葵の柄の浴衣を着ている。そして桃子の横には例のスポーツバッグ。


「伝説上の麒麟さんなのは『呪』的な何かですか?」

「好み的なアレだよ」

「好みに『的なアレ』もへったくれもないでしょう」

「Ha-ha!」


紡は発音が英語っぽい妙な笑いをすると、グラスに瓶の中身を注ぐ。


「いやしかし、驚きましたよ。本当に博次君が目を覚ましたそうで。何事も無く」

「読みは当たったわけだ」

「流石です紡さん!」

「もっと褒めるが良い」

「それで、あれはどういうことだったんですか?」


桃子がビールを干すと紡はグラスのギリギリまで注いだ。


「フォンダントショコラの逆だよ」

「は? フォンダンショコラ?」

「そう、フォンダントショコラ。中に熱いチョコが入ってるでしょ? 前話した時に桃子ちゃんが途中で切っちゃった『人体のあるべき状態』、あれもそういうことなんだ」

「どういうことなんです?」

「人間は内側に熱、気やエネルギーが満ちている状態が一番良いんだよ。熱は熱い方から冷たい方へ移るでしょ? だから身体の内が外より熱いと気も内から外へ向かう、発散発揮させ易い回路が組まれるの。ではそれが逆になるとどうなるか」

「……内向きの回路が組まれる?」

「その通り!」


紡はパチパチと小さく手を叩いた。


「そしてそれは、気を外に出せない回路でもある。それが高じるとエネルギーを仕舞い込む極地、眠りという状態にも至る。今回のようにね」


紡は煙草を吸い、細い煙を吐き出す。


「なるほど。しかし、何故博次君はそんな回路になってしまったんでしょう」

「答えは桃子ちゃんが調べてくれたリストにあるよ」

「あれですか?」


桃子はメモ帳を取り出した。


「見てごらん。彼はここの所食事がざる蕎麦、冷製パスタ、冷や茶漬け。飲み物も氷がたっぷりのお茶やアイスコーヒーなど、ドリンクバーでも氷を入れまくる」

「麺類が多いですか」

「そこじゃない。冷たいものが多いでしょ?」

「それは確かに多いですけど……、まさかそれで身体の内側が冷えて熱がそっちに流れるとかいう!?」

「そういうこと」

「そんなことなるほど冷たいものでもないでしょう!」

「実際の温度じゃないんだよ。それ以上に『冷たい料理』という『呪』が掛けられていることが重要なの。それを食べ過ぎると体内に冷たい『呪』を取り込むことになる。いつだって冷や飯喰らいは良い話じゃないね」


紡は煙草を灰皿で消すと、にっこり微笑んだ。


「桃子ちゃんのおかげだよ。君のおかげで話が丹田に行った。丹田の奥には腸がある。胃と並んで食べたものを受け入れる人間の器官。それでもしかしたら食生活が関係してるんじゃないかって思ったの。食べることは最も効率良く最も弱い所に『呪』を掛ける行為だから」


桃子はグラスをギュッと握った。思わず冷たいビールを飲むことを躊躇してしまう。


「で、でも、そんな食生活の人なんていくらでもいるじゃないですか! そんな誰も彼も寝込んだりなんか……」

「でも今時冷房を使わない人はほぼいないね。今は昔より気温が高く昔より冷えたものが飲み食い出来る。冷房を使わないと、かつてないほどの体内外の温度差を産み出す時代なんだよ」

「あー……」

「だから蓄積された内側の冷えが、冷房を点けないおばあちゃん家で爆発したんでしょう」

「そういうもんですか」

「ふふ、道理で点滴だけでも全然痩せないわけだ」

「どうしてです?」

「エネルギーを内側に溜め込んだ上に、冷凍保存状態だから」

「わー」


桃子は気の無い返事をするとビールを飲み干した。


「ところで紡さん。それが何故濡れタオルで身体を拭くだけで治ったんですか?」

「簡単だよ。内がどれだけ冷たかろうと、外がより冷たくなれば熱の移動は起きる。内に行った回路が(さか)しまになる」

「それだけ?」

「だけってことはないかな。あの水は私が福井は若狭の天徳寺(てんとくじ)で汲んできた霊水だから」

「何ですかそれは?」

「そこの境内奥には『瓜割(うりわり)の滝』と呼ばれる湧水があるんだ。『冷た過ぎて浸けていた瓜が勝手に割れた』という故事があるほどの滝で、古く陰陽道では朝廷(ちょうてい)直々の雨乞いのメッカでもある。つまりあれほど霊力があって、しかも『呪』的に冷たいものはそうそう無い。それを適切に冷房が点けられた病室で定期的に塗りたくれば、嫌でも外側が冷えるということさ」

「なるほどあんまりよく分かりません」

「分からないのかよ」


紡は笑いながら次の煙草を咥えた。


「そう言えばその霊水ですけどね、『余った分は返却します』とおばあちゃんから預かって来ました。『くれぐれもありがとうございました、と伝えて下さい』とも」

「そうかい」

「はい、お水」


桃子がバッグから取り出したペットボトルを紡に渡そうとすると、彼女はそれを手で制した。


「あげるよ」

「えっ」

「欲しいんでしょ?」

「えっ?」


桃子はペットボトルをじっと見た。今の今まで欲しいとは思っていなかったが、こうして見ると何故だかずっと欲しかったような気もする。


「じゃあ、ありがたくいただきます」

「はい」


桃子はペットボトルを傍に置くとグラスを手に取った。飲もうとして先程飲み干していたことに気付く。彼女は瓶に手を伸ばした。


「でも紡さんの言う通り、すごい霊水なのかも知れませんね。実際博次君は目を覚ましましたし」


桃子はビールを注ごうとしたが、瓶にはグラスの半分程も残っていなかった。


「起きたは良いけど冷え過ぎて風邪引いたらしいですし」

「あー……」


紡は煙草に火を点けながら苦笑いをした。

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